第2話 拠点構築

 岩の崖の前に戻ったレンは、空を見上げて途方に暮れていた。

 空の色は少し黄色みを帯びてきていて、そろそろ夕刻であると教えていた。

 ゲーム内であれば、野営セットを使えば森の中でも安全に寝ることができるのだが、レンの手元にある野営セットには、魔物を遠ざける結界棒という消耗品が不足していた。

 代替品として、魔物が嫌う匂いを出す魔物忌避剤というポーションもあるが、結界棒と比べると効果はかなり落ちる。魔物が近付きたくないと感じる匂いを撒く物なので、風上からの接近だと効果はないし、そこに獲物がいると認識した魔物を遠ざけるほどの効果はないのだ。


(夜の森は危ないんだよなぁ)


 鳥形の魔物を除く大半の魔物の活動が、夜の森では活発になる。

 徘徊する魔物の数や種類が増え、強い個体の割合も増える。

 昼の森の魔物は獲物を探して徘徊したりしないが、夜の魔物は獲物を狙うハンターになる。

 夜陰に乗じて接近とか、獲物が近付くのを茂みで待ち受けるとか、木の上から獲物が通りかかるのを待って飛びかかるとか、そうした不意打ち行動をするようになるため、油断をすれば中堅のプレイヤーでも致命の一撃クリティカルヒットを食らう危険性が高まるのだ。

 レンには気配察知という技能があるため、獣や、魔獣型の魔物であれば不意を突かれる危険性は低いが、昆虫型の魔物は気配が薄いため危険である。

 中でも、マンティス系と呼ばれるカマキリの魔物は危険度が高い。

 鉄の鎧を切り裂く鎌を持ち、全長は2メートル以上。気配察知などの感知系技能があっても、攻撃を受けるまでその存在に気付けないことも多いため、初心者殺しなどと呼ばれている。


(昆虫系の魔物が多い森の中で野営は無理として……川原もやばそうかな)


 川原には障害物がないため、遠くの魔物を発見しやすいが、逆もまた真なりで、夜闇の中で魔石ランタンを使ったりすれば、魔物からもレンを発見しやすくなる。

 それに、とレンは川原を見回した。川原全体に流木が流れ着いているのが目に付く。

 これは、流木の辺りまで水が来たことを意味するため、増水したら川原全域が水没する危険性があると分かる。


(森も駄目、川原も駄目となると……)


 レンは岩の崖を振り仰ぎ、何のとっかかりもない、滑らかな岩肌を見て、ウエストポーチから炸薬というポーションが入った試験管を取り出した。


「ええと……岩肌に炸薬が入る大きさの穴をまっすぐに開ける……錬成……おお、物理効果のある魔法もちゃんと使える」


 土属性の錬成という魔法は、土や金属や岩に任意の変化を与える魔法である。錬金魔法にも同じ名前の魔法があるが、得られる結果は土魔法の錬成の方が大きい。

 魔法が発動すると、崖の岩肌のレンが意識した部分に光が集まり、岩が砂のように崩れ始める。そして数秒後にはレンの胸の高さくらいの位置に、炸薬が入った試験管が入る程度の大きさの穴が空いた。

 拾った小枝を使って穴に残った砂を取り除き、レンは炸薬の入った試験管を差し込む。

 試験管にはコルクで蓋がされており、蓋の部分には薬剤鮮度維持の魔法陣が書かれた封印紙が貼られている。


「ええと……ゲーム内だと爆風は1メートルも離れればよかったけど、念のためもう少し距離を取るか」


 炸薬は周囲の固体を粉砕するが、生体には影響を与えない。ただ、まれに小石などが飛び散り、それによるダメージを受けることがある。

 レンは炸薬を詰めた穴から4メートルほど離れ、魔法発動のポーズを取る。


着火イグニッション


 火属性の着火で炸薬のコルクを焼く。

 直後、ポン! という軽い音と共に、炸薬の半径1メートルが真っ白い煙に覆われ、10秒ほどで煙が消えていく。

 空気の匂いを嗅ぎながらレンが近付くと、岩肌には地面から40センチほどの高さに、直径2メートルほどの丸い穴が空いていた。穴を覗き込むと、ゲームの炸薬と同じで、奥行きは4メートルほどで、中は半分ほどが砂利で埋まっていた。

 レンの疑問に反応し、知らない筈の記憶が穴の大きさの割りに砂利が少ない理由を教えてくれた。


「穴の大きさの割りに砂利の量が足りないのは……残りは魔素に分解されたのか」


『碧の迷宮』では、破壊不可能オブジェクトは存在しないと言われている。

 地下迷宮の壁だろうが、王城だろうが、神殿に飾られた神像だろうが、方法さえ間違えなければすべて破壊できる。

 そのため、地下迷宮を探索する冒険者は、壁や床を破壊して道を作るために炸薬を常備している。

 坑道や迷宮内で使用するため、炸薬ポーションはその威力や影響範囲が厳密に設定されており、魔物を誘き寄せることのないよう、発する音も小さい。

 なお、炸薬でゴーレム以外の魔物に直接ダメージを与える方法は、魔物の足下に突然落とし穴を作る以外には発見されていない。

 破壊された壁などは砂利状になるが、半分程度は白い煙として空気中に消えていく。それが魔力の源泉たる魔素だった。


「とりあえず、今日はここで休もう」


 掘ったばかりの洞窟に入ったレンは、洞窟内に大量に残っている砂利をウエストポーチに収納し、硬化ポーションスプレーを取り出すと天井の中央に吹きかける。

 これをやっておかないとゲーム内では一定の確率で落盤が発生するのだ。


(虫除けは……掘ったばかりだからいらないか)


 土の洞窟で休む場合、虫除けを散布しておかないと、睡眠不足や発熱の状態異常が発生することがあるのを思い出したレンだったが、掘ったばかりの石の洞窟なら不要と判断する。


(それより、魔物対策か……魔物忌避剤は……結構あるな)


 レンは川原に出ると、洞窟の入り口の左右15メートルほどの位置に魔物忌避剤を散布する。

 川原にふわりとオレンジに似た香りが広がる。嗅覚がある魔物は、この匂いを嫌って近付かなくなるのだ。


(洞窟の両側に撒いとけば、風向きが変化しても川原に魔物が顔を出すことはない……よな? 後は入り口のカモフラージュか)


 折角匂いで魔物が近付かなくなっても、匂いが届かない距離から目視確認されしてまっては意味がない。

 獲物を見付けた魔物は、匂いを気にせずに寄ってくるのだ。

 ウエストポーチから手斧を取り出し、警戒しながら森に踏み込んだレンは、大きな木の枝を数本切り取り、葉が付いたままの状態で洞窟の入り口に引き込む。

 当然のように洞窟内は暗くなるが、その暗さを確認したレンは、大きく頷いた。


(光はあまり入ってこない。これなら、夜、灯りを点けても、外に漏れないかな?)


 野営道具を取り出したレンは、まず魔石ランタンを点灯する。

 照明魔法ライトを使っても良いのだが、あの魔法は迷宮内を探索するためのもので、光の珠が術者の頭の上について回るため、手元を照らすには少々明るすぎるのだ。

 土魔法の錬成で奥の壁にランタンを設置する台を作り、洞窟の奥の部分だけ床を平らにする。

 そこに、大量に在庫があるウェブシルクを重ね、2枚だけ持っている毛布を敷けば寝床の完成である。


(……あれ? この感覚は……ええと、リアルの体の方の感覚だとしたら大変なことになるんだけど……自動ログアウトしてくれるのに期待は……やめておこう)


 レンはカモフラージュ用の木の枝をウエストポーチにしまうと、洞窟を飛び出して川に向かった。

 そして、自然の欲求に従って川に向かって用を足した。


(……リアルの体からの欲求じゃなかったか……それにしても、これで、ゲームでないことがはっきりした……家庭用VR内では排泄は絶対にできない)


 VRMMORPGで遊んでいる人間にも現実の体の方で排泄や食事の欲求が発生する。

 それを無視してゲームを続けると色々な意味で大惨事となってしまうため、体からの排泄、空腹、痛みなどの信号はゲーム中のプレイヤーにも届くようになっていた。

 それらと混同しないため、医療用システムを除き、VR環境下では排泄という行為自体存在しないし、空腹や痛みは軽い電気ショックのように感じるように作られていた。

 また、18禁ゲームではないのだから、下半身を晒して小用を足す、などという事ができてしまったら大問題である。


(医療用のVRシステムはハードウェアから別物だから、デスゲームの可能性は完全に消えたな。残るのはゲームにそっくりの異世界に入ったってことだけど)


 洞窟に戻り、再び木の枝で蓋をしたレンは、ウエストポーチから、50センチほどの大きさに切った丸太を取り出し、それに腰を下ろして苦笑する。


「しかし、冷静に論理的に考えた結果が異世界ってのも中々笑えるよな……空腹を感じ始めているし、ダメージを受けたら痛みを感じたりもするんだろうな」


 レンは防具を外して手入れのための道具を取り出す。

 革鎧は正しい方法で手入れをすることで、僅かながら耐久度が回復するのだ。これを疎かにすると、あっという間に劣化するため手を抜くことはできない。

 今回は雨に濡れたわけでもないので、乾拭きをして要所に油を塗る程度に留める。

 一通りの整備が終わったら、そのままウエストポーチに収納し、代わりに座っているのと同じ大きさの丸太を取り出し、それをテーブル代わりにして保存食を取り出してみる。


「……食えるのか? これ」


 保存食はゲーム内で自作した物で、製法はしっかりと記憶にある。

 麦類をベースに各種穀物に水分を含ませ、圧延したものを加熱して水分を飛ばし、少量の砂糖と塩を混ぜてから獣脂で固めたものである。

 見た目はシリアルバーに似ているが、見るからに脂っぽそうだし堅そうだ。

 この保存食と干し肉が一般的な冒険者の食事とされており、これだけを食べて空腹度を回復するプレイヤーも少なくなかった。


 医療用、研究用などの一部の例外を除き、VR世界で五感を完全再現することは禁じられている。

 これは、視界内に常に時計やアイコンを表示することを求める法律に基づく物で、遊興に用いる場合、五感の再現率について全体の合計値が定められているのだ。

 そして『碧の迷宮』では、触覚への過剰な刺激――痛み――と、味覚の再現率が低く設定され、その世界が現実ではないとプレイヤーに教えていた。

 空腹という状態異常を癒やすため、食べ物というアイテムを消費するのが食事であり、だから、ゲーム内の食べ物の本当の味を知るプレイヤーは存在しなかった。

 しかし、素材の知識が記憶にあるのと同じく、料理に関する記憶もレンの中に存在した。

 その記憶は、保存食はそのまま食べることもできるが、積極的に食べたいと思える味ではないと教えていた。


 職業レベルは初級のままで技能レベルも高くはないが、一応料理人の職業も覚えたことのあるレンは、保存食と干し肉を眺めつつ調理方法を思い出してみた。

 知らない記憶に従い、野営道具の中から小鍋と魔石コンロと金属のスプーンと調理用のナイフ、錬金術で作成した醤油を取り出す。


「鍋はちょっと汚れてるか。洗浄」


 錬金魔法のひとつ、洗浄で、鍋とスプーン、ナイフを綺麗にする。

 泡に包まれた鍋たちは、泡が消えると磨かれたように綺麗になっていた。


「純水生成」


 不純物をまったく含まない水を出す錬金魔法で水を出し、鍋の中を深さ2センチ程まで水で満たす。


「温度調整」


 これも錬金魔法で、液体を任意の温度に変化させる魔法である。指定可能な温度は対象が一気圧下の水の場合、摂氏5度から90度の範囲である。

 この魔法は液体の温度を変化させるだけで煮込んだりはできないが、水を加熱しておけば沸騰するまでの時間を短縮できる。


 お湯が入った鍋を魔石コンロに乗せ、スイッチを入れる。

 沸騰するのを待ち、レンはナイフで干し肉を削ぐようにして鍋に落とす。

 お湯の中に薄く削られた干し肉が落ち、鍋底から立ち上る泡でくるくる舞い、透明だったお湯が少し茶色く染まる。

 保存食を手にしたレンは、それを四つに割り、お湯の中に放り込む。

 そしてコンロの熱量を少し弱めると、そのまましばらく待つ。

 保存食がお湯を吸ってぐずぐずに崩れ、保存食を固めていた獣脂がお湯に溶け出したところに、醤油を少し垂らすと、脂と干し肉と醤油の香りが洞窟内に広がる。


「……もういいかな? と、そうだ」


 レンはウエストポーチから数種類のハーブを取り出し、洗浄を掛けてから千切って鍋に散らす。

 ハーブはポーションの風味を変えるための素材として確保していた物だが、料理に使う方が一般的な使い方だ。


 魔石コンロを停止し、鍋を丸太の上に起き、魔石コンロとナイフに洗浄を掛け、残った干し肉と共にウエストポーチにしまうと、レンはスプーンで鍋の中身をすくい取り、そのにおいを嗅いでみる。


「いただきます……ハーブはいらなかったか?」


 醤油の香りが強く、ハーブの香りが負けている。

 脂の匂いがかなり強いが、干し肉の匂いが混ざっているからか、むしろ食欲をそそる。

 スプーンに息を吹きかけて口に含むと、醤油の香りが口の中から鼻に抜け、塩味と甘みを感じる。

 潰れた穀物が汁を吸い、噛まなくても飲み込めるほどに柔らかくなっている。

 その中に、削った干し肉の歯ごたえが混じり、噛むほどに旨みが染みだしてくる。

 ハーブの葉を噛むと、その香りが口の中に広がり、醤油と脂の香りを上書きする。

 レンは、鍋の残りを貪るように食べた。そして、鍋の中身をすべて腹に収めると、鍋とスプーンを洗浄してウエストポーチにしまう。


「ごちそうさま……結構、美味しかったな。お腹も減ってたし、そのせいもあるのかな?」


 レンは丸太を洞窟の壁際に寄せて腰掛けると、分厚い鎧下に包まれた左手の匂いを嗅ぎ、鼻にしわを寄せた。

 我慢ならないほどではないが、汗が乾いたような匂いがした

 防具を着けて半日も過ごせば当然の結果ではあるが、洞窟内に風呂などという設備はないし、ウエストポーチにも風呂までは入っていない。


(消臭剤ならあるけど、あれって一時的なものだし……ああ、ええと。できるかな? ……魔法に関する記憶が正しければできそうだけど、念のためポーション使えるように用意だけしとくか)


 レンはウエストポーチから上級の体力回復ポーションが入ったガラス瓶を取り出し、それを右手に握りしめると、左手に対して洗浄魔法を放った。

 鎧下ごと左手の肘から先を泡が包み、服の下の腕にもさっぱりしたような感覚があった。


(洗浄は人体に影響ないって知識にはあったけど、問題はなさそうだな)


 左腕の匂いを嗅いでみると、古びた布の匂いがした。

 それを確認したレンは、今度は首から下全体に対して洗浄を掛け、目と鼻を避けて頭部にも掛ける。

 さっぱりとしたレンは、ズボンのベルトを緩めて毛布の上に寝転ぶ。

 ウエストポーチは外さない。そこに入った道具がなければ、技能の半分は役立たずになってしまうのだ。遭難している現在、レンにとってこのウエストポーチは命綱だった。


 魔石ランタンの光量を落とし、レンは目を閉じる。

 洞窟の外からは虫や動物の声が聞こえている。

『碧の迷宮』には四季があり、季節によって虫の声が変化するのだが、レンはそこまで虫の声には詳しくなかった。

 ただ、繰り返す虫の音に眠りに誘われ、意識が薄れていった。

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