【完結】【書籍化】錬金術師のなかなかスローライフにならない日々
コウ@錬金スローライフ発売中
第1話 ラノベでよくある展開
「どこだよここ?」
その日、
昨日ログアウトしたのはエルシアという町で拠点にしている商会の一室だった。
ログインすれば、そこに戻る筈だったが、周囲を見回せば前方には歩いて渡るのを躊躇う程度に広くて流れの速い清流。
足下は丸い石が転がった川原。
左右と川向こうには鬱蒼とした森が広がっている。
そして振り向けば、一枚岩の断崖絶壁が空に向かって立ち上がっている。
それらを眺めながらレンは妙な違和感を覚えていた。
(いつもと何か感じが違う? ……それにしても、こんな場所に出るなんてバグか? それとも突発クエストか? 転移の巻物は素材集めが面倒だから使いたくないんだけど)
レンは長い銀色の髪が風で揺れ、長いエルフの耳に絡まるのを片手で押さえ、首を傾げた。
「あれ? 髪が邪魔になる? バージョンアップしたのかな? まさかバージョンアップの影響で座標データが飛んだとか? メインパネルオープン」
レンの目の前に半透明の板が表示される。
種族:エルフ
名前:レン
年齢:30歳
健康状態:良好
+クエストリスト
+アイテムリスト
+職業リスト
+技能リスト
+装備リスト
(突発クエスト発生のアイコンは出てない、と)
見慣れた情報が書かれたメインパネルを見て、レンはさっきから感じていた違和感の正体に気付いた。
(いや、待った! そんなことより、さっきから地図が表示されてない……
それらはゲーム中、常に画面の隅に表示され続ける物で、ON、OFFの設定変更はできない仕様だった。
(……これもバージョンアップの影響か? よりリアルにとか? でも現実と見分けの付かないVRソフトは法律で禁止されてたよな)
VR黎明期の視覚と聴覚のみをカバーするシステムと違い、超伝導神経接続型のVR機器は脳神経と直接データのやりとりをするため、現実と寸分違わぬ世界を作り出すことが出来る。
だから、医療用のVR機器が世に出た少し後、それらが娯楽に転用されるのを前にして、先進諸国は幾つかの法律を施行した。
ゲームに没入して現実とVR世界の区別が付かなくなることを防止するため、医療用などの一部例外を除き、視界の一部に常時、消すことの出来ないアイコンや時計を表示することを義務づけ、これに違反したハードウェアを無許可で開発・販売した場合、行政指導抜きで行政処分となり、最低でも罰金刑と一定期間の業務停止、場合によっては許認可の取り消しとなり、更に悪質と判断されると管理責任者が懲役刑となることもある。
更に、時計の表示はソフトではなくハードに組み込まれた機能で、ソフト制御でそれを上書きすることは出来ないようになっていた。
レンのリアル、鈴木 健司は30歳の休職中の会社員で、体を壊す前はIT業界で仕事をしていた。
だからこそ、違法なバージョンアップの可能性を即座に否定した。
(こんなの世に出したら炎上必至だし、ゲーム会社が潰れる……それにしても……ありえないだろ、これ)
レンはメインパネルの表示を確認し、顔をしかめた。
そこにある筈の、ログアウトのボタンや、フレンドリストの中身が消えていた。メッセージボタンもグレイアウトされていて使えそうにない。
「ラノベによくある展開……どっちだ? デスゲームか、ゲームによく似た異世界か……似た世界の可能性が高そうだな……夢の可能性は……ログイン前の記憶はあるし、とりあえず除外しとこう」
デスゲームとは、ゲーム内からログアウトできなくなり、ゲーム内で死ぬと現実の体も死んでしまうという設定のライトノベルのジャンルである。ゲーム内にいることには変わりないので、ゲーム内で使えるアイテムやシステムコマンドの大半をそのまま使用することができる場合が多い。
それとは別に、ゲームに似た異世界に転移なり転生なりするというジャンルも存在する。こちらのケースでもなぜかゲームに似たシステムが使えたりすることがあるため、メインパネルが開けるから異世界ではないという判断は出来ない。むしろ、ゲームソフトとして消すことが出来ない筈の時計が消えていたり、HPゲージが見えなくなっていたりすることから、デスゲームよりも転移転生系に近いと予測を立てる。
夢の可能性については、否定できないが除外する。夢なら目覚めてから苦笑でもすればいいし、夢でなかった場合、これを夢と仮定して行動するのは危険だと考えたからである。
レンは地図や自分の体力や魔力を表示する方法がないかを調べてみたが、メインパネルの中にそれらしい設定は存在しなかった。
クエストリストを開くと、現在着手しているクエストと、過去にクリアしたクエストの一覧があり、それらは記憶にある物と同じだった。
次に職業リストと技能リストを確認すると、そちらも記憶と同じ状態に見える。
「技能は……魔法なんかは使えるのか?」
『碧の迷宮』には多数の職業が存在し、職業を覚えると技能を習得する。
アバターそのものにはレベルがなく、代わりに職業レベルを上げて新しい技能を覚えたり、技能レベルを上げることで成長する。
どれだけ強い敵を倒しても経験値を得てレベルアップが出来ないため、キャラクターがレベルアップして体力や筋力が強くなるゲームに慣れた人間は敬遠する傾向があったが、それでも何でもできるし、何にでもなれるというゲームの売りは、多くのユーザーに支持されていた。
また、筋力や敏捷などは隠しパラメータになっていて確認ができないが、筋トレなどの適切なトレーニングで僅かながら強化できるのではないか、と言う噂もあった。
レンというアバターは、錬金術師と
だが、それも技能が使えればの話である。
アバターがレベルアップしない仕様なので、レンの肉体強度は、ゲームを始めたばかりのアバターより多少はマシという程度でしかない。
アイテムの効果で多少体力が多かったり、魔法を使う際の魔力消費が軽減されているし、強力な武器や防具がある分恵まれているが、それらの装備を外せば、ゲームを始めたばかりの新人と殴り合った時にレンが負ける可能性もあるのだ。
(とりあえず害のなさそうなところで……)
「
レンは、何となくゲーム内で魔法を使うときのアバターの動きを思い出し、右手を前に出し、頭上に光の珠が浮かぶところをイメージしながら
すると、少しだけ体から何かが抜けるような感覚と共に、イメージ通り、頭上に光の珠が浮かんだ。
頭上に浮かぶ光の珠は、レンが体を動かすと、相対位置を変えずに付いてくる。
それを見て、レンはその魔法が開発された経緯をぼんやりと思い出し、そして青ざめた。
「……そりゃ、魔法の種類や効果範囲、消費MPなんかはゲームで覚えたけど……何で魔法開発の歴史の知識とかが頭の中にあるんだ? そんなの俺は見たことないぞ?」
レンは光の珠を見上げたまま呆然とした。
ゲームの中で魔術師の職業を中級まで育て、技能レベルもそれなりに上昇させた経験から、レンは魔法についてはそれなりの知識があった。しかしそれは、ゲーム内の魔法の属性や、
知らないはずの記憶に驚いたレンは、自分の体を見下ろした。
地竜の革鎧をまとい、腰には
足は地竜のブーツ、手は地竜の籠手を付け、掌には錬金術師専用グローブを付けている。
ゲーム内のレンの姿そのものだった。
レンは
技能を明示的に使用しない単なる突きを数回繰り返すと、最後には空気を切り裂くほどの突きを放てるようになった。
剣の技能には、三連突や烈風突のように、動作と威力などが設定されたアクティブ技能もあれば、明確な動作が規定されていない突き、斬り、払い、運足といった、基本的な動作を向上させるためのパッシブ技能もあった。
そのパッシブ技能によるものだろうと考えたレンの脳裏に、やったことのない筈の鍛錬の記憶が蘇る。
(……鍛錬? ……いや、これって職業レベルを上げるためのクエストに似てるか?)
職業レベルを初級にしたり、レベルを上げるには、職業に関する訓練を行い、職業を司る神に祈りを捧げる必要がある。
ゲーム内の訓練は、アクションゲームとクイズを足して二で割ったようなものだったが、それを訓練に置き換えると、記憶にあるようなものになるのかもしれない。そう気付いたレンは、
すると、数種類の草についての記憶が引き出される。
(初級スタミナポーションに使う頑強草。森林地帯でも日が差し込む箇所に生える。そのまま囓ってもそれなりの効果が得られる。薬効成分は主に葉の先端にあり、採取する際は、葉の中程から切り取るようにする……こっちは炸薬に使う硫黄草。水場の近くに多く見られる。採取後に他の植物に触れさせておくと薬効が失われるため、採取する場合は専用の入れ物を用いるか、速やかにウエストポーチにしまうこと。葉を落として茎の部分だけを採取する……ゲーム内でも採取はしてたから基礎知識はあって当然だけど、ゲームで知っていた以上の知識が記憶にあるな。これって、錬金術師の職業レベルを中級にするときのクエストに似た情報があったかも知れないけど、ここまで細かい情報は表示されなかった筈)
何種類かの草を眺めたレンは、それらについてもゲーム内では知らなかったはずの情報が頭の中にあることを知って混乱した。
現実に錬金術師としての勉強をしたという記憶も頭の中には存在した。素材の情報が何という辞典に載っているかなど、ゲーム内では知りようもない情報を思い出す。それらはレンが本当に錬金術師として勉強をしたのなら、知っていても不思議ではない情報なのかもしれない。だから、レンというアバターを連れてくるにあたり、必要な知識がレンの中に詰め込まれたのだろう。レンはそう考え、顔色をなくし、それ以上の思考を放棄した。
思考を放棄した一番の理由は恐怖からだった。
知らない筈の知識が記憶にあるのなら、健司という人格の思い出すら詰め込まれた記憶から生み出されたものではないか、という疑念が脳裏をよぎり、そこから全力で目を背けたのだ。
レンはウエストポーチを開き、片手を中に入れる。
すると、脳裏にポーチ内のアイテムのリストが表示された。
見た目はウエストポーチだが、この鞄はゲームのチュートリアルをクリアした時に配られるアイテムボックスである。
ありがちな設定だが、ウエストポーチにしまった物は時間経過がなくなり、その重量を感じることもなくなる。魂のあるモノをしまえないという制限があるが、生き物以外なら大抵のモノをしまうことができ、倒した魔物を入れると自動で解体することを選択することもできる。
最初はミカン箱ほどの容量しか入らないが、簡単なクエストクリアで容量を増加させることができ、レンのウエストポーチは、現在一軒家相当の容量まで育っていた。
ウエストポーチからナイフを取り出したレンは、目の前の草を採取する。
ゲームではナイフを対象の草に当てるだけで後は自動的に採取が行われていたが、現実と同じように、ひとつひとつの作業をすべて意識して行う必要があった。
(……ええと……)
採取した素材をウエストポーチにしまったレンは、脳裏に浮かんだウエストポーチ内のリストをざっと確認する。
(各種素材が山ほどにポーション各種、巻物も色々、防具類はセット装備が今来てるのの他には水竜と火竜のふたつ、それと宝箱から出てきた武器防具にアクセサリー。保存食一週間分に野営道具一式。あ、結界棒は使い切っちゃってるか。あとクエスト用に作ってたウェブシルクが山ほど。季節限定イベントのネタ装備や消耗品……強力な武器は
一通り確認し、辺りを見回したレンは転移の巻物を取り出し、それを開いた。
巻物は使い捨ての魔道具で、巻物を開いて手順を踏むことで込められた魔法を解放することができる。
転移の巻物の場合、巻物を開くと転移先リストとして、過去1年に訪れたことのある町や城などの名前が表示され、行き先を選ぶとそこに瞬間移動をする。
「……リストが真っ白だ」
半透明の転移先リストが表示されたが、そこには転移先がひとつも表示されていなかった。
「マジか……
巻物についてもレンが勉強した覚えのない記憶があり、それを探ると、転移の巻物はゲーム内の仕様と同じであることが分った。
(空白のリストが表示されたってことは、不発だけど巻物は正常に起動している。使い方も間違ってない……俺の訪問先リストが初期化されてるってことかな?)
レンは腕を組み難しい顔をする。
(『碧の迷宮』の地上マップの8割は森林地帯だ……現在位置が分からずに適当に歩きまわっても町に行き当たる可能性は低い)
『碧の迷宮』は、サービス開始から3年が経過しており、当初計画の5割ほどのマップが実装されていた。
その内の8割は森林地帯で、1割が街道や町、残りの1割が海洋と
マップの端から端まで徒歩で移動しようとすれば、街道を利用してもゲーム内時間で一ヶ月では足りない。それほどにこの『碧の迷宮』の世界は広かった。
ゲームであれば常に周囲の地図が表示されていたが、それがない今、木々に覆われた森林地帯を踏破するのは至難の業だった。
レンは改めてウエストポーチの中身を確認した。
保存食は一週間分だが、ケーキ、プリン、焼き鳥、海鮮鍋など、耐性強化付与などの効果がある食料はそれぞれ99個ずつ入っているし、限定イベントで作りまくったクリスマスケーキにバレンタインチョコ、おせち料理なども、イベントで交換できなかった端数分が残っている。
それにポーションの一種として、醤油やソースも入っているし、素材の一種として砂糖や塩の在庫もある。ゲーム内では味覚の再現率が低く抑えられていたため、食料に関しては、空腹という状態異常を回復するポーションの一種か、魔法耐性などを向上させるアイテムとして持ち歩いていた物ばかりである。
だが、そんな状態であっても、使う使わないに関わらず、それらを持ち歩くのが、冒険者の嗜みとされており、NPCからの好感度にも影響するため、野営道具には鍋や食器、魔石コンロも入っていたし、魔石は素材としてかなりの量をストックしていた。
(食料はかなりの量が入ってるけど、いつかはなくなる。素材も持ってるけど、尽きる前に町に着けないと飢え死にだな)
ゲーム内の飢えや乾きは空腹という状態異常で、一定時間食事を取らないと胃の辺りに軽い電気ショックを感じるようになっていた。そしてそれを無視すると体力が減少して倒れ、場合によっては餓死して街の泉の前で生き返る。
水は魔法で出せるし、水を出すアイテムも所持している。だから、飲み水の心配はないが、食料がなくなれば長くは持たない。
レンは
疾風の弓は中級の迷宮ボスを倒した際に手に入れたレアアイテムで、放った矢の速度が上がり、矢に風属性がエンチャントされるという効果もある。
矢を一本抜いたレンは、弓を構えてみる。
弓矢の扱いに関する知識を思い出したレンは、30メートルほど離れた木を狙い、技能を使用せずに矢を放った。
弦が音を立て、直後、狙った場所に矢が突き立つ。
(狙ってるとき、狙った場所がはっきり見えたのは技能の影響か?)
狙っている間、まるでスコープを覗いているかのように狙った場所がはっきりと見えたことに驚くレン。そして、すぐにそれが弓使いを中級に育てたときに覚える技能の影響だと知らない筈の記憶が教えてくれた。
レンは小さく息を吐くと、もう一本矢を取り出し、同じ場所を狙って弓を射る。
弦が鳴り、先ほどの矢に射った矢が突き立ち、妙な音を立てる。
先に当たっていた矢が二つに裂け、そこに二射目の矢が繋がったように突き刺さっている。弓道でいうところの継ぎ矢という状態である。
「……技能なし……基本技能だけで継ぎ矢か。中級の弓使いって、実は結構な腕前なのか?」
この腕前なら、獣を狩ることで食料を調達できそうだ、とレンは安堵の息を吐いた。
次の問題は、現在自分がいるエリアが不明だということだ。
ゲームでは、マップは初級者向け、中級者向け、上級者向けに分かれ、エリアごとで登場する敵の強さが変化していた。
レンはゲーム内の地上エリアなら大抵の場所には行ける程度に強かったが、それはゲーム内の話だ。この世界の敵が、ゲーム内と同じとは限らないし、実装予定だったマップになら、もっと強い敵がいてもおかしくはない。
(とにかく、死なないことを最優先にしよう)
レンは、そう心に決めるのだった。
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