第20話 修繕とポーチとポーチの中身

 村の構造はとても分かりやすかった。

 聖堂の北側に小さな門があり、そこから延びる道の左右に数軒の木造平屋建ての民家が並び、少し行くと井戸がある。

 そして、井戸の向こう側には小さな畑と柵に囲まれた狭い草原があった。

 村の周囲に石の塀はないが、木の柵が巡らせてあり、その外側は少しだけ地面が掘り下げられ、申し訳程度ではあるが空堀になっている。


 木の柵で囲まれた四角い村の角には、高さ2メートルほどの結界杭がむき出しで刺さっていた。

 その表面には薄く錆が浮いており、赤黒くてゴツゴツした質感のそれは、遠目には結界杭というよりも、大きな木の杭に見えていた。

 魔力感知で結界杭が結界を維持しているのは見て取れるが、通常、透明な壁状に展開されるはずの結界が、網状になっていると気付く。


「この杭は、ちゃんと保守しているのか?」

「魔石は交換してるけど、保守はしてない。多分、今、結界杭を保守できる人間はいない」


 結界杭を作成するには、中級以上の錬金術師と、初級の時空魔法が使える魔術師が必要となる。

 しかし、一度作ってしまえば、保守は初級の錬金術師でもできるはずだが、とレンは首を傾げる。


「何でだ?」

「多分、素材不足?」

「多分ってことは、詳しくは知らないって事か」

「伝聞では、ミスリルの製錬ができないとか?」

「……なるほど。そっちか」


 ミスリル鉱石からミスリルを取り出すには、鍛冶師の中級の技能が必要になる。

 鍛冶師中級になる方法が失伝しているとしたら、ミスリルの加工はかなり面倒になる。

 土魔法の錬金は、鉄鉱石から鉄のみを取り出すことができるが、土魔法の錬金は魔法金属に対しては使用できない。錬金魔法の錬成なら、魔法金属に対して有効だが、鉱石からミスリルのみを分離するという使い方は出来ない。錬金魔法の錬成は、製錬された金属や魔石を対象とするもので、不純物が混じった状態では効率が大きく低下するためである。


 初級の鍛冶師がミスリルインゴットを作成する方法がないではないが、それには、多くの試行錯誤が必要となるため、実際にやるとなると難しい。


「なら、こっちも手持ちで何とかするとして……今、この国にはミスリルを加工出来る炉は残ってるのか?」


 精錬だけなら大した手間ではないが、炉から作るとなれば、そこそこ時間が掛かってしまう、とレンが言うと、クロエは頷いた。


「大きな神殿のある街なら英雄の時代の工房は維持されてるはず」

「分かった。それじゃ杭を全部チェックする」


 結界杭を調べて分かったのは、どれもミスリル部分がかなり消耗しているということだった。

 すべての結界杭に十分な量のミスリルを注入したレンは、結界の状態を魔力感知で確認してみた。


「うん。ちゃんと壁状の結界が展開されてる……クロエさん、これ、軽々しくやってとお願いしにくいんだけど」

「構わない。言って」

「村の方の結界杭の魔石って、聖堂のと違ってイエローを使ってるんだよな。それを取り出してグリーン系のを入れて貰えないか? その状態で、魔物を連れてきて、結界の効果があるかを確認して欲しいんだ……時間があれば、俺が魔物引っ張ってくるんだけど」


 レンは、ミスリルが欠乏した状態で結界を維持するため、魔力消費量が増大していたのではないかと予想していたし、魔力感知で結界の様子を見ても、その読みはあっているように思える。

 レンの読みが正しければ、ミスリルの補充でグリーン系の魔石で運用可能な状態になっているはずだ。


「大丈夫。効果がなかったとしても、このあたりの魔物なら、聖堂の護衛は問題なく倒せる……レンは、その結果を知りたい?」

「あー、そっか、メッセージとか使えなくなってたし……俺が街に向かった後で、結果を知る方法はあるか?」

「……ある、そういう理由なら仕方ない。うん」

「そっか、なら頼む」

「頼まれた」


 頷くクロエは、なぜか少し楽しげな表情だった。




 村の建物は、どれも古いものだったが、レンがクロエに案内されたのは、割と新しい建物だった。

 新築と言うほどではないが、他の建物のように使用されている材木が灰色になってはいない。


「あ、お師匠様、お疲れ様です。クロエ様、お茶はいかがですか?」

「いらない。レン、ゆっくり休む」

「ああ。ポーチ、ありがとな」

「神様達が授けたもの。気にしないで」


 クロエはそのまま後ろを向くと外に出て行った。


 家に入ったレンは、シルヴィの案内で屋内をぐるりと見て回った。

 玄関すぐの場所が居間になっていて、その奥が土間になっていて、厨房。厨房から風呂とトイレにアクセス出来る。

 リビングの左右には各2部屋。どの部屋も広い。


「お師匠様はこちらと、あちらのお部屋、どちらにしますか?」


 シルヴィが2部屋の候補を提示する。

 どちらもとても日当たりが良い部屋で、レンは、部屋を見て首を捻った。


「これ、アレッタさんやエドさんが使うべきじゃないの?」

「アレッタお嬢様が、お師匠様が神の使徒なら、お師匠様に良い部屋を使って貰うべきだと」

「とりあえず、今回はその配慮に感謝してこの部屋貰うけど、今後そういう気遣いは不要だってアレッタさんに伝えておいて」


 レンはこの世界に来る前に白い部屋で神と対話した記憶はない。だから、神の使徒と言われても、レンにはその自覚はなかった。


 クロエが受けた神託や、神官が神から賜ったという素材が詰まったウエストポーチをレンが使用できたことなど、傍証が積み上がっているのはレンも理解していた。

 そして、この世界がゲームではなく異世界だという状況証拠も増えつつある。

 それらから、ソレイルやリュンヌという神のような存在が、この世界にはいるのだろうとも考え始めている。

 だからと言って、『碧の迷宮』の中の設定上の神への信仰心が生まれるはずもなく、レンは、使徒と呼ばれて困惑するのだった。


「ああ、そうだシルヴィ。あの聖堂も神殿の一種なら、アルシミーの神殿……てゆうか、祭壇があるんじゃないか?」

「ここに他の神様を祀る祭壇があるという話は聞いたことはありませんけど……あとで聞いておきますね」

「頼む。でだ、アルシミーの祭壇があるのなら、アレッタとシルヴィは錬金術師の初級になれると思うんだ」


 レンの言葉を聞き、シルヴィは目を瞬かせた。


「お師匠様に言われて本を少し読んで、素材について勉強しただけですけど、それで錬金術師になれるものなのですか? 錬金魔法についての知識はありますけれど、使えるほど理解しているとは思えないんですけど」

「ああ、その辺は問題ない」


 知らない筈の記憶でも、今のシルヴィレベルの知識で、職業を得られると分っている。

 技能レベルを上げるために幾つかの作業を行うことになるのだが、その過程で初級の技能が揃うのだ。


「料理人だって基本スキル覚えただけで終わりじゃないだろ? 料理の仕方だけじゃなく、料理を覚えなきゃ」

「なるほど、確かにそうですね。それじゃ、アルシミー様の祭壇があるか、護衛の人に聞いてきます」

「おう」


 レンはシルヴィが外に向かうのを見送ると、部屋に入ってドアを閉めた。


「……さて、街に戻ってからと思ってたから準備してなかったんだけど、こりゃ、急がないとだな」


 レンは洞窟の横穴と比べると目眩がしそうな程広い室内を見回し、テーブルセットの上にテーブルよりも大きな皮を広げ、ソファの上に細工師基本セットを置き、昔使った型紙と錐で皮に印を付けていく。

 次に板と皮包丁を取り出して皮を裁断すると、皮に糸を通す穴を開け、仮止めをしてから蝋引きの糸で縫い付ける。

 処理済みの皮を使っているため、表面や裏の処理は行わない。

 皮を縫い合わせているため、その端の部分が多少がたついている。

 皮製品の端の部分をコバと呼ぶが、この部分の処理が丁寧に出来ていないと、見た目も悪いし、皮製品の寿命も短くなる。

 レンは小さいカンナを使って、がたついている部分を丁寧に削り落とす。

 大体綺麗になったら目の細かいヤスリ、帆布を使って磨いていき、最後に蜜蝋を塗り込むと、木の棒と帆布で丁寧に仕上げる。


 レンが作っていたのは、皮で出来たふたつのウエストポーチだった。

 構造が同じポーチだが、使用している皮の違いから、片方は黄色で、もう片方は黒っぽい茶色だ。


 上蓋にはベルトが2本付いていて、その先端の紐を、本体側に縫い付けた木の棒で作ったトグルボタンに引っかけることで蓋が閉まる。

 体に巻き付けるベルトは、多少の長さ調整が可能な作りになっており、厚着をしても問題ないようになっている。

 そしてレンは、5センチ角の6枚の八角形の皮を切り出すと、それぞれに魔法陣を彫り込んでいく。


 完成した魔法陣3枚をポーチの底に縫い付け、その中央に赤い魔石を固定する。

 もう片方のポーチにも同じように魔法陣と魔石を配し、それぞれに起動用の魔力を流す。

 すると、つい先程まで見えていた魔法陣の底の部分が見えなくなる。


「ええと? 一応試験もしとくか」


 レンは、一本10キロの金のインゴットをポーチに入れ、ポーチの重さが変化しないことを確認する。


「重量軽減と、空間拡張は正常っと」


 インゴットを取り出し、もう一方のポーチも同じように試験する。


「時間遅延は、ちょっと面倒なんだよな」


 レンは中身が入っていない陶器製のポーションの瓶を三つ取り出すと、中に純水を入れ、温度調整で90度に加熱し、一本ずつポーチに入れ、残った一本をテーブルの上に載せる。この状態で放置し、1時間後に温度変化を確認するのだ。


 レンが作成していたのは、ゲーム内ではアイテムボックス(複合)と呼ばれていたアイテムである。

 空間圧縮、重量軽減、時間遅延が付与されたポーチで、錬金術師上級に加え、細工師中級、魔術師中級で時空魔法の使い手を揃える必要がある。

 普通は、複数人が協力して作る物なのだが、レンはこれをひとりで作るため、魔術師の職業を中級まで育て、更に魔法としては使い勝手の悪い時空魔法を自力で習得していた。


 なお、これらは、シルヴィとアレッタが錬金術師になった記念に、師匠としてプレゼントするつもりの品である。

 錬金術師中級になれば、アイテムボックス(複合)は作れないにしても、細工師と魔術師の協力を仰げば、アイテムボックス(空間圧縮)や、アイテムボックス(重量軽減)程度は作れるようになる。

 その目標として、レンは、これをふたりに渡そうと考えていたのだ。

 収納力はざっと、200リットル。街用のデイパックが20リットル程度なので、その10倍程度である。

 もっと大容量のものも作れなくはないが、あまり大きな物だと、軍事利用の可能性があると考え、制限を掛けたのだ。


 クロエの話が正しいと仮定して、人口2万人で戦争をするとも思えない、と最初の内こそ考えていたレンだったが、生存環境が激減しているのなら、その奪い合いが発生しないとも限らないと気付き、軍事転用しにくいよう、容量についてはかなり減らしたのだ。


 時間遅延の性能確認の待ちに入ったレンは、クロエから貰ったポーチの内容を改めて確認した。

 とにかく、素材が山ほど入っている。

 だが、そこには魔物素材は入っていなかった。


「……魔物素材。特に魔石があれば、問題は一気に解決だったんだけど……まあ、それができるなら俺を喚んだりもしないか」


 魔物素材がないかわり、と言って良いのだろうか。ポーチの中には、入手困難な薬草や鉱石も入っていた。

 聖銀ミスリルは当然として、金剛鋼アダマンタイト魔銅オリハルコンの鉱石も入っている。

 レンの鍛冶師の職業レベルは中級なので、ミスリルとオリハルコンの加工は可能だが、アダマンタイトは手が出せない。


「これは、俺に鍛冶師上級になれって言ってるのか? それとも、鍛冶師を育てろって事か?」


 仮にも運命の神を名乗るディスタンが用意したポーチなのだ。

 その内容についても何らかの意図があるのでは、とレンは慎重にポーチの内容を確認するのだった。


 そして、小一時間ほどが経過したとき、レンは確信した。


「これ、適当に、未加工の素材を全部放り込んだだけだ」

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