第15話 冷蔵庫見学と、物干し

 川原でひとときの休息を楽しんだアレッタが洞窟に戻ると、エドとシルヴィは解体の後片付けを行い、筌の中から魚を取り出し、前日の解体の際に竹筒に入れておいた、少し腐敗しかけた内臓を筌に入れて沈める。


「そういえば、枝も仕掛けの内じゃったの」


 エドは川から枝を持ち上げると、川原にしつらえた流し台に似た場所で、枝をバシバシと振る。


「お? おお、エビが掛かっとったようじゃ」


 ピチピチと跳ねる数匹の小さな透明なエビを、綺麗な竹筒に回収したエドは、それをシルヴィに手渡す。

 受け取った竹筒の中を覗き込み、シルヴィは首を傾げた。


「スープに入れてもいいですけど炒めても美味しそうですね」

「炒めるのか? 揚げても旨そうだけど」

「揚げるのは、洞窟ではちょっと難しいですね」

「そっか、火力が足りないか」


 シルヴィが使っている七輪に似たコンロは、煮物、焼き物程度なら何とか作れるが、揚げ物となると火力が不足する。

 しかし、小型のコンロ程度ならともかく、洞窟内で大量の薪を燃やすのはさすがに危ないとレンは判断した。

 風呂釜のように外から薪を入れるのなら、火があるのは実質屋外判定となるが、屋内で火を焚けば炭酸ガスだけではなく煙や火の粉に煤、その他諸々の問題が生じる。

 外で火を使えば多くの問題がクリアされるが、魔物に発見された場合、それが魔物忌避剤の匂いを物ともしない魔物だったら、極めて厄介な事態となる。


「魔石コンロなら火力はかなり出るから、試しに使ってみるか?」

「あ、いえ、これからまだまだ長いのですから、手持ちで何とかします」

「街に向かう際、魔石コンロは置いてくつもりだから遠慮は不要だよ?」


 レンの言葉にシルヴィは首を横に振った。


「いえ、そこは譲れません。街まで長い時間森の中を進むのなら、温かいご飯を食べるために魔石コンロは必要です」

「あー……まあ、うん。確かに危険地帯を長期単独行って考えたら、精神状態の維持は大事だけどね」

「レン殿。こちらにも普通の小型コンロはあるし、シルヴィの言うように、魔石コンロはレン殿が持って行って下され。その代わり、あれじゃ、魔石ランタンは置いてってくれるんじゃろ?」


 筌の中に入っていた、どことなく鮭に似た顔付きの魚をさばき、エラとはらわたを抜いたエドは、塩水の入った桶に魚を付けながら、そう言って笑った。


「そりゃもちろん。ランタンがないと、洞窟内は生活できませんからね。俺にはライトの魔法がありますし」

「儂らはランタンだけで十分じゃよ……ほら、それよりもシルヴィ、傷む前に食材をレン殿が作ってくれた冷蔵庫……氷室? そこにしまわねば。ところで、シルヴィ、この魚、ワタを抜いて塩水に浸けておるが、構わんかったかの?」

「あ、はい。ええと……これは山鮭ですから、塩水で少し漬けたら、河原の石の上に並べて干してみましょうか」


 山鮭という名称を聞き、レンの中の料理人技能の記憶が、その正体を教えてくれた。

 山鮭と呼ばれてはいるが、日本ではそれはサクラマスと呼ばれる魚だった。


「そのまま切り身にして焼いても美味しそうだな」


 サーモンピンクに染まった肉はまさしく鮭だった。

 切り身にして塩振って食べたらうまそうだ、というレンに、シルヴィは、それは料理じゃなく、ただ焼いただけですと返す。


「なら、切り身を酒に漬けて、小麦と塩と、何か適当な香辛料を付けて焼くとかかな」

「ムニエルですね。消毒に使えるような強いお酒ならありますけど、ムニエルでお酒を使うんですか?」

「まあ、香りのあるお酒なら、それなりにね。そうだ、氷室にはバターや調味料とかも置いとくから、好きに使ってね」

「お師匠様は何でもお持ちですね」

「まあ、錬金術師を育てるのに、色んな職業の技能が必要だったから、色々な職業に手を出して、色々作って、売り払ったけど、売れ残りも多くてね」


 技能レベルを上昇させる方法として、一番簡単かつ面倒なのは、何回もその技能を使うという方法である。勉強に例えるなら、それは例えば漢字の書き取りのようなもので、やることは簡単だがひたすらに面倒なのだ。

 レンは、錬金術師+他の職業の組み合わせで作れるポーションや道具を作りまくって関連技能のレベルを上げつつ、素材がなくなったら森に入って素材集めをして、細剣レイピアや弓の腕を上げていた。

 結果、様々なアイテムを作ったレンは、黄昏商会という、自前の商会で作った物を売って金にして、稼いだ金で素材を買い集めては新しい物を作って技能を育てて、というゲームの楽しみ方をしていた。

 ゲーム内に於けるレンの立ち位置は、ポーションの品揃えがよく、素材を割と高めに買ってくれる商会のオーナーというものだったが、技能を育てるために作った物全てが売り物になるわけでもなく、結果、レンのウエストポーチの中にあるものは『物作りに必要な素材と道具』、『売ってしまうのが勿体ないレアもの』、『売り物になりそうにないからいずれ潰して素材にするつもりの武器防具』、『素材集めに行くときに必要になる各種アイテム』、『クエストクリアに向けて必要個数を作りかけていた色々』、『技能レベル向上のために作ったけど、売り物にならなさそうな諸々』といった物が入っていた。

 調味料などはその最たる物で、味覚に制限のあるプレイヤーは買ってくれないし、NPCに売るには少し値が張るため、ポーチの中には色々と死蔵されていた。


「いったいいつ作った物ですか? 古すぎたら使えないと思うんですけど」

「まあ、そこはほら、錬金術の初級の本を読んだなら、ポーションに薬剤鮮度維持の魔法陣を貼るのは知ってるだろ? あんな感じの、もっと凄いことが出来るんだよ」


 時空魔法を付与した箱の存在はさすがに異質なので、レンはごまかしに掛かる。

 ポーションの瓶の蓋の部分に貼る薬剤鮮度維持の魔法陣は、錬金術の粋を集めた魔法陣のひとつで、腐敗や変質をコントロールする。

 時空魔法のように時間を止めるわけではないが、薬剤の品質に限って言えば、ある意味でそれに近い結果が得られるのだ。


「腐ってないなら、調味料はありがたいですね。あ、マヨネーズが新鮮だったのも、それのおかげですか?」

「まあ、当面はそう思っておいて」

「……さて、氷室に到着じゃ……が、レン殿、このまま入ると氷室が汚れてしまうので、儂にも洗浄をお願いしたいのじゃが」


 解体したあと、川で簡単に洗っただけのエドは、自分の体を見下ろして、情けなさそうな顔をする。


「それじゃ、シルヴィも靴を綺麗にするから並んで」


 レンはエドとシルヴィを並んで立たせると、ふたりに対して洗浄を使用する。

 ついで自分にも洗浄を使ったレンは、様子をうかがっているアレッタの視線に気付いた。


「氷室に入りますから、シルヴィへの説明は、アレッタさんからお願いします。靴に洗浄をかけるのでこっちに来てください」

「分りましたわ。ええと……これも必要になりますわよね」


 アレッタは、魔石ランタンを手に、レンの前に立ち、洗浄で靴を綺麗にして貰うと、魔石ランタンを点灯させ、シルヴィに笑みを向けた。


「それじゃシルヴィ、氷室に入りますわ。こちらのドアはトイレのと似た作りですけど、鍵はありませんの。釘に掛けてある紐を外してドアを開けると、目の前にカーテンがありますわ」


 ドアを開けたアレッタは、その向こうのウェブシルクの白いカーテンに触れる。


「あら? それなりに冷えてますわね」

「氷室だからな。氷の部屋から冷気が下りてきたんだろ」


 レンの言葉に頷いたアレッタは、カーテンを片側に寄せる。

 紐に掛かっただけのカーテンなので、ただ単に片側にまとめましたという状態ではあるが、その結果カーテンの向こうから冷気が流れ出し、照らし出された氷室の中を見たエドとシルヴィは驚きに目を見張った。


「……随分としっかりとした棚ですな」

「……これだけ広ければ。色々載せられますね」

「エドワード、シルヴィ、とりあえず、棚に食料をしまってくださいまし」

「承知」


 ボストンバッグから前日分の獲物も取り出して並べていくふたりを見ながら、レンもウエストポーチから、調味料各種、植物油を並べ、少し考えてから初級体力回復ポーション、中級体力回復ポーション、初級状態異常(毒1)回復ポーション、初級状態異常(毒2)回復ポーション、初級状態異常(麻痺)回復ポーション、初級状態異常(混乱)回復ポーションを数本ずつ並べる。店舗販売用に作成した中から自分用に確保しておいた物なので、ポーションの瓶には、名称と簡単な効果が書いた紙が貼られている。


 ポーション類は冒険者が持ち歩けるように作成されており、特に冷暗所で保管をしなくても問題はないのだが、ここなら邪魔にならないだろうという判断だった。

 体力回復ポーションは、初級の物は粘土の瓶に入っているが、中級になるとガラス瓶に入れるようになる。

 それを知っていたエドは、薄暗い中、レンが並べた瓶が何であるのかを理解し、引きつった表情を見せた。


「レン殿、それはさすがに高価すぎますぞ……支払いきれるか分りませんが」

「不要なら使わずに返してください。必要なのに手元にないという状態にはしたくないんです。必要になったら遠慮なく使ってくださいね。支払いについては相談に乗りますから」

「……感謝します」


 洞窟の中で生活し、出てもせいぜい川原までという生活であれば、グリーン系のエリア内で大きな危険はないだろうと予想しているレンだったが、この世界がゲームそのままではないということも理解していた。


「この辺りはグリーン系の魔物のエリアですから、滅多なことはないと思いますけど、まあ保険です」

「お師匠様、あれは何なんでしょうか?」


 少量を棚の上に並べたシルヴィは、氷室の一番奥の天井を指差して、そう尋ねた。


「ああ、この部屋の上には、この部屋より2メートルくらい奥行きがある横穴があって、この部屋の床と同じように床や壁を加工して、そこに氷を並べてるんだ。で、天井に開いた小さい穴から冷気が下りてきてる。ついでに氷が溶けた冷たい水が流れてきて、壁の布に染み込んで部屋を冷やしてるんだ。で、あの天井の板は、その氷の部屋に登るための穴かな」

「登れるんですか?」

「不具合があったときに直せるようにね。でも、出入りが激しいと、氷が溶けるのも早まるから、普通は登ったらダメだし、この氷室にも、できるだけ最少人数で、短時間だけ入るようにしないとだめだからな?」


 レンの言葉に頷いたシルヴィだが、その後ろからアレッタが抱きつき、レンに質問をした。


「レン様、点検用の穴があるのは分りましたけど、どうやって登るんですの?」

「ああ、俺は砂利で台を錬成して登ったけど……そうだな。この石の棚をよじ登れば届くんじゃないか?」

「ああ、なるほど……土足で登ると棚が汚れそうですけれど、一応届きそうですわね」

「私とアレッタお嬢様なら登れるでしょうけど、あの穴のサイズでは、エド様は登れないんじゃ……」

「……だから、俺以外が登る必要はないから。氷が作れるなら別だけど、そうじゃないなら、氷の部屋は、温度があがっちゃうから入らないこと。いいね?」

「分りましたわ」


 不満げに頷くアレッタに、レンは、貯水槽の説明をするように頼む。

 するとアレッタは、シルヴィの手を取って氷室から廊下部分に出て行き、貯水槽の構造の説明を始める。


「……レン殿」

「はい?」

「まあ、そういう事にはならんと思うが、万が一の時に、氷の部屋に立てこもることは可能じゃろうか?」

「……ん? どういう状況を想定してますか?」

「例えば、じゃが、イエローラクーンが侵入してくるとかじゃろうか?」

「……ラクーン……あいつの攻撃は結構面倒でしたよね。イエローだと、混乱でしたっけ?」


 イエローラクーンはそのまま黄色いアライグマである。尾の部分だけは、縞模様になっているが、見た目は名作劇場のアライグマを彷彿とさせるカラーリングで、可愛い見た目に反してひたすら凶暴で、噛まれると確率で混乱の状態異常に陥ることもある厄介な魔物だった。

 ゲーム内ではその毛皮が頭部用の防具として利用されることから、乱獲の対象だったが、NPCから見たら、脅威度の高い魔物となる。


「そうじゃな。混乱して、唸ったり叫んだり、水を怖がったりする」

「なるほど。ええと、まず、ここのドアはトイレのと同じ強度で、鍵も掛からないから、魔物の侵入を阻止したりは出来ません。氷の部屋に入るには、棚を登って小さい穴から入るしかないから、人間より大きい魔物は入れません。ラクーンだと大きさ的には穴を通過できるけど、棚を登って穴に入るような動きは普通ならしないでしょうね。それに、上に登った人が、穴の上に板を置いて、板の上に座ったりすれば、下からでは登るのは難しいでしょうね。火を使う魔物とかだと厄介でしょうけど」

「ふむ……あ、いや。実際にそんな事態になると思っておるわけではないのじゃが、ああいう隠し部屋のようなものを見るとつい、な」

「分ります。貴族のお屋敷や砦とか、隠し通路とかありそうですよね」


 ふたりがそんな話をしていると、興奮気味のシルヴィがレンを呼びに来る。


「お師匠様! 貯水槽の仕組み、ありがとうございます。ふたつあるので、片方は洗い物するのに使おうと思います。それで、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」

「おう。貯水槽並べるってのは、アレッタさんのアイディアな。俺はそこまで考えてなかったから」

「それでも助かります。食器洗いとか、夜、お風呂場でやるとなると、灯りがありませんから」

「あー……なるほど、なら、これを使ってみるか」


 レンはウエストポーチから巻物を取り出してシルヴィに手渡した。


「何です、これ?」

「一度だけ、覚えてない魔法を使える道具で、これはライトの巻物。巻物を開くと、頭の上に光の珠が2時間くらい浮いてるから、暗いところで仕事するのには使えると思うけど……って、そうか。シルヴィ、ちょっと試して欲しいんだけど、こっちの巻物を開いて貰えるか? 何か見えても、絶対に触れないこと」

「何です、これ?」

「転移の巻物。そっと開いたら、何が見えても触れないこと」


 ふたりの話を聞いていたエドが、目を剥くが、ふたりはそれに気付かずに話を続けた。


「……ええと……開いて……あ、これ?」

「板が見えたか?」

「はい、透明な板ですね。不思議です」

「……板に、街の名前とか書いてないか?」

「いえ、何も書いてませんけど? どういう仕組みなんですか? これ」

「んー、本当は、1年以内に訪れた街に、一瞬で移動出来るはずで、板には街の名前が並んでるはずだったんだけど……あ、巻物は回収するよ」


 シルヴィが転移の巻物を回収したレンは、それをポーチにしまうと、革袋を取り出し、ライトの巻物を20本ほど袋に詰めてシルヴィに渡した。


「これはライトの巻物。とりあえず、一本広げてみて?」

「はい」


 シルヴィが巻物を開くと、その頭上に光の珠が浮かび上がる。


「あ、使えましたね……手元はちょっと明るすぎますけど、調整はできないんですか?」

「うん。それがその魔法の欠点でね。光の珠を板で覆ったりするしかないけど、現実的じゃないし……で? 貯水槽の改造だっけ? 何すれば良い?」

「あ、はい。坂を登って、右に曲がる廊下部分ですけど、あそこの壁に、紐を引っかける場所を作っていただけないでしょうか」

「用途は?」

「ええと……洗濯物を干す場所です。川原で干すのは危ないって話ですから、洞窟内で干せる場所と考えると、あの通路部分かなと思いまして」


 ああ、とレンは納得した。

 洞窟内に洗濯を干すにしても、生活環境から離れた場所と考えると干せる場所は限られてくる。

 そして、ここに干す、と決めても、硬化スプレーで固めた壁では、普通の方法では加工は難しい。


「通路、4メートルしかないし、片側は壁もないけど、いいのか?」


 下からの坂道と、皆の部屋のある横穴が並ぶ長い横穴が繋がっており、それぞれが2メートル近い幅があるため、4メートルの通路の片側には殆ど壁らしい壁がない。

 何かするにも落ち着かないだろう、とレンが言うと、シルヴィは首を横に振った。


「そこは、無い物ねだりをしても仕方ありませんので」

「洞窟内で生活するんだから、我慢はしない方がいいぞ……そうだな……坂道登った左側に穴を掘ろう」


 炸薬を取り出したレンは、坂を登った左側の壁に炸薬で横穴を掘る。

 奥行き4メートルの穴を2つ繋げて奥行き8メートル、と思っていたレンだが、出来た横穴の長さは6メートルほどになった。


「……貫通したか……」


 とりあえず、と天井を硬化し、貫通して出来た穴に、石の棒で柵を作る。

 まるで牢屋のようなできばえだが、これで間違って外に転げ落ちることはなくなる。


「レン様、洞窟を拡張してますの?」


 炸薬の音に気付いたアレッタが顔を出してくる。

 そして、通路奥の柵から何気なく外を覗き、悲鳴のような声でエドを呼ぶのだった。

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