五 三日夜餅

翌日戻ったコシロ兄は薄紅色の華やかで大きな包みを抱えていた。フジに手渡して言う。

「牧の方からだそうだ。三日夜の餅だと」

「では、大殿と牧の方様は今晩此方にいらっしゃるのですか?」

フジの問いに、いいやとコシロ兄は答えて

「将軍様が名越の浜御所にご逗留中ゆえ、任せるとの伝言だった」

そう言った。

「まぁ、将軍様が。お珍しいですね」

「千幡君へのご鍾愛が著しく、離れがたい為、長く逗留されているとのことだった」

へぇ、とヒメコが頷いた時、戸口の向こうから声がした。聞き覚えのある声、と思った次の瞬間、母が飛び込んで来た。

「ごめん下さいませ。まぁ、ヒミカ!」

挨拶もそこそこにヒメコに抱きつく母。その後ろに父が立っていた。

「突然の来訪、申し訳ない。どうしても三日夜の餅を届けると言って聞かなくて」

「三日夜の餅?」

さっきも聞いたような、とフジを探したが、フジは既に引っ込んでいた。

コシロ兄は父母に丁寧に挨拶をして父母を奥の間に通してくれた。

「三日夜の餅は一族が同じ釜で炊いたものを口にすることで血縁を繋げて二人が正式に夫婦となった御披露目をするという意味があるのだとか。婿取りではなく嫁取りが多い東国の武家ではやらないと言ったのですが、妻は祝言に間に合わなかったから、これは何としてもと言って聞かず。だが準備が間に合わなくて突然の来訪になりました。ご容赦下され」

父の言葉に、コシロ兄が母に向かって頭を下げた。

「江間小四郎義時にございます。此度は将軍のお声がかりにより突然の婚儀となり、母上様には誠に申し訳ございませんでした」

そう言って、コシロ兄は母の前に白い紙を差し出した。

「起請文です。お預かり下さいますよう」

母は何のことだか今ひとつわかっていないのか曖昧な返事をしたが、差し出された起請文を手に取ると胸元にしまいこんだ。

「三日夜の餅とはどのように食せば良いのですか?」

コシロ兄の問いに母が身を乗り出して答える。

「夫は三つ、噛まずに食べるのが作法。妻は幾つでも男性のお気持ち次第だそうですよ。子がたくさん欲しければたくさん食べさせるなんてことも聞きますが」

「そうですか」

コシロ兄はヒメコを振り返り、

「一つでいい」

そう言った。子の数というなら沢山食べた方がいいのでは、と思うが、皿の上を見てから母の言葉を思い出す。

「あの、噛まずに飲み込むの?本当に?これを?」

ヒメコは母に問い返した。それから銀の足付きの皿に載せられた丸餅を指差す。

「これ、全て母さまが丸めたの?」

「ええ、そうよ」

得意げに頷いた母をヒメコは睨みつけた。花びらを模した銀の綺麗な皿に盛られた幾つかの丸餅。でもその大きさは大小様々、というより殆どが拳大。祖母は止めてくれなかったのだろうか。いや、もしかしたら今頃こちらの様子を想像してほくそ笑んでるかとしれない。ヒメコはため息をつきたい気分で皿の上の丸餅を眺めた。

「あまりに大き過ぎるわ。こんなの三つも一気に吞み込んだら喉に詰まらせちゃう」

言って、ヒメコは中で小さな三つを摘み上げてコシロ兄に渡した。

「あとは私がこの中くらいのを一つ頂きます。他の方々は噛んで良いのでしょう?」

頷く母を確かめ、ヒメコが手にした一つを口にしようとしたら、コシロ兄の手がそれを止めて中くらいの一つが小さな一つに変えられた。コシロ兄は小さな二つと中くらいの一つを口に放り込んで呑み込んだ。慌ててヒメコも小さい一つを口に入れるとグッと呑み込み、

お水をちょうだい!二杯よ!そう叫んだ。


「うん、美味いじゃないか」

モグモグと餅を噛み下しながら母に笑顔を向ける父と満足そうな笑顔で応える母を恨めしげに見やりながらヒメコはコシロ兄の背をさすった。もしや嫌がらせじゃないでしょうねと母を睨むが至極嬉しそうな顔で餅を食べている父母の姿を見て気怒る気が削がれる。ま、今日くらいはいいか。それからフジが前に言っていた三日は外に出ないという言葉の意味をやっと理解した。

その後、男衆に酒が振る舞われ、賑やかに時が過ぎ、やがて父母は帰って行った。

と、フジがコシロ兄が持ち帰った薄紅色の大きな包みを手に入って来て言った。

「あの、此方の三日夜餅はどう致しましょうか?」

コシロ兄と顔を見合わせる。

もう要らないという顔をするコシロ兄。でもヒメコは言った。

「折角ですからいただきましょう」

牧の方からというそちらは、赤と白の、如何にも祝い用の小粒な餅だった。

「この大きさなら私もあと二つ頂けます」

言ってヒメコは紅と白の小餅を一つずつ手に摘む。

「さ、金剛いらっしゃい。藤五とフジも。皆家族なのですから皆でたくさんいただきましょう」

言って皆で皿を囲んで摘む。

いつの間にかタンポがやって来てヒメコの隣で丸まっていた。その長い尻尾がハタハタと床を撫でる。

「それは床を拭いているのか?」

真面目な顔で尋ねるコシロ兄に皆で笑う。穏やかな空気の中でヒメコはコシロ兄の横顔を見つめ、隣に居られる今に感謝をした。



やがて年が明ける。後白河の院の喪が明ける弥生に向けて、頼朝は大掛かりな巻狩の計画を立て始めていた。側近のコシロ兄は多忙になる。そんな中、ヒメコは自身の体の変化に気付いた。身体が怠くて動けない。水は飲めるけれど食べ物はまるで受け付けない。フジがしてくれている煮炊きの香りすら気になる。

「お方様、もしやお子を授かったのでは?」

フジに言われ、そうかも知れないと思う。でもコシロ兄は殊に忙しくて帰らぬ日が続き、話せないままに日が過ぎた。



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