第31話 私は自由
完成したミスリルのインゴットを積み上げるレンの横で、ベニート達は疲労の色を隠そうともしていなかった。
疲れの理由は3つあった。
ひとつ目は、レンが行っていることを僅かなりとも理解できる者がひとりしかいなかったからである。
鍛冶師のひとり、ウーベルトは火魔法を使う魔術師から鍛冶師に転職した経歴を持ち、それゆえ、魔術師の基本技能である魔力操作も魔力感知も使うことができた。
だから、レンが行った操作についてある程度理解すると共に、同じ事をするには自分では技量が足りていないということも理解できてしまった。そしてウーベルト以外はレンが何をやっているのかがまったく分からなかった。
ふたつ目は、炉の高温に当てられての事である。
工房の炉は、通常鍛冶師達が使っている炉と基本的な構造こそ類似していたが、魔力操作は炉に密着して行われたため、それを横で見ている鍛冶師達も輻射熱で汗だくになっている。
レンはと言えば、火竜の鎧の熱耐性の効果でそれほど熱を感じてはいないが、それでもそれなりに疲れていた。また、大量のミスリルの製錬のために魔力回復ポーションを使用していたため、胃はタポタポになりつつあった。
方孔から撹拌棒を突っ込んで溶けたミスリルをかき混ぜ、魔力を浸透させて魔力の層が出来るようにミスリルを畳む。畳むと言っても完全に液状になっているため、目に見えるような変化はないが、魔力が十分に行き渡ったと判断するまでそれを繰り返したのだ。普段の製錬よりもハードな作業に、鍛冶師達はそばで見ているだけでも汗まみれになっていた。
更には、出湯口から流れ出たミスリルを型に流し込みつつ魔力を通し、一気に冷却したのだ。型に流し込む際にそのすぐそばで魔力操作を行うレンを、鍛冶師達は異様な者を見るような目で見ていた。
三つ目は、シルヴィとアレッタが一緒にレンの手元を覗き込んでいたからだ。
シルヴィはともかく、アレッタはいかにも貴族の娘らしい物腰で、シルヴィもアレッタお嬢様などと呼んでいる。
間違っても肩が触れたりしないように、鍛冶師達は距離を置きつつ、それでもレンの技に興味を惹かれてレンの手元を覗き込む。そんなことの繰り返しに、鍛冶師達は精神的に疲弊していた。鎚を持って剣を打つのなら徹夜にも耐えられる彼らだったが、精神面の疲弊は彼らにしてもあまり経験がなく、その他の疲れと相俟って、疲労の極に近い状態となっていた。
もしもレンがその状態に気付いていれば、スタミナ回復のポーションを飲ませていただろうが、現実になった世界で初めて使う本格的な炉に夢中になり、あまり気が回らない状態に陥っていたため、鍛冶師達の疲労は長引くことになった。
「レン! もう外は暗い。まだ掛かる?」
「ん? ああ、そうだな……まだ少し熱を持ってるけど、グローブしてれば触れられない程じゃないし、そろそろ終わりにするか……もしかしてお腹減ったか?」
レンの問いに、クロエはこくりと頷いた。
「なら、片付けをするから、これでも食べててくれ。ああアレッタさんもシルヴィも」
レンは手持ちの料理の中から、力のハムチーズサンドイッチを取り出し、丸太の上に皿ごと乗せる。
そして、パンだけでは喉に詰まるかも知れないと、薬効成分抽出用の陶器のポットを純水で満たして温度調整で90℃にすると、そこに数種類のハーブを入れてハーブティにする。
「シルヴィ、このポットにお茶が入ってる。あ、しまった。コップは持ってないな」
「あ、聖堂の村でクロエさん用ってことで食器類はたくさん貰ってますから大丈夫です」
「それなら、取り皿にサンドイッチを乗せて、ベニートさん達にも渡してあげて」
「はい、お師匠様は片付けって、何をするんですか?」
「炉の掃除かな。まだ炉の中には燃えてる炭が残ってるから完全な掃除はできないけど、ノロを取り除くくらいはできるからね」
「レン様、ノロって何ですか?」
「ええと、スラグで分かるか? 要は鉱石に含まれてた、ミスリル以外だ。まあゴミだな」
レンの言葉を聞き、ベニートが手を挙げた。
「レン殿、もしもスラッグを廃棄するのであれば、頂きたいのだが」
「ええと、ああ、レンガでも作るんですかね?」
「それにも使えるが、伝承が正しければミスリルのスラッグは、製鉄時のスラッグよりも良い肥料になるらしいんだ」
この世界に於いて、鉄を製錬した際に出るスラッグはレンガやセメント、埋め立て等に利用されるが、そこに含まれるケイ酸カルシウムが小麦の肥料として使われることもあった。
ミスリル製錬時に出るスラッグは、これよりも更にイネ科の植物の成長を促進すると言われており、恐らくはミスリル製錬時に多くの魔力を浴びるからだろうとされていた。
「肥料……ああ、なるほど。処分してくれるんならこっちとしては歓迎だけど、どうやって持ってく?」
「スラッグ用の手押し車があるから、それに入れて持って帰るさ……ライモンド、構わないだろ?」
「レンさんが良いって言ってるんですから問題ないです。手押し車、使い終わったら戻しといてくださいね」
ライモンドの言葉にベニートは頷くと、金属製の箱が付いた手押し車に、冷えて固まり始めたスラッグを掻きだすのであった。
工房での作業が終わる頃には、エド、エミリア、フランチェスカも工房にやってきて、クロエ達を護るように立っていた。
「エドワード、そんなに威圧するものではありません。さっきまで、わたくしたちの隣でレン様の作業を見ていたのですから、害するつもりなら幾らでもその機会はありました」
「……威圧をするつもりはないのじゃが……森で魔物と戦っていたから、まだ少々殺気だっておるのかも知れんの」
「エミリアとフランチェスカも座ってこれを食べる」
「クロエ様、護衛中に座るわけには……」
「そうですクロエ様。食事なら携帯食を食べてまいりました」
「いいから食べる」
クロエはサンドイッチが載った皿をふたりに差し出す。
エミリアとフランチェスカは顔を見合わせると、まずエミリアがサンドイッチを手に取り口にする。それを隙にしないため、フランチェスカはエミリアとクロエに背を向けて警戒に当るが、
「なんですか、これは!」
というエミリアの声に振り向くことになった。
「レンが作った料理。疲れが取れる効果もあるけど、何より美味しい」
「……ええ。パンはふんわりしっとりで、ハムもチーズも……こんなの……普通の料理人じゃ作れません」
レンが出した皿に載っていたのは調理に成功した力のハムチーズサンドイッチだった。
エミリア達がやってくる前に食べたクロエ達も大騒ぎをしたのだが、クロエは涼しい顔である。
「なんで……こんなに美味しいものがあったのですか?」
「レンが作った……美味しさの秘密は、素材の品質が揃っていて、よく切れるナイフを使ったから。とレンが言ってた」
レンの言葉を伝えるだけの筈なのに、なぜか自慢気にクロエが胸を張る
「材料って言っても、パンとチーズとハムと、あとマヨネーズくらいですよね、これ」
「全部魔力が通してある。品質が統一されていると、均等に魔力が浸透する。らしい」
「それにしてもこれは凄い……」
「エミリア、いつまで話してるんだ。早く変われ。私にも食べさせろ」
焦れたようにフランチェスカが声を上げる。
エミリアは残ったサンドイッチの欠片を口に放り込むと、苦笑しながらフランチェスカと場所を変わるのだった。
最終的に、工房の後片付けはライモンドとベニートたちに任せ、レン達は神殿に戻った。
折角燃料を使って炉を暖めたのだから、ベニート達も実験をしたいとのことで、ライモンドがキーンに許可を取ってきたのだ。
料理人の職業を身に付けていなくても目玉焼きくらいは作れるように、鍛冶師中級の技能がなくても、代替できる技能があるのなら、完全ではないにせよミスリルの製錬は可能かもしれない。と、レンは難しい表情で考えていた。
鍛冶師がミスリルを十全に扱えなかったとしても、ミスリルで作った刃物は脅威となる場合がある。
魔法をのせれば、それだけで攻撃力があがるし、魔法剣士という職業の者が使えば、攻防に優れた武器となる。
鍛冶師中級の技能がない以上、出来るのは三流品だと油断したが、甘く見すぎていたかも知れない、とレンは頭を悩ませていた。
「レン。悩みごと?」
神殿に部屋を借りた一行は、食堂でレンが用意したお茶を飲んでいた。
レンが暗い顔をしているのを見たクロエは、レンの正面の椅子に座り、お茶の入った陶器のコップで手を温めながら、そう切り出した。
「悩み事、かな……鍛冶師にミスリルの製錬を見せたけど、あれで作った道具が人間同士の戦いで使われたりしたら嫌だなって思ってね」
レンの言葉にクロエは不思議そうな表情をする。
「それはない。技能は神の恩恵であり祝福。神の意思に反する使い方をすれば祝福たる技能は失われる」
「失われるってのは、文字通り技能がなくなるって意味なのか?」
「そう。技能で不当に人を害すると技能と、それに関する記憶が失われる」
「それって、技能で武器を作って、それで人を傷付けたりだとどうなる? あ、あと、護衛とか」
レンの問いにクロエは少し斜め上を見上げるようにして答えた。
「判断は裁定の神が行う。例えば民を害すると知りつつ武器を作れば、鍛冶師の技能が失われる。民に向かい、不当に剣を振るえば剣士の技能が失われる。自身や他者を護るために戦うのは神の意志に反する行為ではない……過去の事例から、そう伝えられていた、はず」
「……意地悪な質問かもだけど、例えば、家族が食べるものがなくて死にそうで、家族に食べさせるために他者を傷付けたら?」
「理由がどうあれ、落ち度のない相手に襲いかかるのは神の意志に反する行為……裁定の神はすべてを見通す。嘘や誤魔化しはきかない……安心できた?」
心配そうにレンの様子をうかがうクロエに、レンは頷いた。
「ああ、そういうのがあるのなら、まあ少しは安心かな……因みに、神の意志に反したら技能を失うっていうのは、みんな知ってることなのか?」
「常識。初めて職業に就く時に神官から説明を受ける……あ、でも」
「どうした?」
「これは神殿の古い書物にしかないこと。英雄たちは何をしても技能を失うことはなかったらしい」
ああ、とレンは頷いた。
ゲームではNPCを倒すようなシナリオもあったし、中にはプレイヤーが無辜の民に剣を向けなければ解決しないものもあった。
英雄の時代――ゲームの中では、それは許容される行為として設定されていたのだろう。そう判断したレンは、今はどうなのだろうかと考え、考えて結論が出るものでもないし、そもそも自分はそんなことはしない、と考えるのを止めるのだった。
「まあ、俺はそんなことしないから」
「大丈夫。レンがしたいようにすればいいというソレイル様のお墨付きを貰っている」
「だからしないって……それにしても……アレッタさん。この……せか……国には街や村はいくつくらいあるのか分かる?」
「……レンはまず私に聞くべき」
「……あー、アレッタさんごめん、そういうことだからクロエさんに聞くよ」
くすくす笑いながら頷くアレッタに、レンは片手を立てるようにして謝った。
「……それじゃクロエさん、教えて貰えるか?」
「……まかせて。フランチェスカ、レンに答える」
「は。正確な数字ははっきりしませんが、2ヶ月前の時点で約50の街や村が残っていると聞きました」
「2万人しかいない割に多いな。平均で各居住地に400人か。……ああ、そうか。食料と魔石確保のためか」
「後は、街道の維持のためでもあります。街や村が減ると、野営なしでの移動が困難になりますので」
「たしか、街道には20キロにひとつくらいで街があるんだっけ? あれ? でもそれだとちょっと多いか?」
レン達がいる島に名前はなく、ただ本島と呼ばれている。本島を横断する街道はざっと800キロで、東の海岸から西の海岸に繋がっている。20キロおきに街なり村なりがあるのなら、街や村は40で足りる。
レンの疑問にはエミリアが答えた。
「鉱山や島嶼部ですね。そこから得られる資源がなくなれば、人間世界の維持ができなくなりますから」
「なるほど……で、50か……結界杭の保守に必要なミスリルは足りるけど」
「問題? レン、心配事は話して」
「懸念がふたつ……三つかな。まずひとつ。保守でグリーン系の魔物の魔石で結界杭がきちんと稼働するのかの連絡がまだきてない。ふたつ、俺たちだけで50もの街や村を保守して回ってたんじゃ、時間がかかる。できるだけ早く、魔石供給が足りていないところから回るとかの優先順位を付けた対策が必要になる。三つ。いきなり俺が保守するって言って街に訪れても、信用して貰えないだろうな」
「ひとつめは聖域の村で実験している。結果は数日で分かる。ふたつ目は、王都に行けば放棄した街の結界杭が保存してあるから、それを使えるようにすればレンは動かなくて済む。三つ目。私がいれば問題ない」
クロエの発言を聞き、レンはその視線をエミリアに向けた。
「なんか、帰る気ないみたいですけど、神殿としてはどうなんですか?」
「神託の巫女様は、普通は聖域の聖堂にて過ごされますが、それはそういう決まりがあるわけではありませんので……」
「私は自由」
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