第3話 安全地帯の拡張とこれからの方針

 翌朝、鳥の鳴き声で目を覚ましたレンは、洞窟の入り口の木の枝をウエストポーチにしまって外に出た。

 見上げた空は少し曇っていて、風が冷たく感じる。

 雲があるため、空はまだ少し暗く、森の中も夜のように暗い。


「さて、今日はどうしようか」


 何の手がかりもないままでの森の踏破は難しいと考えており、それに挑戦しようというつもりはない。

 食料の確保と素材収集、それに、安全に暮らせる場所の確保が最優先事項だった。


(安全が最優先だな。住居は洞窟でいいとして、錬成で石の柵を作って川原の周囲を覆えば、それなりに安全になるかな? 魔物は柵くらい越えてくるだろうから魔物忌避剤も併用しないとだけど)


 レンは川原に転がっている沢山の丸石を見て、柵程度は作るだけの素材は十分にあると判断する。

 脳裏に完成図のイメージができたら、早速石を拾って柵を作り始める。

 錬成で作った石の棒は、長さが3メートルで、それを丸石の下の岩盤に固定して柵にする。

 川原の岩盤に固定した棒は、押した程度ではぐらつく様子もない。

 それを繰り返し、川以外の方向は、通路になる部分を除いてすべて石の棒を立てる。


(まるで牢屋だな……まあ、安全のためだ、仕方ない)


 次に、縦棒同士を繋ぐように錬成した石の棒を横を渡し、縦棒に固定する。

 横棒を膝の高さと額の高さに渡しているので、棒の一部が折れても、柵としての機能は簡単には失われない。

 そして、通路と決めた部分に、柵を板状に組んだ扉を作り、縄で柵に固定してドアのように開閉できるようにする。


「完成かな? ああ、でも森に近すぎる」


 レンは魔物の気配がないか慎重にさぐりながら柵の外に出て、ドアの周辺の木を切り倒し、入り口付近の見晴らしを良くする。

 そんな作業が一段落したところで、レンは下腹部の痛みを感じた。


(トイレ……排泄時は警戒も緩むし、毎回柵の外ってのも厳しいよな……川の上に張り出すようにトイレを作れたら天然の水洗になるかな?)


 トイレの構造を考えながら、レンは川の中を覗き込む。

 透明度が高い水の中に、イワナに似た魚の姿が見えた。


(魚は食料になるし、川を汚染するのはやめとくか……生活空間も拡張したいし、トイレは洞窟を広げて中に作った方が安全だよな……洞窟内にいるときに外にいる魔物と柵越しに目が合わないようにしたいから、洞窟は折り返して、警戒しやすくするには、上に登れた方がいいか? なら、一番奥から斜め上に向けて掘って、少し登ってからUターンすれば、いけるかな?)


 洞窟に戻ったレンは、一番奥から上に向けて30度ほどの傾斜になるように、炸薬を用いて洞窟を延長した。

 それを合計3回行い、一番奥で右に向けて水平になる穴を掘り、その一番奥から更に右に向けて水平の穴を掘るのを3回繰り返す。

 要は、穴を斜め上に向けて掘り、坂を登ったところでUターンしただけである。最後の炸薬で、穴は岩の外、川原に繋がった。


(ええと、坂の部分は大体30度の傾斜だから1対2対ルート3で、炸薬で掘った穴は奥行き4メートルが三つで12メートル。2の辺が12メートルだから、1の辺は6メートル。で、水平な洞窟部分の長さは1.7掛ける6だから……ざっと……10メートルに、一階部分の4メートル足して14メートルかな? で、換気を考えるとトイレの場所は窓に近い方だよな)


 二階部分の外が見えている穴のそばに、外に向かって左方向に横穴を掘り、その一番奥に真下に向けて穴を作る。

 直径2メートルで深さ4メートル穴だ。落ちれば捻挫か骨折である。

 炸薬で発生した砂利を使い、その大穴を厚めの石の板で埋め、そこに直径50センチの穴を開けたレンは、穴の中に水魔法を数発撃ち込んで水を貯め、昔町で売るために作った、くみ取り式トイレ用の汚物を分解するポーションを注ぎ込む。


(これだけ大きな穴なら、この拠点を離れるまでなら溢れたりしないよな?)


 少し内股気味になりつつ、レンはできあがりを確認し、石の板に開けた穴をまたぎ、和式トイレを使うようにしゃがんで用を足す。


「……用は足せるけど不安定この上ないな。石を錬成すれば便器っぽいものは作れるかな?」


 用を足し、洗浄魔法で諸々綺麗にしたレンは、トイレの壁面に錬成で穴を開け、外に繋がる小さい換気用の窓を作ると、砂利から便器を錬成し、穴の上に設置する。

 当然ながら水洗式ではない。

 そして、トイレの横穴から出ると、砂利から石の棒を作り、それを使って外に繋がる大きな穴に柵を付ける。


(これで、間違って落ちるって事はなくなるか……できれば柵じゃなく窓ガラスにしたいけど、珪砂は在庫が少ないんだよな)


 窓の柵に満足したレンは、いったん洞窟から出て、外からどう見えるのかを確認した。

 元の洞窟の右斜め上に、柵が付いた穴があり、そこから更に右に3メートルほどの所に小さい換気用の窓がある。


「よし。上の10メートルの穴を生活用にして、下の穴は玄関ってことにしよう」


 川原の石を使い、洞窟の入り口両脇に石の棒を立て、そこに石の柵で作ったドアを括り付ける。

 数回ドアを開け閉めし、出入りする時以外は柵を閉じて棒に縛り付けておけば、それなりに安全は確保できそうだと納得したレンは、洞窟の1階部分に出したままになっていた毛布やウェブシルクなどを片付け、丸太を椅子とテーブル代わりにして朝食の支度を始めた。

 朝食はウエストポーチに入っていたハムチーズサンドイッチにしてみる。

 スタミナ回復速度が微増する効果が付与される食料だが、アイテム名は「力のハムチーズサンドイッチ(失敗)」で、以前、クエスト達成のために作った失敗作ゴミである。

 これを食べても付与効果は付かないが、食料としての機能は残っており、食べると空腹の状態異常が解消できるため、廃棄せずに残していたものだ。

 ウエストポーチから取り出したハムチーズサンドは、見るからに失敗作という代物だった。

 パンの厚さが均等ではなく、ハムもチーズもボロボロである。


「まあ、食べちゃえば同じだろ。いただきます」


 レンはサンドイッチを黙々と食べ、首を傾げた。


(味は普通……コンビニのと同じくらいに旨いけど……成功したのだと、もっと旨いのか?)


 試しにと、レンはウエストポーチから調理に成功したスタミナ回復速度微増効果付きの「力のハムチーズサンドイッチ」を取り出して口に運ぶ。

 その目が大きく見開かれる。

 レンはサンドイッチを夢中で頬張ると、幸せそうな表情をした。


(旨い。くそ、こんなことなら料理人の職業レベルもせめて中級にしとくんだった)


 メインパネルからクエストリストを確認するが、料理人の職業レベルを上げるための条件が満たされていないのか、職業レベルを上げるためのクエストはまだ受注できる状態になっていなかった。


「ええと? ……未達成なのは、何か料理を作って10食分を販売するか、そんなの町に行くまで進めようがない……まあ、職業レベル上げるには神殿行かないとだから、どっちにしても、町にいかないと無理か」


 残念そうに呟いたレンは、テーブルと椅子の代わりにしていた丸太を片付けると、装備を整え、洞窟から出る。


「ちょっと雲が厚くなってきたか? 風も強くなってるし、遠出は避けるか」


 川原に出て左方向の、森との境界の部分で、数本の木を切り倒し、扱いやすそうなサイズに切ってからウエストポーチにそれをしまう。

 材木が欲しいというのもあるが、川原に作った柵の周辺にある目隠しになる物を減らしておきたいのだ。

 気配察知技能があると言っても、一部の魔物はそれをすり抜けて接近してくることもある。

 木々が少なければ、木の陰に隠れて接近した魔物に気付かずに不意打ちを受ける可能性が減るのだから、レンとしては、伐採をしない手はなかった。


 数本の木を切ったレンは、細剣レイピアを片手に森の中に踏み込む。

 目的は薬草類と、食べられる野草の採取、可能なら果物や岩塩、キノコに苔類、珪砂や粘土も手に入れたいところである。


(あっちに見えてるのは竹っぽいな。竹があるのは助かる。明日の朝にでも覗きに行ってみよう)


 周囲を警戒しつつ森の中を進んでいると、森の奥に竹林らしきものを見付け、レンのテンションが上がる。しかし、今欲しいのはそれではない。

 食料と錬金術素材の確保が最優先目標だ。

 森の中に更に踏み込んだところで、発見した回復草とミツバを採取していると、レンの長い耳がピクリと反応した。


 レンはウエストポーチから弓とえびらを取り出すと、そっと弓を構え、矢を放つ。

 ひゅん。という音に続き、ピィという鳴き声が聞こえる。

 周囲を警戒しながらレンが森の奥に進むと、灌木の陰に角の生えた緑色の兎が倒れていた。


「グリーンホーンラビット……魔物だけど食用。新鮮な肉はありがたいけど……そっか……血が流れるのか……罪悪感をそんなに感じないのは、飛び道具だからか、それとも記憶が書き込まれて人格に影響が出てるのか……」


 ゲーム内でも流血表現が入ることはあった。しかしそれはあくまでも攻撃が当たったという血飛沫エフェクトのようなものでしかなく、血が流れ続けるようなことはなかった。

 レンが兎に刺さった矢を握って持ち上げると、兎の体は力なくだらりとぶら下がり、血が滴る。そのまま、ウエストポーチに兎をしまうと、レンはポーチ内のリストを表示させてみた。


「間違いなくグリーンホーンラビット。緑系の魔物ってことは初心者エリア周辺ってことか」


 ゲーム中では、緑色の魔物は初心者向けに設定され、それらが生息するエリアは初心者エリアと呼ばれていた。レンがそんなことを思い出しつつ、慎重に周囲を見回すと、食用の野草と薬草が数種類生えているのが目に入る。

 警戒しつつ収穫し、気配に注意しながら歩いていると、土の色が灰色になった場所を見付けて足を止めた。


(粘土だな。これはありがたい)


 ウエストポーチからスコップと革袋を取り出し、粘土を採取していると空気の匂いが変わったのに気付く。


(雷雨の匂い?)


 少しオゾン臭の混ざった雨の匂いに空を仰ぐレン。しかし森の中なので空は見えない。

 念のためウエストポーチから防水のローブを取り出してマントの上から羽織る。

 視覚と聴覚が遮られてしまうため、フードは被らず、急いで森から出る。

 レンが川原に着く頃には、空からパラパラと大きめの雨粒が落ち始めており、遠くから雷の音も聞こえていた。


 レンは急いで洞窟に入り、石の柵で作ったドアを閉めて、二階に上がる。

 二階に上がったレンが、洞窟の窓の柵越しに外を眺めると、雨は本降りになっていた。

 柵越しに雨が混じった風が吹き込み、窓のそばの岩肌が濡れていく。

 洞窟内を通る風に体温を奪われたか、レンは寒さに震えた。


「風が入らない横穴が必要かな」


 レンは、柵から吹き込む雨混じりの風の様子を見て、柵を付けた壁の穴から4メートルほど入った辺りに横穴を追加した。

 炸薬の白煙が消えるよりも早く風に流されていくのを見て、レンは洞窟内の天井を固め、床部分を錬成で平らにする。

 横穴に入り、そこに風が吹き込まないことを確認したレンは、満足げに頷くと装備を外し、少し雨に濡れてしまった分、丁寧に手入れを行う。

 一通りの手入れが終わり、立ち上がって伸びをすると、洞窟の岩に直接座っていたため、体が冷えていることに気付く。


「腰掛けられるようなベッドとか欲しいけど……ええと、枠は錬成でいいか?」


 横穴の奥に、砂利を使って大きな石の箱を作り出す。

 大きさや形状は、自宅で使っていたセミダブルベッドをイメージしたためかなり大きく、横穴の半分がそれだけで埋まる。

 石で出来た箱は上面が開いており、レンはそこに大量のウェブシルクを詰め込んでマットの代わりにして、そこに毛布を2枚かける。

 一枚がシーツ代わりで、もう一枚が掛け布団がわりである。


(手持ちの布がウェブシルクってのは、ある意味ラッキーだったか?)


 ウェブシルクは蜘蛛の魔物の糸を集めて作った昆虫由来の布である。

 真っ白い布には、糸の段階から汚れ防止と防刃が付与されており、染めたり切ったりが難しいことから、手芸師からは使いにくい布と評されている。

 針は通るが、切るためには少々特殊なハサミが必要になるし、染色してもすぐに色が落ちてしまうのだ。

 だが、汚れにくい布というのは、洞窟暮らしでは重宝する。

 できたての柔らかいベッドに体を横たえたレンは、風雨の音を聞きながら、少しだけ休むつもりで目を閉じた。



 目覚めると気付けば外が暗くなり始めていた。


「やばい、柔らかいベッド、気持ちよすぎる」


 起き上がったレンは、洞窟の窓から外を眺める。

 風が強まり、雨量も増している。

 普段は底が見えるほどに透き通っている川も、まるでコーヒー牛乳のような色合いだ。

 川原にも水が流れ込んでいて、半分ほどが水没している。

 濁流には大小様々な木切れや葉が流れており、それらが上流の雨量も多いことを教えてくれている。

 空はかなり暗いが、夕方だからなのか、それとも雲が厚いからなのかの判断ができない。ゲーム内では常時画面に時計が表示されていたため、レンは時計を持っていなかった。


「まあ、この雨じゃ外に出るのは危険だな……寝ちゃったから眠気もないし、錬金術でも試してみるか」


 レンはベッドを作った横穴に戻ると、ウエストポーチから錬金術の道具一式と、体力回復ポーションの材料を取り出す。

 ベッドで手狭になった横穴は、それらの道具を並べただけでいっぱいになってしまう。


 レンは、先ほど森で採取してきた粘土を捏ね、掌に載るほどの小さい瓶を作る。

 体が記憶しているかのように、作られる瓶は、サイズも厚みもすべて均一になっている。

 瓶を15個作ったところで、ひとつずつ、錬金魔法の乾燥を掛ける。

 乾燥の魔法は、掌に載る程度の大きさの物を乾燥させるための魔法で、薬草を乾かすのが本来の使い方だが、小さい陶器も乾かせる。

 乾いた瓶を小型の竈に並べて焼く。

 魔石を使った竈はそれなりに高火力だ。燃費はよろしくないが、プレイヤー向けに作られた道具だけに高性能で、竈の表面には動作状況を知らせるランプが並び、焼き上がったら自動で冷却までしてくれる。


 焼き上がるまでの待ち時間で瓶に入れる中身を作る。

 粘土で作った瓶で保存できるのは初級のポーションに限られ、中級以上のポーションではガラスの瓶が必要になる。

 したがって、今回作成するのは初級のポーションである。

 手持ちの素材から必要な薬草を取り出し、乾燥魔法で水分を飛ばし、薬研やげんで粉にしたそれを鍋に入れる。

 そこに錬金魔法で純水を注ぎ、温度調整の魔法で90度に加熱してゆっくりかき混ぜながらコンロの上で一瞬だけ沸騰させ、錬金魔法の魔力付与を使うと、鍋の中の液体の色が黄色に変化した。

 鍋を火から下ろし、液体の温度を25度にし、そこに刻み目を付けた回復草を沈め、ゆっくりとかき混ぜると、回復草が葉脈だけを残して溶け、液体の色が緑色に変化する。

 鍋の中から葉脈を取り出し、それを銀のトレイに出したところでレンは小さく息をはいた。


「完成かな。ええと……瓶の方は?」


 ゲームだと、この位のタイミングで焼き上がり、冷却まで終わっていたはずだけど、とレンは竈を確認する。

 竈には小さいパイロットランプが付いていて、それは冷却中を示す点滅になっていた。

 レンが見ていると、そのランプは数秒で消灯する。


「よし」


 レンは竈から焼き上がった陶器の瓶を取り出し、そこに鍋の中身を注いでいく。

 すべての瓶に薬を注いだレンは、コルクで蓋をして、薬剤鮮度維持の魔法陣が書かれた紙で封をして魔力を流す。その直後、一瞬だけ魔法陣が輝き、保存の魔法が掛かったと知らせてくる。


「初級の体力回復ポーションはそれっぽく作れたけど……念のため効果も確認しとくか」


 鍋の底には一瓶相当の薬液が残っている。

 レンは、ナイフを取り出すと、自分の指先に押し当て、小さい傷を付けた。

 現実と変わりない痛みがあり、傷口から血が垂れる。


 ゲームでは痛みは電気ショックで表現され、流血もしなかったのを思い出しながら、レンは鍋に直接口を付け、薬液を口に含んだ。

 青臭さに不快気に眉根を寄せたレンは、そのまま薬液を喉に流し込み、軽くむせた後、傷を確認する。

 ぐいっと血を拭うと、そこには傷はなく、痛みも消えていた。

 初級体力回復ポーションは、ゆっくりと傷を癒やす薬だが、小さい傷だからか一瞬で治っていた。


「……うん、治ってる。自分で作った初級体力回復ポーションはゲーム内と同じように使用可能、と。NPCにも効果があるようなら、町でこれを製造販売して稼げるかな」


 ゲームの中で、大半のNPCは街や村の中から出ないで生活していた。

 街は石の壁に囲まれていたし、農村の畑や居住地そばの森などは、結界杭で魔物の侵入を防いで安全を確保しており、そんな安全地帯から外に出るのは、行商人と冒険者、貴族とその私兵くらいのものだった。

 戦う力のない者が魔物に襲われれば、簡単に命を落とすのだから当然である。


 そんな世界だからこそ、町の外に出て素材を集め、ポーションにして売れば、安定収入を確保できるだろうとレンは考えた。

 もちろん素材集めのために町の外に出るには多少の危険があるが、そのリスクがあるからこそ、ポーションに価値が出る。


 だが、同時にレンは、本当に危険と判断したら逃げるとも決めていた。

 ゲーム内ではプレイヤーが操るアバターは不死の存在で、死んでも30秒以内に蘇生の霊薬を使って貰えば息を吹き返したし、30秒が経過してしまっても、最後に立ち寄った街の中央の泉の前で、デスペナルティこそあったが目を覚ました。

 だから、ゲームでは多くのプレイヤーが様々な無茶をした。毒を持ったまま敵に食われるとか、全滅するような強敵が相手でも逃げずに敵の攻撃パターンを調べるとか、死なないことを前提とした作戦を立て、嬉々として実行していた。そしてレンもそのひとりだった。


 だが、ゲームが現実に変容した以上、死がどこまでリアルな物になったのかが分からない。

 試してみて、生き返れませんでした、では話にならない。

 だからレンは、安全に生きる道を選択しようと考えていた。


(街で安全に過ごしつつ、この世界から脱出する方法を探す、とかかな)


 そう考えつつも、レンには何が何でも元の世界に帰ろうという強い意志はなかった。

 学生時代に親しかった友人とは就職してから疎遠になっていたし、親戚との付き合いもなければ家族もいない。

 仕事は病気療養中だったし、帰ったところで今の日本では、不器用なりに頑張ってみても、生きるだけで精一杯の給料を手にするのが精々だし、老後も生活が出来るほどの年金を貰えるとは思えない。そうなると、歳をとって働けなくなれば生活保護以外の選択肢はなく、その未来予想図には夢も希望も感じられなかった。


 それに対し、この世界が『碧の迷宮』に準拠しているのなら、それなりに生きやすい世界であるはずだ。

 レンというアバターは秒間あたりの攻撃力DPSこそ低いが、それでも錬金術だけならそれなりの腕前である。物価がゲーム内相当であれば、ポーション販売だけでも十分な稼ぎになる。

 努力したことがきちんと対価になり、老後の心配をせずに済むのなら、敢えて日本に戻らなくてもいい。


 だが、それを決めるためには町に行かなければならない。

 ゲーム内と同じ物価なのか。社会は安定しているのか。何を決めるにしてもそうした情報を得る必要がある


 完成した初級体力回復ポーションの瓶をウエストポーチにしまい、レンは小さく頷いた。


(まずは森で生き延びて、街への道を探そう。森にいる内に、素材を集めて、街に拠点を作るところまでを当面の目標にする)

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