第18話 喚ばれた理由

「……つまり知恵で世界を救えってことか?」


 レンの問いかけに、コクリと頷くクロエ。

 求められているのは物理的な力ではない。と言われて、レンは自分に何が出来るのだろうかと考えてみた。

 日本ではIT関連業界で仕事をしていたので、そっち関連の知識ならある。

 緊急対応が求められることも多かったので、仕事で必要になる知識は割と暗記している。

 しかし、それらの知識を生かすためには、サーバーと、電力、空調管理されたサーバー室が必要だった。


 健司時代の経験から多少のアウトドア知識もあるが、その程度ならエドたちの方がよほど詳しそうだ。


 その他の知識は、と考えて、レンは頭を抱えたくなった。

 錬金術師としての知識があり、それらのレシピを知っているから、レシピにあるものなら石鹸でもシャンプーでも紙でも、なんなら化粧品の類でも作れる。


 しかし、レシピにない物を日本の知識で再現できるかと言われると、かなり怪しかった。

 日本ではそれなりにラノベを読んでいた健司である。その中で作られた様々な地球の品について、概要レベルなら記憶している。

 例えば、黒色火薬が木炭と硫黄、硝石で出来るということは知っていた。だが、その具体的な部分はまったく記憶になかった。たとえばそれらの混合比が1:1:4(混合比や粒の大きさにより種類が異なる)であることや、木炭をすり潰して硫黄を混合し、それを革張りの容器に移し、硝石と少量の水(水分量5%程度)を加えてさらにすり潰し、圧搾して比重を高めたものを、所望する粒度(狩猟用黒色火薬でざっくり0.5~1ミリ)になるように粉砕し、完成した物をゆっくりと乾燥させる。などという知識はレンの中にはない。

 また、仮にそれらを知っていたとしても、硝石については歴史小説を読んだ折りに、トイレや、古民家の床下の土をどうにかする程度の知識しかなかった。

 蚕の糞に小便を掛けて発酵させたものを灰汁と煮て濃縮したり、古民家の床下の土(長く雨が掛からない場所で数十年経過した、有機物が豊富で植物が育たない場所の土)を集めて湯に溶かし混み、その上澄みに草木灰を加えて煮込んだりという方法についても、そこまで具体的な方法を記憶してはいなかった。

 あるいは土魔法の錬成で鉱石から鉄を抽出したように、古民家の床下の土から硝石を抽出することも可能かもしれないが、鉄と違いレンは硝石を見たことすらないため、現実には難しいだろうと考えていた。

 端から火薬を作る気などなかったが、それなりに知っているつもりの知識ですらこれである。


 ペニシリンに至っては青カビから取れると学校で習ったのを覚えているだけだ。この世界に同じアオカビが存在するのなら、頑張って大量に培養すれば、対象のアオカビを探し出すことは出来る可能性はあるが、そこからペニシリンを取り出すと言っても、具体的な方法は欠片も分からない。


「専門分野のことならともかく、知識チートできるほど、科学に詳しくないんだけど……指針はないのか?」

「ない。レンの自由にすると良い。ソレイル様の神殿は、それに力を貸す」

「世界を救うってのは……具体的に、今何か危機はあったりするのか? また、魔王が登場したとか」


 ゲーム内ではリュンヌが魔王となり、世界の危機に多くの英雄達が現れた、とされている。

 この世界に於いて、魔王という存在は、過去に実在していたのだ。


「魔王出現の御神託は授かっていない……でも、強いて言えば、英雄の時代と比べ、今の人間の数は、1割程度まで減っている。それが危機と言えば危機?」


『碧の迷宮』では、かなりの数の人間種族、ヒト、エルフ、ドワーフ、妖精、獣人のNPCが生活していた。

 公式の発表を信じるのなら、村や町には、目に付くNPCの8~9倍のNPCが存在し、活動していたという。

 そして、9割減ということは、その、目に付かない場所にいたNPCが全滅したというに等しい。


「1割まで減った? そんなのでよく文明を維持できてるな」

「……減った人口の半分は、英雄達」


 ああ、とレンは頷き、すぐにその言葉の異常さに気付いた。

『碧の迷宮』をプレイする家庭用VRゲーム機は後発であったため、初年度のハードウェアの売り上げが15万台、5年目までの総売り上げ台数が80万台とあまり振るわなかった。そして、ユーザー80万人に対し、『碧の迷宮』の売り上げは9万枚。

 単純計算で9万人のプレイヤーが存在したということだ。

 英雄=プレイヤーが操るアバターだというレンの想像が正しければ、減った人口の半数がプレイヤーのアバターでこれが9万人。

 残り半分がNPCでこれも9万人。合計18万人が減った人数で、これが人口の9割の人数だという。実に計算しやすい数字であるが、レンはその計算結果を認めたくなかった。


「ちょっと待て、今残ってる人口って何人くらいなんだ?」

「人間全体で2万人くらい? も少し多いかも?」

「……待て、今、人間って言ったよな。てことはヒトだとどうなる?」


 ゲーム内にはヒト、エルフ、ドワーフ、妖精、獣人などが存在しており、それらの総称が人間だった。

 他にも実装予定の種族が存在したが、レンが見たことがあるのは、その5つの種族だけだった。


「概算で、ヒトだと1万人程度。エルフが3000。ドワーフが3000。獣人が4000」

「妖精は?」

「最後に確認されたのは私が生まれる前」

「……えげつない状況だな……しかし、よくそれだけの人口で貴族制度が残ってるな」

「人間の生息可能範囲は、少しずつ狭まっている。それに対抗しているのが王家と貴族。王家と貴族の存在がヒト種の生命線。強力な命令系統を持たない他の種族は、減るのが早い」


 2万人という数字の大きさについてレンは、辛うじて覚えている幾つかの数字を引っ張り出して比較してみた。

 例えば東京都中央区の人口が12万人程度。一番人口が多い世田谷区で約88万人。

 人口2万人規模となると、過半数は市ではなく町になり、健司が生まれた市の人口が30万人程度だった。

 つまり、2万人というのは地方の少し大きめの町や、小さな市のそれと同程度の人口に相当するのだ。レンは、この人数を少ないと考えた。

 2万人の内訳として半数を占めるヒトはまだ良いが、エルフもドワーフも、残り3000では絶滅の恐れすらある。

 実際に妖精は絶滅の疑いがあるのだから、考えすぎと笑い飛ばせる話ではなかった。


「生息域の減少の理由は分ってるのか?」

「単純。魔石の確保が不十分」


 結界杭で囲まれた安全地帯を作り、人間はそこで生活をしていた。

 その領域を維持するには魔石が必要で、その魔石が十分に確保できなければ、結界は失われる。

 魔石不足に起因する生息可能域の減少と聞き、レンはそれはおかしいと首を傾げた。


「……グリーン系の魔物だって魔石くらい落とすだろうに」


 そして、エドは言うまでもなく、シルヴィであっても、グリーン系の魔物ならそれなりに対抗できる。

 エドは別格としても、シルヴィクラスの冒険者を揃えることができれば、魔石収集は容易ではないか、とレンは腕組みをして首を捻る。


「落とす?」

「いや、解体すれば取れるって意味だ」

「グリーン系の魔物の魔石では、結界維持もままならない」


 地上に生息する魔物はグリーン、イエロー、レッドに分類され、グリーンが最も弱く、その魔物から得られる魔石は弱く、小さい。

 だが、レンの知る結界杭なら、グリーン系の魔石でも稼働する筈だった。


「なるほど……その辺りを何とかしろってことか」


 魔物を倒して魔石を集める、ではなく、結界杭が劣化している原因を調べ、レンの知るレシピで結界杭を作り直すだけなら、錬金術師兼魔術師のレン向きの仕事と言える。


「レン、エド達が出てきました」


 クロエに指摘されるまでもなく、気配察知でその存在を知っていたレンは、頷くと、エド達の方に視線を向けた。

 そこには、ボストンバッグに入らなかったのか、大量のウェブシルクを抱えたシルヴィと、カーテンレールにしていた槍の柄を抱えたエド、その後ろからアレッタがおずおずと近付いてきていた。


「……レン殿、中は可能な限り綺麗にしてきましたぞ。壺の回収だけお願いしたい」

「分りました……エドさん、アレッタさん。神殿でサンテールの街まで馬車を出してくれるそうなので、詳しい話を詰めておいてください」

「マリー、詳細の調整は任せる。レンは洞窟を案内して」


 頷くマリーから、レンに視線を戻したクロエは、椅子から降りるとレンの横にまでのんびり歩いてくる。

 護衛の一人がクロエに付き従おうとするが、クロエは護衛に手のひらを向け、護衛は不要だと命ずる。


「洞窟を案内? ええと、洞窟内を出来るだけ埋めようと思ってたんだけど?」

「窓と入り口を塞ぐだけで十分」

「手間が掛からないから俺は構わないけど……」


 クロエとすれ違う際、アレッタとシルヴィは深く頭を下げ、道を譲った。

 クロエはそれを当然のように受け入れ、笑みだけを返す。


 そんなクロエと連れ立って、レンは洞窟に向かうのだった。




「ライト」


 レンの頭上に光の珠が浮かぶ。


「レン、私にも」

「いいけど……ライト」


 ふたり分のライトが洞窟内を明るく照らす。

 広い迷宮内を探索する際の照明となる魔法なので、非常に明るい。


「まず、お風呂を見たい」

「はい、こっちね」


 カーテンが取り除かれた脱衣所に入ると、床に敷いておいた布も回収されていた。

 そのまま風呂場に足を踏み入れ、レンは、泉の壺の周りの柵を砂にすると、慎重に壺を持ち上げてウエストポーチにしまう。


 クロエは興味深げに風呂桶に近付くと、ペタペタと桶の部分に触れ、窯のむき出しの鉄板を撫でる。

 水栓と、床に掘られた排水用の溝を興味深げに調べたクロエは、満足したように頷くと、通路に出て二階に上がっていった。


「何が楽しいんだか」

「聖地の中なんて、これを逃したら、一生見る機会がない。神託の巫女の勤めのひとつに、見識を広めるというのがある。だからこれは仕事」


 通路の途中で、レンの呟きを聞きつけたクロエが振り向いてそう言った。


「その割に、楽しそうだな?」

「見識を広める際、感情の動きも大事な情報」

「まあ、いいけど……あ、登ったところ、右側な。左は穴があるだけで、他には何もないぞ」

「レン、こっちに来て」


 何もないと言われたにも関わらず、クロエは通路を左に曲がり、最奥の壁まで進んで、壁をノックする。


「こっちには何もないって言ってるのに」

「この壁に覗き穴を作って」

「……聖地に穴を開けろってか?」

「問題ない。神託の巫女わたしがやれと言った。誰かに言われたらそう答えるといい」

「責任取ってくれるならやるけどさ」


 レンは、奥の壁の、クロエが覗きやすそうな高さに直径5センチほどの穴を開けた。

 クロエはそこから外を覗くと、楽しげに、あちこちに視線を向けるのだった。


「楽しいか?」

「楽しい。聖堂が見えるし、家も見える。こんな高いところに登ったのは初めて」


 高いところと言っても、せいぜい7、8メートルである。

 しかし、見たところ、聖堂そのものは大きな平屋だし、周囲の4本の塔は、登れるようには見えない。

 このあたりで、この高さに登ろうとすれば、高い木に登る程度しか方法がないのだろう。


 数分後、景色を堪能したクロエは振り向くと、レンに穴に嵌める石の蓋を要求してきた。


「完全に石で埋めることもできるけど?」

「穴は残して。今度マリーにも見せる」

「……そんなんでいいのか?」


 溜息をつきながらレンは硬化スプレーと砂利を取り出すと、錬成で開けた穴の周囲を滑らかに錬成してから硬化し、そこにぴったり収まる石の蓋を作り、それも硬化してから穴に嵌めた。


「できたぞ……っていないし」


 レンが振り向くと、クロエは氷室の扉を開けて中を覗き込んでいた。


「ここが冷蔵庫って言ってたやつ?」

「神託で見てたんだっけな。まあ、そうだな。氷室。この洞窟の上にも洞窟があって、そこに沢山の氷を詰め込んでて、そこの穴から冷たい水が流れてくる。元々は壁に布を掛けて、布に冷たい水が染み込むようにしてたけど、布は回収したから、下地の板がむき出しだな」

「蜂の巣?」

「うん。蜂の巣みたいな構造の板だな。頑丈で、空気の層にもなるから、断熱材にしている。クロエ達がこなければ、同じような板を大量に作って、洞窟の中を埋めようと思ってたんだけど」

「……なるほど……上の洞窟にはどうやって氷を追加するの?」

「うん? 追加はしないつもりだった。氷を作れる魔法使いがいないと追加出来ないし。まあ、奥の天井に穴があるけど」


 クロエはレンの言葉を聞くと、棚を回り込んで部屋の奥に入ると、天井を見上げた。


「届かない……」

「まあ、覗いても氷があるだけの部屋だから」

「……見たい」


 レンは溜息をつくと、クロエに部屋の隅に移動するように指示して、砂利でハシゴを作り出し、硬化スプレーで固めると、奥の壁に立てかけた。


「これで覗きに行けるだろ。天井の蓋は軽い木の板だから、押したら持ち上がる。氷で冷えてるから風邪引く前に戻ってくるんだぞ」

「ん。行ってくる」


 板を押し上げ、クロエの体が天井の穴に消えていく。


「寒い」

「氷の部屋だからな。早めに下りてきた方がいいぞ」

「そうする」


 ハシゴを下りてクロエが帰ってくる。

 その表情はとても楽しげで、それを見たレンは、まあいいか、と肩をすくめる。


「みんなの部屋とトイレも確認する」


 面倒なのでハシゴはそのままに、氷室から出て他の部屋を見て回る。


「この箱がベッド?」

「ああ、中にウェブシルクって布を詰め込んでな」

「レンの部屋は、作業机がある部屋」


 レンの部屋を覗いてクロエが呟く。


「どんだけ覗いてたんだよ」

「トイレ……聖域の中に……これ、中身は綺麗にできる?」


 トイレは深い穴に汚物を落として、そこに消臭剤を撒いただけの代物である。

 くみ取り式だが、洞窟そのものが使い捨てという前提だったので、くみ取る方法は考慮していない。

 汚物槽に外から穴を開け、水流で押し流すのが最も簡単な取り除き方だが、それはあまりしたくないというのが、レンの偽らざる思いだった。


「ええと……腐敗や発酵を抑える薬剤を撒いて、石で蓋をしておくのはどうかな?」

「蓋はしなくてもいい」

「そうなの?」

「この穴は、いずれ役立つときが来るらしいから」

「それも神託?」

「そう」

「岩に穴を開けるの見て、気が遠くなったって言ってなかったか?」

「それはそれ」


 軽く言い放つクロエを横に、レンはウエストポーチから滅菌消臭剤を5本取り出し、中身をトイレに注ぎ込んだ。


「それは何?」

「消臭剤なんだけどね、匂いの元を作り出すばい菌の増殖を止めるから、中でガスが出たりはしないはず。それじゃトイレは使える状態で保存するってことで」

「あと、お風呂も使える状態にして欲しい」

「泉の壺を戻しておくか?」

「……あれは便利だけど、魔石を消費するからいらない」


 ふむ。と頷くと、レンはクロエを伴って一階に下り、洞窟の外から風呂釜と煙突の部分に穴を開け、短い煙突を追加する。


「これでいいか?」

「うん。十分、ありがと……これからレンは、神託に従い、聖地に避難所を作ったエルフを名乗っていい」

「ああ、そういうつもりで風呂とか整備させたのか。入り口は今のままで良いのか?」

「それはこちらでやる」


 レンとクロエが戻ると、川原に並べた椅子に座り、アレッタとマリーがにこやかに話をしていた。

 エドと護衛ふたり、シルヴィは立ったままである。


「戻ったけど、どういう状況です?」

「うむ。とりあえず、レン殿が戻ってきたら聖堂へ移動。一晩休んだ後、明日早朝、サンテールの街に馬車で向かう。レン殿含め、全員聖地での件はお咎めなし。加えて、レン殿には渡すものがあるそうじゃ」

「渡すもの?」

「神殿に用意してある。マリー、神殿に戻る」

「かしこまりましたわ、お姉様」


 マリーはすっくと立つと、クロエの斜め後ろに移動する。


「ええと、クロエさん、ここから神殿までの間に魔物は?」

「たまに出る。護衛がいれば問題ないレベル」


 護衛のひとりが先導するかたちで、一行は森の中に足を踏み入れていく。

 たまにここまで来る者がいるのか、森の中に少し入ると人が歩いた跡が獣道のようになっていた。


「……これに気付いてたら、絶対に、街か村があるって判断していたのに」

「その場合、儂らは助からなかったかも知れぬから、レン殿が川原のこちら側に踏み込まなかったのは、まさに天の配剤じゃったよ」

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