第10話 ノーベルに関する考察

 レンとエドが戻ると、シルヴィの部屋を利用して夕飯の支度が進められていた。

 シルヴィが使っているコンロは、少し大きめの七輪に似たもので、燃料としては炭やチップ状に砕いた燃料を用いるが、ある程度の大きさまでなら薪も使える。

 今はその上に鍋を載せ、皮を剥いた芋を茹でていた。


「エド様、お師匠様、お帰りなさい。エド様、お師匠様とお手合わせしたんですか?」

「おお、完敗じゃった。レン殿なら、森の中の単独行も問題あるまい」

「……で、シルヴィは何作ってるんだ? 芋なんてあったんだな」


 ジャガイモそっくりの芋に、レンは目を丸くする。

 そして、その芋が、この世界では割とポピュラーな農作物であることを、知らない筈の記憶が教えてくれた。


「お芋や麦は日持ちしますから。今日はこれを潰して、干した根菜と削った干し肉を混ぜたものとスープが夕食になります」

「料理なら俺も少しはできるけど、潰すの手伝おうか?」

「お師匠様は、料理人でもあるんですね。今度、レシピ交換してください」

「ああ、でも俺の知ってるレシピは、危ないのが多いから、使いどころが少ないと思うぞ?」


 味の再現率が低いゲーム内における料理人という職業である。普通の料理を作っていたのでは、プレイヤー相手に商売にならない。だからと言って、NPC相手では大した儲けにならないため、運営が放り込んだのが特殊な効果を持つ料理であった。

 スタミナ回復速度微増の効果が付与される「力のハムチーズサンドイッチ」はNPCでも買える価格帯の料理だが、中には火と水の耐性が付き、食事から5分間は体力が微量だが自動回復リジェネし続ける「属性竜の合い挽き肉ハンバーグステーキ」などという料理もあり、この素材集めに協力するとなれば、レンであっても容易くはない。

 勿論そこまで壊れた性能の料理となれば、上級の料理人を連れてこなければならないが、初級の料理であっても魔物素材を用いたものは少なくなかった。


「危ないお料理ってどんなのですか……まあ、それはさておき、お芋を潰すのは力仕事ですから、茹で上がったら手伝って貰えると助かります。ええと、完全に潰さず、指先大の固まりが少し残る程度でお願いします」

「了解、で、アレッタさんはどうかしたのかな?」


 シルヴィの部屋の正面、アレッタの部屋では、ベッドの上に丸い毛布の塊があった。

 気配察知には、起きているのか眠っているのか、微妙なラインの反応があった。


「ええと、お嬢様なら勉強疲れでお休みしてますね。さっきまで錬金術の本を読んでたんですけど」

「本? ああ、アレッタさんも追加部分に入ったのか。予想よりもかなり早いな」


 街に戻らなければ初級の職業に就くことはできないため、知識を詰め込むことだけで、飽きてしまうのではと心配していたレンだったが、その心配は杞憂だったようだ。

 中級の知識を詰め込んだからと言っていきなり中級に上がることはできないが、いずれ中級を目指すつもりなら時間の短縮にはなる。


「はい。素材を見分けるのについては少し苦労されてましたけど、最初にお師匠様に言いつかった部分は終わって、次の部分に取りかかってます」

「そりゃ良かった……戻ったらアルシミーの神殿で職業と技能を得て、中級に上がるためにポーションを一式を規定個数作るのと規定の素材回収を行えば、案外、中級までは簡単にいけそうだな」

「……お師匠様。私たちを中級まで育てて頂けるということは、街に戻ったあとも、皆に色々教えて頂けるということで宜しいでしょうか?」

「……アレッタさんとシルヴィに錬金術を教えるのは問題なし。ふたりがそれを広めても構わない。でも、他の職業や技能については保留」

「はあ、その辺りはお師匠様の判断にお任せしますけど……どうしてかお聞きしても?」


 首を傾げるシルヴィに、レンは溜息をついた。


「自分の目で街を見てから決めたいんだ」


 レン――健司が懸念していたのは、人間同士の争いで技能が使用されることだった。


 健司が思い浮かべていたのは19世紀中頃のある人物のことだった。

 ノーベル賞の生みの親、アルフレッド・ノーベルは衝撃を受けただけで爆発してしまう危険なニトログリセリンを安定させる方法を発明し、ダイナマイトを生み出した。

 それは当然のように軍事利用され、ノーベルは死の商人と呼ばれるようになる。

 そして、ノーベルが自分の評価を思い知る出来事が1888年にあった。

 フランスの新聞が、ノーベルの兄の死亡情報をノーベル本人のものと取り違え、「死の商人、死す」と題した死亡記事を掲載したのだ。

 ダイナマイトにより、危険なニトログリセリンで死ぬ人間が減ったはずで、ノーベルはそれに貢献した筈だった。少なくともノーベル本人はそう信じていた。しかしその記事には「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と記されていた。

 それを見たノーベルは、自分の死後、自分がどのような評価を受けるのかと考え、ダイナマイトで得た莫大な資産を人類のために貢献した人々に与えるために、ノーベル賞を運営する財団を作るよう遺言を残した。


 健司がこの話を聞いたとき、健司はまだ小学生だった。そして小学生なりに考え、大量破壊兵器である爆弾を作ったのだから、ノーベルが死の商人と呼ばれるのは当然だと考えた。

 当時の時代背景を考えれば、危険なニトログリセリンを制御可能にしたことはたしかに評価されるべき偉業である。

 19世紀中期と言えば、産業革命が終息し、急速に発展した科学技術によって世の中が大きく変動する時期である。当然、様々な鉱石の需要も伸びており、ダイナマイトはその需要を満たすための重要な道具であった。

 そういう視点で見れば、確かにノーベルの功績は大きい。ダイナマイトも様々な亜種が作られ、坑道内で粉塵爆発を起こしにくくする工夫が取り入れられたものなどを作ったりもしている。

 しかし、同時に爆発する兵器によって、奪われた命の数も大きい物だった。

 ノーベルは兵器への転用についても、国のためと割り切っていた。しかし、その記事がノーベルに衝撃を与えた。


 大きな功績は帳消しにされ、後世に残るのは死の商人という悪評だけ。

 ノーベルはそれを誤報によって知らされ、方向転換を図った。

 そうして、ノーベル賞を維持する遺産と、それを運営する財団が誕生した。


 健司は、そうしたノーベルの心変わりの様を知り、それを悪だと否定はしなかったが肯定するつもりもなかった。

 ノーベルは間違いなく死の商人だった。私財を投じてノーベル賞を作り上げたと言う功績も大きいが、それで死の商人であったという事実は消えない。


 そして、健司の記憶を持つレンは、そこに学ぶつもりだった。

 ひとたび、大量破壊兵器が広まってしまえば、それをなかったことにはできない。

 だから、安全だと判断できない技能を簡単に教えるつもりはなかった。


「お師匠様は街で何を見たいのでしょう?」

「……正直、俺も分ってないんだ」

「そうなんですか?」


 レンはシルヴィに少し困ったような笑みを向ける。


「強いて言うなら、技能がなかったことで、何が起きているのか、かな」

「技能がなかったことで?」

「俺は技能がないことが即不幸であるとは思ってないんだ。勿論、それで失われた命もあるだろうけど、失われなかった命もあったんじゃないかなって」


 錬金術師の技能は、他の職業と組み合わせない限り、攻撃に転用できるものは少ない。

 それに中級ポーションの半分ほどは、初級ポーションの上位互換に過ぎず、中級の技能が出回ってもそれで傷付く人間は、そう多くないというのがレンの予想だった。

 錬金術の発展で戦場に兵士が怪我から復帰しやすくなれば、それは間接的な戦力増強に手を貸したことになるが、裏を返せば戦場で失われる命が救われると言うことである。片側のみがそうなるのであれば戦争終結までの時間は短縮するし、両陣営が使用するのなら今までと変わらない。全体としてトレードオフに出来るのなら、戦場以外で使われるポーションで救われる人数はプラスとなる。

 それは、誰が、という部分が含まれない、冷たい数字だけの計算だが、神ならぬ身のレンでは、それ以上の予想はできなかった。

 また、戦争や魔物被害による人口減がなくなった場合、その先には食糧難が予想されるが、錬金術にはそれを解消するための方法がある。端的に言えば肥料だが、地球のそれよりもある意味で高性能なものだった。それらを考え合わせた結果として、レンは、錬金術に関しては伝えてもよいと判断した。


 しかし、失伝した魔法技能の習得方法や、効率的な技能向上の方法を教えるのは、意味合いが全く変わってくる。

 魔術師の職業レベルが上がれば、それは単純に威力や範囲の強化になるし、技能レベルが向上すれば、それが攻撃系の技能なら、それはそのまま攻撃力の強化に繋がる。

 ゲーム内には核兵器に匹敵するような強力な魔法こそなかったが、大砲よりも強力かつ長射程、広範囲な魔法や魔道具なら、レンにも心当たりがあった。

 そんなものを手にした人間が戦争でも起こせば、どれだけの被害が出るか予想も付かない。戦場で兵士が死ぬのなら、それは戦いを選択した結果として想定すべきリスクだが、そんな魔法で街が攻撃されれば、戦う術、身を守る術を持たない非戦闘員も被害を受けることになる。


 だからレンとしては、教えるのは物作り系の職業レベルの上げ方に留めておきたい、というのが正直なところだった。

 魔物という脅威が存在するこの世界の住人達に、自衛の力にもなる技能を教えないというのは、傲慢なことかも知れないと思いつつも、レンは、それをしても問題ないと言い切れるほど、この世界の人間を信じてはいなかったのだ。


「まあ物の見方は色々ですよね。あ、お師匠様、お芋が煮えましたので潰して貰えますか」


 ボウルに取り出した芋と、すりこぎのようなものを渡されたレンは、洞窟の隅の方に置いてあった丸太に腰掛け、慣れた手つきで芋を潰し始める。

 それを横目に眺めながら、シルヴィはスープを作り始める。


「そうだ、シルヴィ。これ使うか?」


 レンはポーチから小さい壺を取り出し、シルヴィに手渡す。

 素焼きの壺なので中身は見えないが、中身はぎっしりと詰まっているようで、シルヴィはその重さに驚いた。


「なんです、これ?」

「マヨネーズだよ。しっかり寝かせてあるから、すぐに食べられるぞ」

「酢はともかく、卵と油はどうしたんですか?」

「あー……内緒だ」

「まあ、お師匠様が作ったのでしたら安全だとは思いますけど」


 シルヴィはエドに目配せをすると、木のスプーンでマヨネーズを一掬い、口に運び、目を見張る。


「……お師匠様が作ったんですよね? 後でレシピ教えて下さいね」

「これは標準のレシピだけど……ああ、使ってる材料が少し違うのか」

「特殊な素材を使ってるんですか?」

「街でも買えると思うけど、油は亜麻仁油ベースのブレンドで、ひまわりと大豆も使ってる。前にちょっと必要に迫られて作ったのが余ったから、食用油に転用したんだ」

「油でこんなに風味が変化するものなんですね」


 シルヴィは口の中に残ったマヨネーズの味を反芻するように目を閉じる。


「まあ、マヨネーズの半分以上は油だから、油を変えるだけでかなり違うよ」

「風味の違いを楽しむのなら、オリーブ油やごま油も面白そうですね」

「……いや、それはお薦めできない……確かに風味は劇的に変わるけど、癖が強すぎるんだ……まあ、人を選ぶ味になる」

「……お師匠様は試したことがあるんですか?」

「ああ……試したと言うか、まあ、知ってるだけだ」


 それはレンとしての知識ではなく、健司としての知識だった。

 きっかけは既に覚えていないが、当時付き合っていた女性が色々な材料でマヨネーズを作り、健司に味見をさせたことがあったのだ。亜麻仁油のブレンドはそのときの味がベースになっているが、中にはちょっと個性的すぎる風味のものもあったのだ。

 レンは遠い目をしながら芋を潰し続けた。

 それを見て、シルヴィは、その話をそれ以上追求するのをやめた。


「……お師匠様、このマヨネーズはどのくらい寝かせてますか?」

「作成して冷暗所に二晩かな。さすがにできたてを渡したりしないよ」


 作ったのはゲーム時代だが、ポーチの中に入っていたのだから、その期間はノーカウントである。

 作成した当時のことを思い出し、レンが答えると、シルヴィはほっとしたような顔を見せる。


「それなら毒の心配は」

「ああ。問題ないはずだ」

「エド様、このマヨネーズ、今日の料理で使ってもいいですか?」

「ああ、レン殿が出したものなら安全じゃろう」


 レンが作った洞窟に住み、レンの洗浄で身を清めているのだ。

 エドは、今更レンを疑う必要はないと判断していた。


「それじゃ、芋に混ぜちゃいましょう……お師匠様、芋は十分に潰れたと思いますので貸して下さい」


 シルヴィはレンからボウルを受け取ると、あらかじめ茹でて刻んでおいた乾燥ニンジンと、まるで削った鰹節のように薄い干し肉を混ぜ込み、マヨネーズを加えて味を調える。

 それを皿に盛り付けると、机代わりの丸太の上に皿を並べる。あとは、スープを添えれば完成である。


「アレッタお嬢様を呼んできますね」

「……起きてますわ。わたくし、目が疲れたから横になって目を閉じていただけですわよ」


 シルヴィが立ち上がるのと、アレッタがベッドの上で起き上がったのはほぼ同時だった。

 アレッタはシルヴィが椅子代わりに出した丸太に腰掛けると、食前の短い祈りののち、食事を始める。


「……美味しいですわ……これがレン様のマヨネーズを使ったマッシュポテトですのね?」

「そうです。色々な油をブレンドした油で作ったそうです。戻ったら油のレシピを教えて貰わないといけませんね」

「……それも良いですけど、これだけ美味しい物を作れるのなら、他も気になりますわ」

「……料理のレシピは、街で素材が買える物なら全部教えるよ」


 レンが知っているレシピは料理人初級のものなのだし、街で買える程度の素材で作るレシピなら効果が極端なレシピは少ないため、問題はないだろうとレンは判断した。街に何が売られているかは不明だが、中級職以上がレアであるなら、凶悪な魔物の素材は市場にはないだろうという想定である。


「そりゃありがたい! レン殿、これは本当に旨いですな。シルヴィ、おかわりを貰おう」


 エドがシルヴィに皿を突き出すと、アレッタのスプーンの動きが速くなり、アレッタもシルヴィに空になった皿を突き出した。


「わたくしもですわ!」

「……アレッタお嬢様、そのようになさらなくても、私が給仕しますから」

「そ、そうね……ついムキになってしまいましたわ」


 頬を赤らめながらもシルヴィから新しい皿を受け取るアレッタ。

 受け取った皿をあっという間に空にしたエドは、アレッタに向き直った。


「ところでアレッタお嬢様には報告しておきたいことがあるんじゃが、この場でよいじゃろうか?」

「……ええ、構いませんわ」


 エドの真剣な表情に、アレッタの表情も引き締まるのだった。

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