第34話 サンテールの街

「王家への通達は神殿を通す。何でも言って」

「俺のことは、あまり目立たないようにしてほしい……けど、神託がある以上は無理か」


 ヴァレリの村を出た一行は、馬車の中で今後行なうべき事について話し合っていた。


「別に無理じゃない。神託について嘘は言えないけど、一部を公表しないのは珍しいことじゃない」

「そうなんですか?」


 クロエの発言を聞き、アレッタが驚いたような顔をする。

 アレッタの中の常識では、神託の巫女の仕事は神の言葉を伝えることであり、それは何にも代えがたい尊い役割だった。


「私が伝えても、神殿や国がそれを伝えないことがある」

「……神罰がないのなら神様はお認めになっているのでしょうけれど、神様がお伝えになったことを広めないというのは、いささか、出過ぎたことのようにも思えますわね」

「伝えることで民が混乱するなら、伝えずに対策だけすると聞いた」

「発言しても宜しいでしょうか?」


 口を挟んだエミリアは、クロエが頷くのを見て言葉を続けた。


「広めることが、国を混乱に導くような事柄については敢えて広めないのです」


 小麦が不作になるとか災害があるなどの神託があった場合、その神託を元に国が対策を行なうが、避難が必要な災害でない限りはその情報を国民にまでは広めないというのが現在の国の方針なのだ、とエミリアは説明した。

 その上で、被害が想定の範囲を超えた場合は国が責任を取る。

 昔はすべてを神殿から国民に向けて伝えていたが、その当時は神託を恐れて小麦の買い占めする者や、災害への対策を行なわずに逃げ出す者もおり、神託で伝えられた対策をとることすら出来ず、結果として神託で伝えられた被害以上の大災害になったこともあったとのことで、以来、伝える情報を国が取捨選択するようになったということだった。


「まあ、たしかに情報を素早く伝える方法が限られるなら、どう伝わるか分からないような情報を大勢に向けて流すのは危険か」


 健司には東日本大震災の経験があった。

 だから、デマがどれだけ簡単に生まれ、広がり、それが様々な事柄に悪影響を与えていくのかを理解していた。

 例えば、当時、最低でも数年で関東地方は死の大地になると言った流言も流れたが、現在の関東地方がどうなっているのかを見れば、その流言がどれほど事実を述べているのかは一目瞭然である。

 しかし、当時流れた多くの流言により、多くの風評被害が生み出され、それは今なお拡散されている。ある意味、そうした風評被害は放射性物質よりも危険な毒となり得るのだ。

 日本のように、その気になれば生情報に接することが可能で、離れた場所に情報を即時伝達可能な国にあっても、そうしたことが発生するのだ。

 もしもこの世界で情報を誤解した者が悪意なくデマを広めてしまえばどうなるのかは考えなくても予想ができた。

 日本のように瞬時に情報伝達が可能な世界でなら、正しい情報を流すのも大事だが、正しい情報を少しだけ書き換えたようなデマが広まってしまえば、その被害の大きさは計り知れない。


「……正しい情報を知ることの方が大切ではないかと思いますけれど」

「それは、正しく伝わると確信できてる場合だけだね。例えば、そうだね。三日後に大きな地震があるから避難しないようになんて連絡を受けたら、アレッタさんはシルヴィさんになんて伝える?」

「それは……分かりませんわ。三日後に大きな地震があるから避難しないようにという矛盾した連絡が来た、と伝えるでしょうか」

「それを聞いたシルヴィは何をする?」


 レンにそう振られてシルヴィは首を傾げる。


「取りあえず食料を買い出しに行きますね。後は水を汲み置きするために甕を買います」

「まあ、そうだね。俺でもそうする。でも、元の言葉が『三日後に大きな地震が隣の街で起きる。その街は安全だから避難しないように』というものだとしたら?」

「……それならそこまで警戒しませんわね。でも、そんな風に歪んで伝わるだなんてありえないですわ」


 アレッタはそう言って頬を膨らませる。


「今の例が意地悪だったのは認めるけど、伝聞っていうのはどこかで歪むんだ。文字が抜けなかったとしても、それを伝える人の気持ちが乗っかったりね。例えばさっきのアレッタさんは「矛盾した連絡が来た」という本来の情報にないものを追加したよね。で、それを聞いたシルヴィがアレッタさんが言うのだからその情報は矛盾したおかしな情報なのだという前提で他の人に伝えれば、どんどん歪んだ情報が広がっていく。もしもその街の貴族が民を大事にしないタイプなら、避難民が街道を歩くと自分たちが馬車で逃げる邪魔になるからそんなお触れを出したんだ、なんて邪推が追加されることもあるだろうね。結果、貴族の屋敷が焼き討ちに遭うかも知れないし、食料の買い占めで物価が高騰するかも知れない」

「……それは……あ、でもそれなら街の掲示板に広報の文書を掲げれば」

「字が読めない人は他の人に聞くし、掲示板を見に行かずに近所の誰かから情報を伝えられる人もいるだろうね。結局、受け手がその情報をどう捉えるのかが分からない。すぐに誤解を解ける状態であるなら問題はないけど、そうでないなら過激な事件が起きないように、そもそも情報を伝えないというのもひとつの手段だと思うよ。それに、書き手が正しく伝えるとも限らないし」


 レンの話を聞いていたクロエは頷いた。


「実際、似たことがあったと聞いた。だから必要な対処はしっかり行なうけど、伝えるのはその責任者までにすることも多いとか」

「まあでも、普通なら正常性バイアスがあるから、そうそうパニックにはならないとも思うんだけどね」

「正常性ばいあす? お師匠様、それはどういうものでしょうか?」

「あー、ええと、例えば、多くの人は自分が死ぬと思ってないんだ」

「いくら何でもそれはないと思いますけど。生き物はいつかは必ず死ぬんです。お師匠様はエルフだからずっと先でしょうけど」


 シルヴィの言葉にアレッタとエミリアが頷く。


「正しくは、人は今すぐに自分が死ぬとは思ってない、かな。いつかは必ず死ぬけど、そのいつかは今日や明日のことじゃない。健康な人はそう思ってるはずだよ」

「それはまあ、そうでしょうね。今日死ぬかもって考える理由がないです」

「そういう、今までと同じ日常がずっと続くんだって根拠もなく信じてしまうのが正常性バイアスかな。何か起きても自分は大丈夫。まだ慌てる必要はないって、災害に巻き込まれてもそう考えてしまう心の動きのことなんだけどね、その正常性バイアスが働くと、多少の災害の情報を聞いても今回も大丈夫って考えるだろうから、そんな簡単に騒動は起きないと思うんだ」


 実際、東日本大震災の時、健司は緊急地震速報が鳴っても一度も避難をしなかった。

 当時東京に住んでいたため、震度5くらいの地震が来ても、今回のはちょっと大きめだな、くらいの感慨を覚えるくらいで、一応色々詰め込んだ避難袋を手に取ったりもせず、揺れに体を任せていた。

 たくさん酷いデマが流れたが、それらに対して対策を取ろうとも考えなかった。もしもデマが事実だったら、健司は今頃死んでいただろうことを考えると、デマはデマに過ぎなかったのだろうが、そうした危険に対する不感症的な反応は、改めて思い出すと少し怖いくらいである。

 だが、そうした心の働きを知るだけに、よほど信頼できる情報でなければ、多少のデマではパニックには繋がらないだろうとレンには思えたのだ。


「……レン、ひとつ間違いがある」


 珍しくクロエがレンに対して否定をした。レンは少し驚いてクロエに続きを話すように促す。


「近い内に大地震で街が崩壊するという不確定な噂なら、今回は起きないと思う人もいるかもしれない。でも、大地震で三日後に街が崩壊するという神託があれば、間違いなく街は三日後に崩壊する。その正常性なんとかは多分働かない」

「……なるほど。神様が生活と密接な関係があるだけに、その神様からの神託には特別な意味があるのか」


 日本で言えば、NHKで総理大臣が緊急の会見を行ない、某国が日本に向けて宣戦布告を行ない、ミサイルを発射したと伝え、被害予想地域に対して屋内に避難するように警報を発した程度の信憑性だろうか、とレンは納得した。


「そう。神様は滅多に間違えない」

「滅多に? いいのか、そんな風に言っちゃっても」

「英雄の時代の少し前、リュンヌ様は間違えた。それは誰でも知っている歴史」

「ああ、魔王になったことか……神様的にはそれは間違いってことになってるんだ」

「あれは過ちだと神様たちは考えている……ところで、レンは、サンテールの街に着いたら何をする?」


 クロエの質問にレンは決まっている、と笑った。


「まずはアレッタさんのお父さんの呪いを解呪して、神殿経由でクロエさんから結界杭の話を国にあげて貰う。それと並行してアレッタさんとシルヴィには作成可能なポーションすべてをそれぞれ30本作成して貰う。それが終わったら中級になるために俺がイエローリザードと戦ってる後ろで硫黄草を8本採取。あと、そうだ、サンテールの街に着いて、解呪が終わったら、俺の作ったサンドイッチを少し売りたい」

「サンドイッチ? 材料はあるの?」

「あー、前に作ったのが残ってるからそれを、かな。作りたての状態で保管されてるから賞味期限の問題はないはずだ」

「ならわたくしが買い取りますわ。ミーロの街で頂いたのはとても美味しかったですから」

「そっか、なら頼むよ」


 レンの料理人のレベルのレベルは初級で止まっている。

 これを中級にあげるためには自分で作った食料を10個、誰にでも良いから売ることで、中級昇格クエストが解放される。

 錬金術師中級で言えば、ポーションを作りまくるなどが10個売る、に相当し、イエローリザードの前で硫黄草を採取するのが中級昇格クエストとなる。

 解放されていないクエストについては、ゲーム中ではネットの攻略ページに記載があったが、残念ながらレンはそれを記憶していなかった。

 その状態であっても、中級昇格クエストがメインパネルに表示されるのであれば良いが、それがなれけば、昇格クエストが何なのか分からないまま、中級になれない可能性もある、とレンは気付いてしまった。もしもそうなれば、レンには失われた職業の全てを解放することはできなくなる。


「あー、いや、どうなのかな?」

「どうかされましたか?」

「うん。いや、何でもない。あ、そうだ、サンテールの街には薬草を栽培している畑とかはあるかな?」

「あるかないかで言えばありますけれど、街の中で育つ程度のものしかありませんわ」


 薬草の生育には一定の魔素が必要となるため、街の中では育ちが遅い。

 食糧自給を最優先にするのなら、薬草は外で採取し、安全な街の中の畑では農作物を育てるべきなのだろうが、昔から街の中で薬草を育てろと言い伝えられているのだ、とアレッタは答えた。


「十分だ。アレッタとシルヴィは、その畑に生えている薬草を何でも良いから各自20個、可能な限り丁寧に採取して」

「分かりましたわ」

「速度や数じゃなく、大事なのは丁寧さだからね?」

「それは良いのですが、お師匠様は街に着いたら解呪をするんですよね。アレッタお嬢様が一緒にいた方が宜しいのでは?」


 シルヴィに指摘され、レンは少し考えてからクロエに顔を向けた。


「それじゃ俺はクロエさんと一緒にそのえーと、アレッタさんのお父さんの解呪に向かおう。神託の巫女が付いてれば、信用されるでしょ?」

「……普通、神託の巫女という立場を身分証代わりにする人はいませんわよ……でもクロエ様が横にいるなら、レン様を疑う者はいないでしょうけれど……でも、状況を見て、可能ならわたくしも臨席いたしますわ」

「クロエさん、頼めるか?」

「口を挟まさせて頂きますと、レン殿はマリー様からメダルを貰っているはずです。そのメダルだけでも十分な身分の保障となるはずです」


 フランチェスカが横から口を挟むと、クロエは不満げに口を尖らせる。


「メダルなんてなくても私がいれば十分」

「そりゃそうかもだけど、あれってそんなに効果があるんだ」

「相手が公爵以上だと顔を合わせるまでの力はありませんが、屋敷の門を開けさせる程度の力ならあるかと。伯爵であれば、対話の要求を断られることはまずありません」

「……クロエさん、今度マリーと話すことがあったら、そんなのをほいほい知らない相手に渡すんじゃないって叱っておいて」


 コクリとクロエは頷くと、首の部分から黒っぽいメダルを引っ張り出す。


「こっちなら、王様でも呼び出せる」

「それ、絶対にやるなよ? 最初は状況説明で、次は協力体制の確立と今後の方針の立案のための会議。できるだけ相手が協力したいって思うようにしないと。情報がうまく流れないとかなら仕方ないけど、そうじゃなければ強制とかしたらダメだぞ」

「わかった。でも、最初から命令しないのはなぜ?」

「突然現れた連中に色々命令されても反発されるだけだからね。だからきちんと目的を理解して貰って、相手が自分から協力したいって言ってくるようにするのが理想なんだ。クロエさんだって急に知らない人から、自分は偉いからクロエさんは今すぐ聖域に帰りなさいとか言われたら、素直にはいって言えないだろ?」

「神様からそういう神託があれば従うけど、そうでないなら嫌……分かった。やっぱりレンの言うことには意味がある」


 うんうん、と微かな笑みを浮かべながら頷くクロエに、レンは首を傾げた。


「……クロエさん、もしかして心話でマリーに何か言われた?」

「言われた。何でもレンの言うことを聞きすぎるなと言ってたから、意味があるのかを確認した」

「なるほど。それは正しいことだから今後も続けるように」

「レンがそう言うのならそうする」


 そうやって、サンテールの街に着いた後の計画を相談していると、馬車の車輪の音が変化した。


「さあレン様、クロエ様、橋を渡りましたから、もうすぐサンテールの街ですわ」

「橋ってあれか? アレッタさんたちが流されてきた川のとか?」

「う……そうですわ。レン様が穴だらけにした聖域を通っている川ですわ……あら?」


 そこで馬車がゆっくりと停車した。


「到着したのか?」

「いえ、まだもう少し距離があるはずなのですが」


 アレッタが首を捻っていると、何やら外が賑やかになり、すぐに馬車の扉が開かれてエドが顔を覗かせる。


「アレッタお嬢様、神殿の先触れを聞いたコンラード様が迎えを出してくださいましたぞ」

「お父様が? そんな余裕はないでしょうに……挨拶をしますので、隊長を呼んでくださいまし」


 アレッタがそう言うと、エドの横から、30歳くらいに見える金髪を短く角刈りにした筋肉質で長身の男性が顔を覗かせ、アレッタの顔を見て破顔した。


「失礼するよ。お、アレッタ、無事だったか。エドワードが一緒だから大丈夫だとは思っていたが、自力で帰ってくるとは大したもんだ」

「叔父様? え、叔父様が迎えに来て下さるとは思っても見ませんでしたわ」

「何、魔石にはまだ余裕があるから問題ない。それよりも、迎えに来ずにまた行方不明になったりしたら今度こそコンラードが心労で倒れかねないからな……おっと、そちらのお嬢さんが神託の巫女様かな? 初めまして、わたくしはフレデリーコ・サンテール。コンラード・サンテールの弟です。ここからサンテールの街までは我々が護衛いたします。ご許可を頂けますでしょうか?」

「……許します。護衛がいるのであれば、エミリアを馬車の中へ」

「畏まりました」


 フレデリーコが下がると、入れ替わるようにエミリアとエドが馬車に入ってくる。

 エドは、アレッタの顔を見て好々爺のような笑顔を見せた。


「アレッタお嬢様、朗報ですじゃ。儂らと共に流された者は全員近くで発見されたそうじゃ」

「……それは、生きて発見されたのかしら?」

「……馭者以外はの。馭者だけは助けが間に合わなかったそうじゃ……しかし、あの状況じゃ。正直儂は、儂ら以外は全滅と思っとったよ」

「遺族の方がご苦労されないようにしてくださいまし」

「そうじゃの。それは生き残った者の務めじゃ」


 結界杭の外は命の危険がある場所である。

 そこに出て行く者が死んだ後、その遺族が苦労することになるのなら、自ら外に出ることを選択する者はいなくなる。

 そうなれば魔石の入手ができなくなって結界杭は機能を停止するし、流通が止まれば分業で成り立つヒトの社会も維持できなくなる。

 だからこそ、街の外で働く者が命を落としても、その遺族はきちんと保護されるのだと知らしめる必要がある。

 そうした打算的な考えから、この世界では遺族が保護されるようになっていた。

 それを知らないレンは、貴族社会なのに平民のセーフティネットとかちゃんとしているんだ、と感心しながらそのやりとりを眺めるのだった。

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