十三 罠
翌日、金剛がアサ姫の元へと出掛けて行き、阿波局を伴って戻ってきた。
と思ったら、阿波局ではなくアサ姫その人が笠を外してヒメコの前に顔を現したのでヒメコは仰天する。
「ヒメコ、どうしよう」
言ってその場に泣き崩れるアサ姫にヒメコはずり寄ってその肩を抱いた。
「もしや富士からの急使ですか?」
小さく頷くアサ姫。
「富士野で闇討ちがあって、何人かが死傷。将軍の生死も不明だと」
「将軍の生死が不明?」
ヒメコは問い返した。
「ええ。そう言っていたわ」
そんな。ヒメコは胸がギュッと締め付けられる思いがした。自分は間違ったことを佐殿に伝えてしまったのだろうか?もっと打てる手が別にあったのではないか。今頃コシロ兄はどうしているのか。
でもここは鎌倉。富士は遠く、身重のヒメコには何も出来ることがない。
ヒメコはゆっくりと息を吐いた。スゥと吸い込む。
「どなたが使いとして来られたのですか?」
意識してゆっくりと尋ねる。アサ姫は拳を握りしめて答えた。
「殿の雑色の高三郎よ」
雑色。側近くで雑用をこなす下男だ。
高三郎は大分前から頼朝の側にいるからヒメコも顔は知っている。身軽でよく気のつく男だ。頭がよく回り、目端も効くので頼朝に重宝されていた。
「高三郎殿が?」
ヒメコが問い返したら、ハッとアサ姫が顔を上げた。
ヒメコも同時にアサ姫を見る。
「おかしいわね。常に側に仕える雑色が、その主の生死を知らずに急ぎの使いに出るなど、そんなことあり得るかしら?」
確かめるようなアサ姫の言葉にヒメコは注意深く首を頷かせる。
「はい。高三郎殿が他の誰かの命をお受けになったのでなければ、あり得ないことと思います」
アサ姫は首を横に振った。
「それは無いわ。高三郎は殿の影のようにして殿の命しか聞かぬもの。家族も身寄りもないし、この私の命も聞かないくらい殿に心酔してるのよ」
アサ姫はそう言って、暫しこめかみに手を当てて考え込んだ。それからゆっくりと顔を上げる。
ヒメコ、殿はきっとご無事ね。その上で鎌倉に偽の情報を送り付けて来たのだわ。私がどう対応するかまできっと読んで」
「御台さまの対応?」
「ええ。高三郎は私の前で息を切らしながら珍しく大きな声をあげたの。『富士野で闇討ちがあり、将軍様が行方不明』と。咄嗟に私はその場で、嘘よ、殿は無事よ!』と叫ぶことしか出来なかった。それらの声を女官らや警備の者らは聞いていた。私はすぐに広間を出て身をやつしてここに駆け込んだのだけれど、同じように密やかに御所から各方面へ使いが放たれた筈よ。将軍が闇討ちに遭い、生死不明だと。でも、つまりはそういうことね。私が咄嗟に大騒ぎすることまで見越して、殿は偽の使いを送ってきたのね」
ヒメコは軽く頷いて同意を示した。
「ええ。生死不明の将軍が側仕えの高三郎殿を使いに寄越せる筈はない。それに御台さまがすぐ気付くことも読んだ上で高三郎殿を寄越したとお考えになって宜しいかと思います」
アサ姫はハァとため息をついた。
「殿はご無事なのね」
「はい。私はそう思います」
そう。頼朝はきっと無事だ。コシロ兄も。万一彼らに何かあれば、家人の誰かが命懸けでも抜け出して鎌倉に飛び込んでくる筈。それがされてないということは、頼朝に何か考えがあって御家人らを抑えているのだ。裏がある。
「殿は偽の情報を鎌倉にわざと送って来た。何の為にかしら?」
「高三郎殿は御台さまに直々にそのことを申されたのですよね。その場に女官以外は居なかったのですよね?」
アサ姫は頷いた。
「その後変わったことは?」
アサ姫が立ち上がった。
「大変。私、御所に戻らなくてはいけないわ。ヒメコ、話を聞いてくれて有難う。また金剛に文を持たせて頂戴。私は暫く御所から離れられないから」
ヒメコは諾の返事をしてアサ姫の後ろ姿を見送った。
鎌倉に偽の情報を流す必要があったということは、恐らく将軍家と御家人らが留守の今の鎌倉に、良からぬことを考える輩が現れないかを炙り出す為だ。過去、北条時政が伊豆へと戻ってしまった時のことを思い出す。
怪しいのは、狩に同行せずに鎌倉付近に残った者。ヒメコは狩に出かける前に浮かない顔だったコシロ兄のことを思い出す。コシロ兄は全てを知って狩に同行しているのだろう。もしかしたら闇討ちの計画も、陥れる罠も全てを知った上で頼朝の側に控えて、狙いとする人物が罠にかかるのをじっと待っているのかもしれない。
何だか息苦しくなる。そうしなければ頼朝も幕府も守れない瀬戸際にいるのかもしれないけれど、人を陥れることを好む人ではない。どれだけ苦しい思いをしているかと思うとヒメコは気が気でない。でもヒメコは動けない。ただただ待つだけ。
「鬼になるらしいわ」
過去、そう言ったのは大姫だった。父母は鬼になるのだと大姫は言っていた。
鎌倉を護る為に。鎌倉に集う仲間を守る為に鬼になると。
その言葉通り、今、御台所は御所にて鬼となり、餌を撒いてじっと敵を待ち受けている。騙された振りをして。
ヒメコは文を書いて、それを神棚に捧げて祈りをあげた後に金剛を使いに出した。
だが金剛がその日は帰らず、翌朝、宛先も送り主もない紙を懐に戻って来た。
「参州殿、現わる」
それだけ書かれていた。
参州、源範頼。頼朝の異母弟。
罠にかかったのか、それとも。
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