第24話 村のできごと
聖堂の村を出た、時間にして4時間ほど走った頃、馬車が右に向かって曲がった。
ほどなくして細かな砂利の上を走る感触が、土の上を走るそれに変化する。
「村か街に着いたみたいだな」
少し走り、数回の停車と方向転換の後、馬車が石畳を敷いたエリアに入る。
六つの車輪が石畳の上を走る音が馬車の内部に響くが、すぐに音が止まり、馬車のドアが外から開かれた。
明かり取りの窓しかない、薄暗い馬車の中に光が差し込み、レンは眩しさに目を
ドアを開けたのは、綺麗な銀髪を編み込んだ女性で、各所にプロテクターを付けた黒いレザージャケットに似たものを着ていた。
扉からは上半身しか見えていないため、レンの位置からは武装がなんなのか、までは見えない。
「クロエ様、カルボーニの村です。こちらで食事をお取り頂きます」
「エミリア、分かった。食事はいつもと同じ?」
「はい、先触れの者が神殿の会議室を手配しております」
「ん。それじゃ、レンも来る」
クロエはレンの手を引いて、馬車から降りる。
馬車が停車していたのは、高い石塀に囲まれた神殿の敷地内だった。
石畳が敷かれているのは神殿の中だけで、門の外には土がむき出しの地面が見える。
馬車のそばには数人のローブをまとった一団がいて、クロエが降車すると、クロエに向かって頭を下げる。
「――常と変わらぬ日々と加護に感謝を。神託の巫女様、お食事の支度が出来ております」
集団の中心にいた年配の少し痩せた女性がそう言うと、クロエは胸の前で両手を合わせ、返事を返す。
「感謝と祈りを。先触れの者は?」
「お食事と休憩の後、馬を変えて次の村へと向かいました」
「そう……今回は人数が多いけど平気?」
「伺っております……ただ、食事は神殿の者が普段食しているものを、量を多くする程度しかできませんが」
「十分。いくらか食料を持ってきたので受け取って欲しい」
クロエが合図すると、赤毛の護衛が馬車の外に積んでいた木箱を下ろして、ローブを着た男性の前に置く。
「いつもありがとうございます……ではこちらへどうぞ」
案内された会議室で、クロエ達が席に着くとメイドの手でお茶が供された。
「この村のお茶はちょっと変わってます。少し温いですが、これが適温です」
クロエの前に茶碗が置かれ、レン、アレッタの前にも同じものが並ぶ。
小さい台が持ち込まれ、エドとシルヴィ、エミリア、フランチェスカのそばにもお茶が置かれる。
「これは玉露ですか?」
お茶を一口飲んだレンが尋ねると、クロエの後ろに控えていたメイドが答えた。
「はい、この村の名産です」
「たしか、収穫の少し前に日光を遮るんでしたっけ?」
「ええ、2週間ほど、日を遮ると聞いています。ですので、玉露にはリュンヌ様の御力が注がれているという者もおります」
「なるほど。
「レンは農業も詳しい?」
クロエの問いに、レンは首を横に振った。
「農業は囓った程度かな。玉露についてはたまたま知ってただけだ」
錬金術の虫除けと肥料のレシピを入手する際に、必要に迫られて農業の職業を得たものの、以来その技能はあまり使っていないレンだった。
「お食事をお持ちしました」
メイド達がテーブルの上に食事の載ったトレイを置き、新しいお茶を淹れる。
メニューは、野菜の煮物と薄切りの数枚の肉、それにチーズと、イモムシが入ったスープだった。
エド達には丸いパンにハムとチーズを挟んだものを載せた皿が出される。
それを見てレンは、自分もあっちがよかったと苦悩するのだった。
「大きなポム虫ですわね。クロエ様もポム虫がお好きなんですか?」
アレッタが尋ねると、クロエは小さく頷いた。
「甘くてとろとろしてるのがいい」
「煮たものの方がお好きなんですね。お酒は嗜まれたりしますの?」
「巫女がお酒を飲むのは特別なときだけ……アレッタは飲むの?」
「いえ、わたくしも未成年ですもの。うちの領の名産はお酒と鉄鉱石くらいしかございませんから、おもてなしするのに、お酒がお好きでしたらと思いましたの」
「もてなしということでなら、数本貰えると嬉しい。皆、喜ぶ」
クロエの返事を聞き、アレッタはクロエの後ろに立つ護衛のふたりに目を向けてクスリと笑った。
護衛ふたりは、何気ないような顔をしつつも、その顔は少し赤かった。
「承知しましたわ。領に着いたら、数本ご用意いたします」
「感謝する」
そんな話をするふたりの横で、レンはスープに浮いたイモムシの処分をどうすべきかと真剣に頭を悩ますのだった。
レン達が食事をしている間、神官達は馬車の馬の体を拭き、水を与え、馬車の車輪の確認をしていた。
比較的余裕を持った行程であったため、馬の調子は悪くない。
神官達は、馬の交換は不要と判断し、いったん馬車から外して休憩をさせた。
神殿で一番偉いのが誰かと言えばそれは王都神殿の神殿長で、それとは別に、政治的に力を持っているのは王城内にある神殿の神官である。
だが、もっとも尊ばれているのが誰かと言えば、それは神託の巫女となる。
この世界に於いて、神はとても身近な存在である。
職業訓練を行い、神殿で神に祈れば、それだけで職業に必要な基本的な道具と、技能という祝福を賜ることができる。
神の意志に反する使い方をすれば、それらの祝福は失われるため、人々は誰もが信心深く、神に反抗心を持つ者はいても、神の存在を疑う者はいない。
そんな神と人間の間を取り持つのが神託の巫女である。
神託は自動書記という手段によっても
だから民の多くは、クロエのことを神に愛された巫女だと考えていた。
民よりも更に信心深い神官達は、神に次ぐ尊い者が乗る馬車であるのだからと、殊更丁寧に整備を行うのであった。
整備が終わり、出発の用意ができるまで、一時間少々の時間が掛かった。
その時間で、レンはクロエと共に、村の結界杭の整備を行い、アレッタとシルヴィは、レンについて回り、結界杭の保守の方法を見学する。
「いずれ、アレッタさんとシルヴィにも、これくらいは出来るようになってもらうから」
「
「アレッタお嬢様、お師匠様は私たちならできると考えてるんです。それならきっと、私たちにもできるようになりますよ」
「シルヴィは前向き」
「ありがとうございます。クロエ様」
村の結界杭は4本。時間内に一通りの杭の保守を終え、レンは首を傾げた。
「これで、グリーン系の魔石に置き換えられるかも知れないけど、大勢人が住んでる村で、ぶっつけ本番ってのは危ないと思うんだが」
「聖域の村で問題がないと確認できたら、連絡をさせて魔石を置き換えさせる。それまでは今のまま」
「なら大丈夫か。ところで今日泊る街には魔法金属の精錬ができる鍛冶の工房はあるのか?」
「ある。ミロの街は英雄の時代からあると聞く。当時作られた建物は滅多なことでは壊れないから、英雄が使った工房が残っているかも?」
「ミロの街?」
その名前を聞いてレンは似た名前の街があったことを思い出した。
ミーロの街。ゲーム当時は芸術と魔法の街と呼ばれ、その街で作られる美術品の輸送などのクエストを受けたこともあった。
「わたくしたちは、人間の魔法と物作りの中心と位置づけておりますわ。結界杭がなくても、街の壁だけで魔物を押し返せるのでは、とも言われてますわね」
「……周辺の魔物はグリーン系かい?」
レンの記憶だと、ミーロの街周辺はイエローの魔物が生息するエリアだった。
壁だけでイエロー系の魔物を止められるかと問われれば、レンは首を横に振る。
だから、ミーロの街周辺の魔物が弱くなったのだろうか、と考えたのだ。
「いえ、イエロー系だったはず……エドワード、そうですわよね?」
「ええ。ミロの街周辺だとイエロー系ですな。まあ、イエロー系と言っても、あの辺は、虫と獣型の魔物しかおりませんから、壁でも止められると言われているのでしょうな。たしかに立派な壁ですが、実際に魔物を食い止めたと言うことはなかった筈ですな」
「ああ、そういう意味ですか」
神殿に戻ると、馬車の準備が整っており、レン達はすぐに出発した。
今回は、エドと赤毛のフランチェスカが馭者を務め、銀髪のエミリアはクロエのそばに控えている。
馬車が魔物を引き離すために速度を上げると、クロエはレンのウエストポーチのベルトに指を引っ掛ける。
それを見るたび、エミリアの刺すような視線に居心地の悪さを感じるレンだった。
「クロエ様、魔物が怖いのなら、このエミリアが着いております。その手をお離しください」
「や」
「そう仰らずに。私なら、手でも足でも、何でしたら胸に抱きついても構いませんから」
「間に合ってる」
そう言いながらも、クロエはレンのウエストポーチのベルトから手を離そうとしなかった。
次の村では、お茶と休憩、結界杭の保守を行うだけで終わった。
杭の保守を行う間、村人がレン達を遠巻きにしていた。
村人達の視線は、杭の保守を行うレンではなく、クロエに向いていた。
「クロエさん、みんなに手でも振ってやったらどうだ?」
「レンがそう言うのなら」
クロエが片手を胸の高さに上げ、軽く左右に振ると、村人達がどよめく。
「人気者じゃないか」
「皆は私を通してソレイル様を見てるだけ」
「そうか?」
そうは見えないけど、とレンが言うと、クロエは何も言わずに村人達に手を振り続けた。
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