第8話 試しと罠と風呂
「うむ。刃引の剣もないしの。借りよう」
レンから長い木剣を受け取ったエドは、片手だけで軽々とそれを振る。普段は金属製の剣をふるっているのだから当然である。
空気を切り裂く音が辺りに響く。
「軽いが固さは十分。まあ問題なかろう。レン殿は
「ええと、こっちを使います」
レンは、エドに渡したものよりも短い木剣を取り出す。
「ふむ。まあ、レイピアの木剣では、打ち合えば折れてしまうか」
「この木剣は、昔レイピアの練習用に作ったもの、ですけどね」
レンは木剣をレイピアに見立てて、三連突というレイピア使いの専用技能を放つ。
素早く三回突きを放つだけの技と言ってしまえばそれまでだが、エドは、レンの突きが見えない敵の顔、喉、胸に吸い込まれたのを幻視した。
そしてその突きの早さはエドの素振りを凌駕していた。
「……中々やるのう……左手には何も持たんでも良いのか?」
「短い木剣をマインゴーシュやソードブレイカーの代わりにもできますけど、今回はなしで」
レンの返事に、エドは目を細めた。
「……なぜか聞いても良いかの?」
「エドさんの攻撃を片手でどうこう出来るとは思ってませんから」
レンはエドの戦いを見たことはないが、その歩き方や観察力から実力はかなりのものだろうと予想していた。
NPCだから職業レベルは高くても中級だろうが、『碧の迷宮』では基本技能さえ鍛えれば、それだけでもかなり戦えるようになる。
「ほ、高評価じゃの……じゃがレイピアの戦い方では、いずれにしても片手になるぞ?」
「ええ、だから、こういう使い方をします」
レンは木剣を両手で持ち、剣道の構えにも似た姿勢――厳密には両手剣の構えから、剣士系共通の突き、斬り、払いと言った、基本技能に該当する技を繰り出す。
基本技能は文字通り基本的な技ばかりで、職業ごとに覚える技能――例えば三連突のような派手さはない。
単発の技ばかりなので威力は低く、大技と比べると射程も短い。
しかしその分、隙がほとんど発生しない。
それを知っているレンにしてみれば、対人戦が得意そうなエドを相手に、大きな隙が発生する大技で立ち向かうという選択肢はなかった。
「なるほどのう。一応言っておくが儂は対人戦はかなりやっとるぞ?」
「まあ、部下の育成とかやってるならそうなりますよね」
レンとエドは、川原の中程で向かい合い、木剣を構えた。
「それじゃ、始めるとするかの。先手を譲ろう」
「……行きますよ……!」
息を吐きながら、レンは真正面からエドに突っ込む。
剣は上段。間合いに入ると共にレンの木剣が振り下ろされ、軽い音と共にエドに弾き返される。
その力に逆らわず、レンはエドから距離を取った。
「……ふむ……今のはどの程度の力じゃろうか?」
「様子見程度ですね。エドさんは反撃しないんですか?」
「うむ。レン殿の腕を見るのが目的じゃから、倒してしまっては意味がなかろう?」
「それじゃ次はもう少し本気で行きます……っ!」
声にならない裂帛の気合いを吐き出しつつ踏み込んだレンの足下の丸石が弾かれたように真横に向かって飛ぶ。
直後、レンはエドの右側で剣を横に薙いでいた。
先ほどよりも重い音を立て、エドはレンの剣を弾き返す。
「ほう……運足はかなりの物じゃの。足場が
「今ので半分くらいですけど、まだ大丈夫ですか?」
「……ほう。半分か。ならば次は反撃するとしよう。一応寸止めするつもりじゃが、しっかりと避けるのじゃぞ」
「分りました。それじゃ、行きますよ……はっ!」
一度距離を取ったレンが、再度エドの左側に移動し、今度はすれ違いざまに木剣でエドを薙ぐ。
それを弾き返したエドは、そこから流れるように突きを放つ。
胸元に伸びてくる切っ先を、体を斜めに開くことで躱したレンは、目の前のエドの腕を狙って木剣を振るが、エドはそれを横っ飛びに躱し、その勢いで体をコマのように回転させて木剣の長さを活かしてレンの体を横薙ぎにしようとする。
少し体勢を崩していたレンは、木剣を立てて、エドの重い攻撃を弾くと、姿勢を低くしながら剣から左手を離し、直後、押し縮められたバネが伸びるように体を伸ばし、エドに向かって連続で突きを放った。
顔に向かってきた一発目の突きを木剣を立てて受け止めたエドは、続いて喉に向かってくる二発目の突きを下がることで避け、追いすがるように胸に伸びてくる突きを剣で払い、その払った勢いで一度剣を下げて攻撃に転じようとする。が。
「なにっ?」
攻撃姿勢に転じようとしたことで生じた隙をつくように4発目の突きがエドの胸に迫る。
体を捻って左肩でその突きを受けたエドは、木剣を取り落とし、肩を押さえてうずくまる。
「す、すみません! とりあえず体力回復ポーションをどうぞ」
「あ、いや。驚いただけで痛むわけではない……てっきり三連突と思ったのじゃが……うむ、参った。完敗じゃ」
「技能じゃなく、ただの突きを連発しただけです。まあ5発以上連続では出せませんけど」
「ふむ……最初に三連突を使って見せたのは、この布石じゃったか」
三連突を印象づけることで、連続で突きが来たら三連突と思わせる。そういう心理戦か、と感心したようにエドは呟くが、レンにそういった意図はなかった。
単にエドの動きが想定以上に良かったため、反撃するという予告を受けて萎縮し、できるだけ隙の少ない技を選んだだけだ。
3発で止めずに4発目の突きを放ったのは、攻撃の手を緩めたら反撃が来ると思っていたからに過ぎない。
「それにしても両手で戦うと言いつつ、片手で攻めてくるとは、中々知恵者じゃの」
「いえ、狙ったわけじゃないんですけど」
両手持ちと片手持ちでは、動きも速度も射程も、すべてが異なる。
エドが後手に回ったのは、それに幻惑された部分も大きい。
だが、エドは、それも含めてレンの実力であると判定していた。
「見たところ、まだ本気を出し切ってはおらぬようじゃの」
「7割、といった所ですね」
ある意味で事実である数字をレンは上げて見せた。
エドはそれを聞き、楽しげに頷いた。
「なるほどの。これならイエロー系の魔物までなら問題なく倒せそうじゃ……それにしてもレン殿」
エドは笑みを深めてレンの顔をじっと見つめた。
「7割とはのう……儂に気を遣うことはないのじゃぞ?」
「別に気を遣ったわけじゃないですけど」
レンは困ったような笑みを浮かべた。
レンが7割程度の力で戦ったのは事実だが、それは剣技に限ってのことである。
魔法や錬金術といった要素を組み合わせれば、レンはもっと有利に事を運べた筈だ。エドはそれを正しく理解していた。
しかしレンの言葉にも嘘はなかった。最初からレンは、この腕試しは剣技に限るつもりでいたのだ。
「まあよい、いずれにしても儂の負けじゃ……で、どの程度で出立の準備は整いそうかの?」
「分りませんね……この周りに色々な素材がありそうなのは確認していますけど、近場だけで必要数を揃えられるかどうかはやってみないと分りませんから」
ゲームの中であれば素材を採取してから一定時間が経過すると大半の素材は
レアな物ほど復活に時間が掛かるという仕様だったが、それでも、待てば同じ場所で同じ素材を手に入れることができたのだ。
しかし、レンの知らない筈の記憶は、そんな便利で不思議な現象は起きないと告げていた。
(まあ、現実世界になったのなら、当たり前の話だけど)
「で、そろそろ日も沈むが、何かするのかの?」
「ええと、これを仕掛けます」
レンは洞窟のドア代わりにしていた木の枝をポーチから取り出すと、それを掲げて見せた。
「仕掛ける? 枝にしか見えぬが?」
「ええ、後で罠も作りますけど、とりあえずこれを川に浸しておくんです」
「なるほど。魚が寄ってくるように、じゃな?」
レンは頷くと、川岸に錬成で石の棒を作り、そこに枝を結びつけ、葉の部分が水中に沈むように調整を行った。
「こうして、罠を仕掛けるのに適した場所を作っておくわけです」
「罠か……
「そうですね。未確認ですけど、森の中で竹を見掛けましたので、それで筌を作って沈めようかと」
竹などを編んで筒を作り、片方を紐で縛って閉じ、もう片方を漏斗のようにして中に餌を入れ、川に沈めるのだ。
漏斗の部分から魚が中に入り込むが、漏斗の部分を逆に抜けられずに魚が獲れるという単純な構造で、単純が故に、世界中に様々な形状の筌が存在する。
なお、罠から魚を取り出す際は、紐で閉じた側を開けたり、漏斗部分を取り外したりと、作りによって色々な方法がある。
「筌は儂も子供の頃に作ったことがあるぞ。シルヴィも田舎の出だから、やったことがあるかもしれんの」
「慣れてる人がいるなら安心ですね。俺がいない間の食料調達手段のひとつと考えてるんです」
「それならレン殿、川原の、その枝を結んだ辺りを平らにすることは出来るじゃろうか?」
「平らにですか? 目的はなんでしょう?」
「うむ。まず、罠から魚を出すための場所じゃな。幸い、馬車は流れなかったから、桶や樽はあるが、それらを置いて作業するにも、地面が丸石ではのう……それと、その枝じゃよ。もしかしたら、枝の方にもエビやカニが来るかもしれんじゃろ? 平らな場所の上で枝を振れば、そいつらが落ちてくれるかもしれん」
「なるほど……ということは……水が流れるように僅かに傾斜を付けて、丸石と、石の下の岩盤を素材にして平らな流し場みたいな感じで……周囲には5センチくらいの高さの枠を作って、一部、水が流れ出るように穴を開けて……うん。こんな感じかな」
レンの言葉と共に、川原の一部、2メートル四方が枠の付いた平らな流し場のように変形した。
レンは、そこに魔法で生み出した水を流し入れ、傾斜に沿って水が流れることを確認すると、満足げに頷いた。
「土魔法の錬成じゃよな? やはり儂の知ってるものより効果が大きいようじゃ」
「魔術師の基本技能も錬成も、きちんと育ててますから」
「ほう。無事に戻れたら、その鍛錬の方法も生命魔法などと共にご指南いただけないじゃろうか」
「……考えておきます」
魔法の威力を上げる方法は3種類ある。
基本技能を使いまくって技能レベルを上げる方法と、育てたい魔法を使いまくって魔法の技能レベルを上げる方法、これに加え、魔術師の職業レベルを上昇させることである。
そして、技能レベルを効率よく上げる方法は、プレイヤーにとっての基礎知識だった。
その中には、プレイヤーでなければ難しい方法もあれば、NPCでも実現可能な方法もある。
レンはその全てを知っているわけではなかったが、錬金術師ならではの方法を幾つか覚えていた。
だが、それを教えてしまっても良いものか、その判断が出来るだけの情報をレンはまだ持っていなかった。
エドもシルヴィも真面目で、アレッタのためにと率先して働いていて、そこには仕事だから、というだけではない、アレッタに対する親愛の情が感じられた。
それにアレッタはレンに対して、領民でない上恩人だからと、敬称を付けずに呼ぶことを許そうとしていた。
この世界で初めて出会った3人の住民に対して、レンは悪感情を一切持っていなかった。
だがそれでも、3人を信じられるということと、この世界のすべてを信じられるということは別物であるとレンは考えていた。
技能は強力な攻撃力にもなるのだ。
(広めてから後悔しても手遅れだし、しっかり見極めてからだよな)
レンがそんなことを考えていると、枝の固定具合を確認していたエドが戻ってきた。
「これで外に出た用事は一通り片付いたかの?」
「そうですね。魔物忌避剤撒いて、腕前を見て貰うのと、川に影を作っておくのが目的でしたから」
「なら、儂からひとつ頼みたいことがあるのじゃが」
「なんでしょう?」
「うむ……難しいとは思うのじゃが、その、川縁付近に小屋か目隠しを作って、そこに風呂を作れんじゃろうか?」
「風呂ですか?」
「今はレン殿が洗浄を使ってくれておるから問題はないが、レン殿が不在となれば、お嬢様もシルヴィも汚れを気にするだろうと思っての?」
ああ、とレンはエドがなぜ急に風呂などと言い始めたのかを理解した。
職業とそれに付随する技能は、神の恩恵というのが、『碧の迷宮』の設定だった。
だから、シルヴィが錬金術を使えるようになるのは、きちんと学び、街の神殿で寄付をして祈った後になる。
つまり、街に帰るまで、アレッタもシルヴィも錬金術を使えるようにはなれない。
この状態でレンが不在となれば、その間、アレッタ達が身を清める方法が限られてしまうのだ。
川があるので洗濯には困らないだろうが、20日の間、濡らした布で体を拭くだけというのは女性には厳しいかもしれないとレンは頷いた。
「なるほど、風呂ですか……多分そんなに難しくはないと思います」
「すまんの。解呪や命の礼など、諸々、弾んで貰えるように手紙をしたためておく故」
「謝礼の話は街に戻ってからとアレッタさんと約束してますから、ほどほどでお願いしますね」
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