第33話 心話

 ヴァレリの村に到着したのは昼少し前くらいの時間だった。

 途中から少し雲が出て日は翳っているが、雨が降るほどではない。

 ヴァレリの村はとにかく広い村だった。

 塀はなく、村の周囲を木の柵が囲んでいる。その8割は畑で、残りを人と家畜が分け合って生活している。


 神殿というほど立派な建物ではないが、聖地の村にあった祠のようなものがあり、村長がそれを管理していた。


「――常と変わらぬ日々に感謝を。神託の巫女様、このような寒村にお運び頂きまして光栄の極みでございます」

「感謝と祈りを」

「村長殿、先触れの者が伝えているとは思うが、神託の巫女様に休んでいただくため、広場をお借りしたい」


 エミリアがそう告げると、村長は頷いた。


「お聞きしております。どうぞこちらへ」


 村長は井戸のそばに設えた、大きな天幕へと一行を案内する。


「広場でお休みしたいとのことでしたが、少し雲も出てまいりましたので粗末な物ですが天幕を用意させていただきました。もしも屋内がよろしければ、あちらの建物を浄めてございます……食事は不要とのことでしたが」

「感謝する。昼食はミーロの街の神殿が用意してくれた。無駄にはできない」

「その、せめて牛乳だけでもお召し上がりになりませんか?」

「それなら頂く。搾りたての牛乳は楽しみ」


 クロエの返事を聞くと、村長は満面に喜色をたたえ、すぐに絞りたてをお持ちしますと言って走り去った。

 それを見送り、レンはクロエに向き直った。


「クロエさん、なぜこの村では屋外にしたんだ?」

「多分、見るべきものがある?」


 クロエはそう答えたが、クロエ自身、それが何かは理解していないようだった。

 それを見て、レンは理由に思い当たった。


「それも神託か?」

「そう」

「なら仕方ないけど、村長が戻ってきたら、村の中をしっかり見るように神託があったって言っておこうな」


 レンがそう言うと、クロエは理解できないというように首を傾げたが、すぐに頷いた。


「レンがそうしろと言うならそうする」

「……あー、村長さんは村を代表してクロエさんに信仰心と感謝を伝えたいんだ。だから、そういう思いはきちんと受け止めてあげてくれ」

「……それは違う。村長が見ているのはクロエじゃなく神託の巫女。でも受け止めることについては理解した」

「神託の巫女はクロエさんだろ?」

「……そう。でも、それが分からない人は多い」


 クロエはそう呟く。

 今までクロエは、多くの人々から神託の巫女として敬われてきた。だが、その敬愛の感情はクロエではなく、神託の巫女という立場に向けられたものだった。

 仕方ないと思いつつも、クロエはクロエという人間の価値も認めてほしいと願っていた。

 勿論、マリーなどはクロエが神託の巫女でなかったとしても、同じように接してくれるだろうと信じていたが、マリー以外にクロエをクロエというひとりの人間として見てくれる者は少なかった。

 神殿の者はクロエを名前で呼ぶこともあるが、多くはそれすら恐れ多いと畏まったりもする。

 そこに現れたのが、神託の巫女の存在すら知らない英雄の時代の生き残りのレンだった。

 そして、レンに触発されたのか、アレッタたちもクロエのことを神託の巫女様ではなく、クロエ様と呼んでいた。

 アレッタたちは貴族とその従者という身分なので、どうしても神託の巫女と対等というわけには行かないが、レンに関してはそれを気にする必要はない。

 もとよりレンはヒトの作った身分制度の外側に生きるエルフだが、それに加えてこの世界の理の外の住民であり、神を畏れ敬う様子すらないのだ。

 だからクロエはレンに対して、子供の頃、まだ神託の巫女となる前に数人だけいた遊び仲間のように接したいと考えていた。

 アレッタやシルヴィはそれをレンに対する慕情と捉えていたが、そもそもが、クロエはまだ初恋も知らず、ただレンを幼い頃に仲の良かった友達と同列に扱っていた。今のところ、それを正しく理解しているのは当のクロエ本人とレン、それにマリーくらいのものだった。


「クロエさんの妹……マリーなんかはちゃんとクロエさんを見てるように見えたけど?」

「マリーや聖域の人たちはちゃんと分かった上で私を神託の巫女と呼ぶ。数少ない例外」

「……普通に考えて、自分をちゃんと理解してくれる相手なんて、家族の他に5人もいたら大したものだと思うぞ?」

「レンは孤独?」

「いや。でも、俺の育ったあたりだとそんなもんだぞ」


 健司にも数は少ないものの、気のおけない友人はいた。

 学生の頃に仲が良かった友人は、仕事に追われるようになってから疎遠になっていたが、たまにでも会えば話は弾むし、お互いに相手が困っていたら助け合う程度には仲がいい。

 だが、社会人になってからは意識して会いに行かなければ会えなくなり、最後に話したのも数年前のことだった。

 レンとしてゲームの中で知り合った、本名も電話番号も知らない友人も多い。そうした友人の中に、数人程度はリアルで交友関係を構築してもよいと思える者もいた。しかし実際にオフ会などが開催されても、健司はそうした集まりに顔を出すことはなかったため、実際にそういうメンバーとリアルで会うほどに親しくなったことはなかった。

 結果、健司にとって本当に気のおけない友人だと言えるのは、最後にあったのが数年前という、3人だけだった。

 それを考えれば、クロエをきちんと理解してくれている人は、決して少なくはない。


「クロエ様、わたくしも、きちんとわたくしを理解してくれるような友人はまだおりませんわ」

「アレッタも? でも、シルヴィは?」

「シルヴィやエドワード、他にもサンテール家のメイドたちは私のことをきちんと理解していますけれど、残念ながらその関係は友人ではありませんわ。彼女たちはわたくしをアレッタ個人ではなく、サンテール家のアレッタとして見ていますもの」

「そうなの?」


 クロエはアレッタの後ろに控えるシルヴィにそう問いかけた。


「えーと、そうですね。残念ですがアレッタお嬢様はお友達ではなく、仕えるべき主です。だからと言って、お友達よりも低く見てるわけじゃありませんよ?」

「……難しい」

「まあ、人と人との関係には色々な種類があるって事だよ。友達じゃなくても信用できる人はいるってことだけ覚えておくと良いと思うよ」

「分かった」


 そんな話をしていると、村長が搾りたての牛乳と、村の特産品であるというチーズを持ってくる。

 クロエは村長に礼を言うと、レンに言われた通り神託があったことを村長に伝え、それに恐縮した村長が村の案内をすると申し出たが、結界杭を整えるための仕事をする際に余人を交えてはならないから、と村長を下がらせ、手早く食事を済ませる。

 食後に村長に牛乳とチーズの礼を述べ、レンが結界杭の保守を行ない、アレッタとシルヴィがそれを見学する。

 クロエはレンの少し後ろからそれを覗き込む形である。

 そんなことをしていれば目立つのは如何ともしがたく、遠くから見物する村人や牛たちに愛想を振りまきながら結界杭の保守を行なうのだった。

 そして、結界杭の保守が終わり、広場の天幕の所に戻ると、唐突にクロエの動きが止まった。

 そして、そのままレンの背中に向かって倒れ込む。


「クロエ様?」


 周囲に気を配っていたフランチェスカが手を伸ばすが、その手が届く前にレンはクロエを抱き留めていた。


「……クロエさん? ……フランチェスカさん、これってどういう状況ですか? 何か持病でも?」


 体温、呼吸、発汗、顔色など、見て取れる範囲に異常はないと判断したレンは、意識をなくしているように見えるクロエを抱き上げると、フランチェスカにそう尋ねる。

 それに答えず、クロエの様子を見たフランチェスカは、天幕の下の椅子にクロエの体を腰掛けさせるようにレンに頼む。


「意識ないのに座れるんですか?」

「恐らくですが、この状態は心話の技能を使っています。いつもなら、事前に準備してから行なうのですが……エミリアとエドワード殿は人払いを」

「どういう状況なのじゃろうか?」


 エドは周囲に視線を巡らせ、近付こうとする者がいれば、鷹揚に、それでいて強い視線で威嚇しつつ追い払うように手を振って近付かせない。

 エドの言葉にエミリアは困惑したような表情をする。


「それが、見た目は心話の技能を使っているときにそっくりですが、今までいきなりこの状態になったことはないのです」


 クロエは椅子に座ったまま、目を閉じていた。

 少し体がユラユラしているが、遠目には異常はなさそうに見える。

 医療の心得があるのか、フランチェスカはクロエの腕を取って脈を測り、額、首を確認する。


「……脈も熱も異常なし。呼吸も正常で顔色も悪くないですし手も指も暖かです。御神託ならこの時間にあるはずもないです。レン殿、何か使える錬金術の薬はないでしょうか?」

「気付薬程度ならあるけど、理由も分からずに与えるのは薦めない。その、心話の技能ってのはどういうものか教えて貰っても?」

「心話が使える者には特別な名前があるのですが、それを知る者同士は、言葉を交わさず連絡ができるのです」


 フランチェスカの話を要約すると、それはフレンド間のメッセージ機能によく似ていた。

 相手の特別な名前――メッセージIDを知っていれば離れている相手に言葉を届けることができるというものだ。

 ただ、レンの知るメッセージ機能と比較すると、対話中に意識を逸らしてしまうと対話が中断してしまうなど、微妙に使い勝手が悪くなっている。


「その、心話ってのは、珍しい技能なのかな?」

「そうですね。記録にある限り、歴代の神託の巫女様と、その周囲の者が得たことがあるようです。現在知られているのはクロエ様と、他数人だけですが、クロエ様は、神託の巫女となられる前から心話をお使いでした」

「……随分と限定的な技能だな」


 遠隔地と連絡が出来る貴重な技能ではあるが、使い手が少ないのでは用途が限られるし、有効利用しようとすれば、クロエと親しい者をクロエから引き離すことにもなりかねない。


「……でもなるほど、クロエさんが俺に付いてきたのは、聖域の村の結界杭の実験結果を受信するためだったのか」


 神託で神様が伝えてくれるからクロエが同行しなければならないのだと思っていたレンは、ようやく合点がいったという顔をする。


「それにしても、その心話ってのは、ここまで集中しないと使えないものなのか?」

「はい。ですが、普段なら、心話をする前に椅子に座るなりされてますし、ここまで長時間なのは見た事がないのです」

「……大丈夫」


 ふらり、と頭を揺らしてクロエが目を開いた。


「クロエ様!」


 フランチェスカがクロエの頭を抱きしめる。

 その後ろでエミリアも、出遅れたという顔をしつつ、手を出したそうにうずうずしている。


「フランチェスカ、苦しい」

「心配したんですよ。お身体に異常はありませんか?」


 問われたクロエは椅子に座ったまま体を捻ったり手を挙げたりする。

 ひとしきり椅子の上でストレッチのようなことをして満足したのか、クロエは頷いた。


「問題ない」

「それはようございました。一体何があったのですか?」

「……それは」


 クロエは、周囲を見回し、自分たち以外が近くにいないことを確認するとレンに向かって、こっちに来いと手招きする。


「なんだ?」

「レン、しゃがむ」


 言われるがままにレンがクロエの前にしゃがむと、クロエはレンの長い耳を引っ張り、その耳に囁いた。


「マリーから連絡があった。聖域の村の結界杭は、グリーンの魔石だけで魔物を弾き返した。数回試しても、魔石の色に目に見える変化はなかった。レンが直した結界杭は緑の魔石で運用できる」

「……朗報だな。でも、急に意識がなくなったから驚いたよ。心話で話す前に、みんなに一言掛けるべきだったな」

「……次からはそうする」

「それにしても、結構長く話してたな。他にも何かマリーから連絡があったのか?」

「お互いの近況報告?」


 フランチェスカに抱きしめられたまま、こてり、と首を傾けるクロエに、あんまり皆を心配させるんじゃないと一言言うと、レンは背中に感じる視線に振り向いた。


「レン様。大ニュースですわね」

「ああ、これでアレッタさんとシルヴィには、これから色々とやって貰うのが確定した」

「アレッタお嬢様だけではなく、私もですか?」

「多分アレッタさんとシルヴィは、この世界で一番錬金術師の中級に近い所にいるからね。錬金術師中級が三人になれば、それだけ早く国中の結界杭の保守ができるだろ?」


 もしも一つの街の結界杭が緑の魔石で維持できるようになれば、その時点で街ひとつ分の余裕が生まれる。そうなれば生き延びられる街や村が増え、それどころか、いずれは放棄した街や村を人の手に取り戻すことすら可能となる。

 放棄する前に救うことができれば、復旧に必要な時間を削減できるし、放棄した畑が荒れ果てる前に取り戻すことができれば、食料の確保も容易になる。

 もちろん街や村、農地を維持するために必要な人口を考えれば、今のままでは大幅に人手が不足しているが、食料供給が安定し、戦う相手が比較的弱い魔物でよいとなれば、この世界で人口増加を妨げる要因は少ない。

 人口増加に向け、まず必要なのが、今より状態を悪化させないための早めの対策だった。


「世界を救うためなら頑張りますけれど、それにはクロエ様の御力もお借りしないとですわね」

「ああ、国の上層部を説得してもらうのはクロエさんに期待している」

「まかせて」

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