第30話 工房と反射結界
ルドルフォの様子を見て、改めてレンはクロエのことを魔力感知で確認した。
先程はアレッタに、マントしか見えないと言ったが、レンほどになると、魔力が重なった部分もそれなりに視えてしまう。
肌が見えるわけではないので、体のラインがはっきり見えてしまう程度だが、普段から体の線を出さない服を着ているこちらの人間にしたら、裸と然して変わらないと感じるのかも知れない。
ルドルフォが考え込んだ理由を探してクロエの魔力の状態を確認したレンは首を傾げた。
クロエの魔力には特に違和感はない。だが、少し考えて、それこそがルドルフォが考え込んでいる理由だと思い至った。
「クロエさんって、人並みの魔力操作しかしてないんだな」
「レン、また見てた?」
「ああ、ごめん。ルドルフォさんが何を気にしているのかが気になって」
「それでレン様、何が起きてますの? 私から見てクロエ様には何の異常も見付かりませんわよ?」
アレッタがそう尋ねると、同意の意を示すようにシルヴィもこくこくと頷いていた。
「ああ、うん。まあ、異常がないのが異常って言うか……クロエさんの魔力操作は、魔法を使えない普通の人と同じ程度なんだよ」
「そうっ! そこの護衛のエルフ君の言う通り。魔術師や神官のように魔法を使える職業に就いた者は、魔力操作という基本技能を覚えて、常時、これで体内魔力の循環を行うようになるものだけど、神託の巫女様の魔力はほとんど動いていないのですよ。神託という神の奇跡を顕わす巫女様なら、もっと活発に魔力操作を行っているものと思っていましたので、考え込んでしまいました」
「クロエさんの職業の基本技能ってどうなってるのか聞いてもいいか?」
「レンがそう望むのなら……私は職業を授かる前に神託の巫女になった。神託の巫女には基本技能はない。あるとき御神託の技能を得たから神託の巫女となっただけ。あとは必要だからと奉納舞と聖典を覚えたけど、これは技能として習得した物じゃない……あ、子供の頃からマリーとの間で使える心話という技能を覚えていたけど、その程度」
「メインパネルだとどう見える?」
「メインパネル? 知らない。何それ?」
レンはまじまじとクロエの顔を見つめ、視線をアレッタに向けた。
「私も知りませんわ。どういうものですの?」
「ええと……自分の技能が見えたりするものだけど……」
「ああ、鑑定板ですわね? 冒険者ギルドにありますわ」
『ある』という表現で、レンは冒険者ギルドにあった黒い大きな板のことを思い出した。
プレイヤーはメインパネルがあるので使うことはなかったが、NPCたちは職業を得たり新しいレシピを覚えた時、その板で状態を確認をしていた。
NPCの常識として、技能を授かった時に何となくそれが分かるが、鑑定板で見る以外に、自身の技能の正確な情報を知る方法はないのだ。
「あー、そっか、まあ、鑑定板? 使えば技能を確認できるんだよな?」
「神託の巫女になった時に一度検査したけど覚えてない」
「まあ、神託を受けるのが仕事ってことなら、技能なんてそんなに気にしたりはしないか」
レンの言葉にクロエは頷いた。
それを見て、レンはルドルフォに視線を向けた。
「さて、ルドルフォさん。こんなもので良いかな? 護衛としてはこれ以上の接触は控えて貰えるとありがたいんだけど」
「……そうだね……神託の巫女様。機会があれば、神託を受ける時の魔力の動きを観察させていただけませんか?」
「無理。神託は望んで得るものではない」
「なるほど、いつ神託があるか分からないから、観察させていただくのは難しい、ということですね? 承知しました。まあ、そんな機会があれば、ということで覚えておいて頂ければと」
「覚えておくけど約束はしないしできない」
クロエの言葉に満足げな笑みを浮かべてルドルフォは頷いた。
「巫女様の記憶に留めて頂けるだけでも光栄の極みです。それでは護衛のエルフ君。僕らはこれで失礼するから、巫女様をしっかり護ってくれ給え……と、そうだ」
ルドルフォはその場でレンに背中を見せ、森の中に視線を送った。
そして、右手を森に向けて突き出すと、短縮詠唱で呪文を発動させた。
「焔よ、我が意に従い敵を穿て。
直後、木々の梢に潜んでいた黄色い蜘蛛の魔物が焔の槍をその腹に受けて落下してくる。
地面に落ち、鳴き声とも牙を鳴らす音とも付かぬ断末魔を上げるイエロースパイダーに向かってステファノが駆けより、背中から抜いた二本の短槍で蜘蛛の頭部を貫き、頸部を半分ほど切り裂いた。
「ルドルフォ様、終わりました」
「うん。ステファノ君、お嬢様方にあまり凄惨な物を見せてはいけないよ?」
「失礼しました」
ステファノは槍を振って蜘蛛の体液を払うと、その一本を使って蜘蛛の腹部の背中側を切り裂き、槍の先端部を使って器用に内臓を切り裂くと、中から硬い物を弾いてレンの方に飛ばす。
それを片手で受け止めたレンは、素早く洗浄を掛ける。
「魔石ですか。くれるんですか?」
「迷惑を掛けたお詫びってことで、つまらない物だけど受け取って貰えるかな?」
ルドルフォの言葉に、レンがクロエに視線を向けると、クロエは頷いた。
それを見て、アレッタが声をあげる。
「神殿への御寄進としてありがたく頂戴します。それでは、これで失礼いたしますわ」
「ええ、それでは、ごきげんよう。ステファノ君、蜘蛛なんか解体してないで、もう行くよ?」
ルドルフォに声を掛けられ、ステファノは蜘蛛の足を抱えて戻ってきた。
「これもどうぞ。ここに置いておきます」
ステファノは蜘蛛の脚6本を結界杭の下に置くと、クロエに頭を下げて残り二本の脚を抱えてルドルフォの後を追い掛けて街の方に消えていった。
「……さて、蜘蛛の脚なんて残してったけど、クロエさんは食べるのか?」
「好き」
「……そうか……そしたらええと……」
レンはポーチから防水防汚加工が施された大きなゴミ袋ほどの布の袋を取り出すと、蜘蛛の脚をしまいこんでポーチに戻した。
そして、
「……魔力感知で見た限り、この杭はどういう訳か、他の杭よりも消耗が少ないけど、まあ、一応ミスリルの補充はしておくから、ちょっと待ってて」
レンの言葉にクロエはこくりと頷く。
シルヴィとアレッタはレンの後ろから覗き込むようにして、レンの手元を注視する。
「……まず、魔力感知でミスリルの状態を確認する。稼働中の結界杭の魔石入れから伸びるミスリルの線には、魔力が通ってるから、コツを掴んだら見間違えることはない」
「手元に大量の魔石があるのに、魔力感知でミスリルを確認できるんですのね」
「ああ、肉眼的に表現すると結構手元の魔石が眩しいけど、ミスリルの線が見えなくなるって程じゃない。で、魔力が通ってる線のそばに、魔力をまったく通さない溝状の壁があるんだ。その壁とミスリルの線の隙間を埋めてやるわけだけど……」
レンの説明に頷き、時折首を傾げて質問をするアレッタとシルヴィを、クロエは羨ましそうに眺めていた。
そして、レンが用意したミスリルのインゴットがなくなり、レンが終了を告げると、4人は街を囲む塀の中に戻り、レンが加熱した炉のある工房に向かうのであった。
「お、いい感じな煙が出てるな」
煙突を見上げてレンが呟く。
煙突からは透明な陽炎のような物が立ち昇っていた。煙突から出ているのは透明のガスだが、はっきりと見て取れるほどの量だ。
工房に入ると、炉の前に数人の鍛冶師らしき連中が集まっていた。
キーンが手伝いにと連れてきたライモンドは、炉の前に陣取って、鍛冶師達が炉に近付けないようにしている。
「ライモンド、この有様は?」
レンの声に、レン達の帰還を知ったライモンドはホッとしたような表情を見せる。
「はい、この工房の炉に火が入ったのを、煙を見て知った近所の工房の親方達が集まってきてしまったんです」
「……お前さんが小僧が話していたエルフか……儂はベニート、見ての通りのドワーフだ。炉に火を入れたのはお前さんかい?」
4人の鍛冶師達の中で、一番年齢が行ってそうなドワーフがレンの前にやってきて淡々とそう尋ねてくる。
レンは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「儂らにも、お前さんの技に触れる機会を貰えんじゃろうか?」
「……ええと、申し訳ないんだけど……いや、秘密があるとか、見られたくないってわけじゃなくてだな」
レンとしては、それを見られても一向に問題はないのだが、炉に集中しているタイミングだと、護衛が若干疎かになってしまうため、屋内に自分たち以外がいるという状況をよしとすることは出来ず、曖昧な答えになってしまった。
「都合が悪いということか?」
「まあ、そうですね……今回、俺はガリレオさんに工房を借りてます。で……あちらにいる女性がサンテール領のお嬢様でして」
レンがアレッタの方を指し示すと、ベニートは納得したように頷いた。
「なるほど。御貴族様がいるんじゃ、好き勝手は出来ないか。残念だが、次の機会を待つことにするよ」
「……クロエさん、ちょっと」
あっさり引き下がるベニートを見て、レンはクロエを呼び寄せた。
「何? ブレスレットを渡すのならふたりきりの時にして欲しい」
「そうじゃなくてさ、この人達に話してもいいかな?」
何を、という部分をぼかしてレンが尋ねると、クロエは首を傾げ、心底不思議そうにレンの目を見つめた。
「レンがそう望むのなら好きにしていい。私の答えは変わらない」
「……そっか、ならベニートさんたちに話があります。これを聞いたら、工房での作業が終わるまで帰れると思わないでください。それでも聞きますか?」
「ああ、
ベニートの後ろの3人も重々しく頷いた。
「なら……さっきのは理由のひとつで、こっちが本命です……こちらのクロエさんは神託の巫女。で、俺はその護衛なんだけど、ここでは炉を扱うから、その間、護衛が行き届かないこともある」
「なるほど……それは、知らない連中にいて欲しくないと思うわけだ……でもそれを聞かせたと言うことは?」
「あっさり引き下がろうとしたあなたたちを信じることにしました。ただし、失礼ですが、これだけは許してください」
レンはポーチから椅子代わりの丸太を取り出して並べると、その周辺に同じサイズの丸太を並べて銀色の紐でつなぎ、クロエ達に紐で囲まれた範囲内に入るように指示をする。
「レン様、これはどういう物ですの?」
「うん。回数制限なんだけど、中にいる人が危険を感じると一瞬だけ結界が張られるんだ」
「つまりお師匠様、結界棒や結界杭が常時結界を張るのに対して、こちらは半自動で結界は一瞬だけなんですね? 回数制限ということは、それだけ結界が強力なのでしょうか」
「うん。良く理解できたね?」
「本の中級向けの部分に記載がありましたから……でも、結界杭などの結界は人間には通じないと思ったんですけど?」
シルヴィは首を傾げて考え込む。
レンは感心したように頷いた。
「十分な理解だね。その通り。結界棒、結界杭は生きた魔物および、魔物に起因する現象を弾くのに対して、この反射結界――通称、反射界が生み出す結界は、内部の人間が脅威であると感じているものを反射するんだ。射出地点が分かっている場合は、そこへの完全反射だから、反撃の効果もある……ただ、使える回数は多くないし、中にいる者が脅威と判断していないものは透過させるから、正直、使い勝手が悪いんだ」
『碧の迷宮』は、様々な事柄を現実よりもリアルに感じさせるゲームだったが、VR関連規制法により、MMORPGとしては致命的とも言える制約があった。
それは
様々な抜け道こそ発見されたが、その抜け道――NPCにプレイヤーを襲わせる、魔物にプレイヤーを襲わせるなど――を塞ぐため、運営が作り出したのが反射界という魔道具だった。
魔物や
気を張り詰めていれば魔物に起因する攻撃だろうが、NPCによる攻撃だろうが、きっちりと弾き返すことができるが、回数制限もあれば、無効化する手段も存在する。
だが、狭い屋内で、何かあればレンが駆けつけられるという条件であれば、それらの問題を無視できる。
一回目の攻撃を凌げさえすればいい。レンはそう考えて反射界を使うことにしたのだ。
「さて、それじゃ、炉も暖まってきたし、
「いいのかね? もちろん儂は覗いてみたいぞ」
「魔力操作を行わないってことだけ気を付けてくれれば問題ないです……この魔力反射炉の構造については知ってますか?」
「ああ、炭で炉内を高温にして、炉内で熱を反射させることで、決まった場所に置いた鉱石が溶けて、金属が流れてくるんだよな? で、普通の反射炉との違いは、溶けた金属が溜まった部分に魔力を通せるように、魔力を反射する仕組みも備えているってところだ……違ったか?」
「その理解で大体合ってます。正確には反射するのは熱だけで、魔力は屈折、集束されるんですけど、目的は間違ってません……それじゃ、方孔のブロックをひとつだけ外しますね」
火竜装備に着替え、一カ所だけ色が異なる耐熱レンガを引き抜くレン。
レンガを抜いた小さな穴から炎と熱気が吹き出してくるが、レンは火竜の鎧の籠手で炎をいなし、炉の中を覗き込んだ。
「あー、分かりますかね。鋳口付近に置いてある鉱石が溶けてます。ミスリルは鉱石を溶かすだけなら、誰でも出来るんですけど、ここでちょっと面倒な操作が必要になります」
「ああ、儂らにもやり方だけは伝わってる。出湯口付近に溜まった溶けたミスリルに魔力を浸透させ、魔力で叩いて折り返すこと5回。流れ出たミスリルが冷える前に、魔力を通して型に流し込み、一気に冷却する、と」
「ええ、合ってますね。でも魔力を浸透させるのは普通の鍛冶師じゃ出来ない、そうですね?」
「そうだ。やり方は伝わっているが、儂らでは魔力でどうこうというのは想像も付かぬ。ミスリルの鉱石から金属だけ抽出は可能だが、それでできあがる金属にミスリルの性質はないんじゃ」
鍛冶師の中級になれば、その辺りの技能を覚えられるようになるが、中級になる方法が失伝してしまっているのだから、どうしようもない。
そこに魔法がからまなければ、料理のように見様見真似でも再現できる場合もあるが、魔法が絡んだ時点で見様見真似でできる範囲を超えてしまっている。
「では、お前さんの技、しっかりと見させて貰うぞ?」
「ええ。存分にどうぞ」
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