第25話 研究所

 結界杭の保守作業を終え、レン達は次の街へと向かった。

 クロエが同行することは神託にはなかったことなので、護衛のひとりが馬で先触れとして先行し、クロエたちが来訪することを告げてはいるが、なにぶん突然のことなので、村も街も、連絡を受けてから、大慌てで準備を整えている。


 ミロの街の神殿では、先触れとしてやってきた男性を休ませると共に、普段よりも丁寧に神殿内を清め、クロエ達の食事と床の用意をする。

 通常の来訪なら、領主の館なりでもてなすところだが、今回はあまりにも急な来訪であるため、神殿だけで対応するということになっている。

 領主にもクロエの来訪は報告するが、緊急の旅の途中につき、挨拶などは一切行わない旨も通達している。


 ミロの街の周辺の魔物はイエロー系と呼ばれる黄色い魔物達で、グリーン系の魔物よりも倒しにくい。

 魔物から得られる魔石の質は高く、結界杭の維持という観点では良い立地だが、ラビット系の魔物ですら倒すのに手間が掛かるため、魔物の肉の流通量は少ないし、森に入るのも場合によっては命がけとなる。

 幸い森の一部が結界に含まれているため、薪も集められないという状態に陥ってはいないが、結界内に含まれる森の資源は厳密に管理されており、気軽に森の恵みを獲りに行くことは許可されていない。

 ミロの街は、街の人口に対して食料生産に携わる一次産業の人数が少ないため、食料は常に不足気味である。


 神殿の神官達は倉庫の備蓄を確認し、市場に食料がないかを確認するために走る。

 領主にも報告はしているので、領主からも何かしら提供されるだろうが、それに期待しすぎるわけにもいかない。

 最低限は神殿で用意し、領主から何か貰えたら、それは追加の皿として出すという方針で、神官達は街中を走り回った。


 だから、なぜ神官達が走り回っているのか。それはあっという間に街中が知るところとなった。




 神殿からほど近い場所に建つ、比較的大きな石造りの建物があった。

 面積が限られた結界内にあって、神殿ほどではないにせよ、それなりに広い庭があることから、公共の建物であると分かる。

 扉の上に掲げられた看板には、『カラブレーゼ魔法研究所』と記載がある。


 その一室。

 沢山の書類が積み上がった机の前に、神経質そうな男性が立ち、机の持ち主に街で拾ってきた情報を報告していた。


「神託の巫女様が? この時期にですか?」

「はい……以前、ルドルフォ様が、神託の巫女様にお会いしたいと仰っていたのを思い出しまして」

「……ふむ。滞在期間は?」


 ルドルフォが尋ねると、男は汗も出ていないのに、ハンカチで額を拭いながら答える。


「一泊のみ、旅の宿を求めてきたようです」

「一泊ですか……実験は無理だろうけど、一度ご挨拶がてら、魔力感知させてもらえないかな?」

「手配いたしますか?」

「うん。ダメ元でね。神殿との関係は悪くしたくないから、引き際をちゃんとわきまえてね? ステファノ君、やり過ぎが多いから気を付けてよね?」

「あ、はい、勿論です」


 ステファノは、頭を下げると部屋から退出した。

 部屋に残ったルドルフォは、棚から紐で綴じた紙の束を取り出し、内容に目を通す。

 何回となく熟読した資料なので、内容はほぼ暗記しているが、そこには過去の研究所所員達が記した、神の奇跡や加護に関する推測と実験結果が並んでいた。


 根拠のない憶測から始まり、実験により否定され、その結果から新しい予測、推測が行われ、更に実験が繰り返された記録である。

 時には神罰を受けた者もいるが、多くの場合、罰が下されることはなかった。


「ふむ。神託の仕組みを知りたいと考えるのは、果たして神への冒涜となるのか……好奇心を人間にお与えになったのは他ならぬ神だ。私は、与えられた火の付いた棒を、家の中で振り回しているだけなのか。それとも、これこそが神の望んだ物語なのか……心から神託が欲しいと願いますよ」


 神の奇跡の一部が、魔力を用いて世界に働きかけているというのは、昔から知られている。

 神殿で職業の加護を受ける際、そこに魔力が働くというのは実験で明らかにされている。

 神がどのように、遠隔地から魔力を操っているのかは解明されていないが、研究員の中にはそれこそが神の奇跡によるものだと主張する者もいる。


 神殿で与えられる奇跡の幾つかについても、魔力による物であると分かってきているが、人間が魔法を使う時と異なり、神の奇跡では、魔力の動きは一瞬で終わる。

 職業の加護を受ける場合を例に取れば、祈りを捧げると、箱の中に賜った道具が出現する。

 そこに過程はない。

 昔は祈ったことで魔力が集まって道具が出てくると考えられていたが、現在では周辺魔力が一瞬にして一定の割合で減少し、唐突に箱の中に道具が現れるのだと分かってきている。

 その挙動を説明する理論は、まだ存在しない。


 だからルドルフォは、神託という仕組みに興味を持っていた。

 自動書記による神託は一瞬で終わってしまうため、魔力が動くという過程を経ずに終わるだろうと予想されていたが、神託の巫女は夢の中で神と対話を行うという。

 他の奇跡のように、一瞬で終わるものでないのなら、その時の魔力の動きを観測することで、新しい知見が得られるのではないか。ルドルフォはそう考えていた。


「まあ、この街に一泊しかしないのでは、実験にお付き合い頂くどころか、ご尊顔を拝する機会すらないでしょうけれど……」




 レン達が街の標識を見付けたのは、夕方。

 レンの感覚で、午後4時くらいだった。

 日の出から動いていたわりに到着が遅れたのは、偶発的な出会いがあったからだった。


 レン達の馬車の後ろを、もう一台、4輪の小さめの馬車が走っていた。

 小さいと言っても、それはレン達の馬車を基準にした場合の話で、ファンタジー小説に登場するだろう馬車と比べると、一回り大きい。


 戦いを生業としない者が魔物と遭遇したら、有無を言わさず逃げるというのが、この世界の常識だが、それでも万が一に備えて護衛を連れて行くという習慣もある。

 馬車が壊れた場合、馬車を捨てて徒歩や馬で近くの村や街に逃げ込むことになるが、その際、護衛がいれば生存率が上がるためである。

 護衛が個人で馬や馬車を持っていれば問題ないが、そうでない場合は、護衛を馬車に乗せることになるため、どうしても馬車は少し大きめになってしまうのだ。


 そして、そんな馬車に誰が乗っているのかというと、


「それにしても神託の巫女様とご一緒できるとは感激です」

「信心のたまもの。以後も励むと良い」

「そういたしましょう。それにしても急な話ですな。本来なら、神託の巫女様がお泊まりになられるのなら、町を挙げて歓待するところですが」

「いらない……ミロの街は食べ物が少ない筈。ガリレオは、もう少し領地のことを考えるべき」

「申し訳ありません。領地経営は父と兄に任せておりますので……その代わりに私は、街で作られた貴重な魔道具の輸送や、顧客との折衝を行っておりまして、そのおかげで巫女様とこうしてお話しする機会を頂けましたは無上の喜びです」


 そう。

 クロエの馬車に同乗していたのは、ミロの街の領主の次男坊、ガリレオだった。

 ヒト種男性。太ってはいないが、肉付きは悪くない。

 外見年齢は20歳そこそこだが、商売で慣れているのか、喋るのは上手い。

 髪は栗色で、短く刈り込んでいる。


「ガリレオ様、馬車の車輪が壊れたとお聞きしましたが、大丈夫ですの?」

「ええ。こちらのレン君……エルフだからレンさんかな? のおかげで、あっという間に直りました。本当に助かりました。レンさん、街に着いたらお礼をさせてくださいね」

「予備の車輪を積んでてくれたから、交換するだけだったよ。まあ、礼をしてくれるというのなら、鍛冶の工房を使わせて欲しい」

「工房を? 車輪交換の腕前から、細工師と思っていたのだけれど、鍛冶師だったのかい?」

「まあ、色々やってるんだ。ちょっと面倒な素材があるから、しっかりした炉が使いたくてね」


 ガリレオは、少し考えてから頷いた。


「街中の鍛冶屋の工房を借りるのは無理かもですが、うちが管理している工房ならお貸しできます……でも面倒な素材?」

「ガリレオ、それ以上聞いてはいけない。これは神託に関わること」


 クロエの言葉に、ガリレオは背筋を伸ばして頷いた。


「御神託ですか。ならばどんなことでも仰ってください」

「なら、燃料……炭はあるか? 薪になる材木はそれなりにあるんだけど、炭は少し足りなくなりそうなんだ」

「炭は……集めてみます。宜しければ、薪と交換していただけると助かるのですが」

「ああ、構わない。ああそうか、イエロー系の魔物がいて、森で薪拾いとかが出来ないのか?」

「結界内に森の一部が含まれてますが、そうですね。需要を満たせているかというと、少々微妙です……本来なら対価など頂かずにお渡ししたいところですけれど」


 ガリレオはそう言って項垂れた。


「なるほど……クロエさん、杭の保守の後、俺は工房を借りて一仕事するから、その間、薪の確保とかできるかな?」

「エミリアとフランチェスカなら、戦って負けることはない……でも、戦いながら薪拾いは無理」

「そうです、レンさん。神託の巫女様の護衛にそんなことをさせるわけには参りません」

「神殿の人に拾って貰って、ふたりは護衛って感じならどう?」

「お待ちください。薪拾いの護衛をするのはやぶさかではありませんが、クロエ様の護衛任務が最優先です」


 黙って話を聞いていたエミリアがそう主張する。


「アレッタさんはどう思う?」

「え? あの、サンテール領でもご協力いただければ嬉しいですわ……って違います! エドワードも協力しなさい」


 アレッタにそう言われ、エドは苦笑した。


「アレッタお嬢様。儂とて護衛任務を放棄するわけには参らぬのじゃが」

「洞窟にわたくしを置いて、薪拾いに行きましたわよね?」

「あの状況では、洞窟が一番安全でしたからのう」

「なら、私はレン様と行動します。それなら安全ですわよね?」


 エドは困ったような顔をレンに向け、


「どうじゃろか、頼めるじゃろうか? 無理に頷くことはないが、誰かに頼むとなれば、シルヴィとレン殿が一番信用できる」

「元々、森で薪拾いは俺が言い出したことだし、問題ないけど……工房に入るのは大丈夫なのか? 炉とかあるから、熱いし動き回ると危ないんだけど」

「アレッタお嬢様がフラフラしないように私が見張ってますので、お師匠様は存分に物作りをなさってください」

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