二十八 剣
年の暮れ、父が比企庄に戻った。後白河の院が重病に罹り、頼朝は病平癒の為の潔斎を始めたとのことだった。
父は文を受け取って来ていた。
「江間殿からだ。ヒミカを正室として迎えたいとの申し出だが、どうする?」
はい、とヒメコが返事をする前に母が叫んだ。
「いけません!私は反対です!」
思わぬ反対にヒメコは面食らう。
「母さま、どうして?」
「どうしてもこうしてもありません!過去に江間殿が関わるとヒミカは怪我をしたり御所を追い出されたりしてきたではありませんか!きっと巡り合わせが悪いんですわ!そんな方の妻になったらヒミカがどんな目に遭うか。身体を壊して離縁されるかも知れません!とにかく私はヒミカが江間殿に嫁ぐのは反対です!」
父が間に入ってくれる。
「だが江間殿は御所様の側近で重要なお役目も沢山頂いている。何より人柄が穏やかで安心出来る。その正室にと望まれるのは名誉なことと思うが」
「それでも私は嫌なのです!」
祖母がチラとヒメコを見た。
「ヒミカ、お前はどうしたいんだい?」
「私は江間様の妻になりたいです」
答えて、母の元に駆け寄る。
「母さま、前にもお話しした通り、怪我は全て私自身に責任があります。江間様はいつも助けて下さってるんです。私は江間様の妻になりたい。どうか許してください!」
目を逸らす母の腕を掴んで懇願する。
「母さま、お願い!」
「知りません。嫌なものは嫌なの!」
祖母が噴き出した。
「おいおい、一体誰の結婚の話だと思ってんだい。大体、お前が反対するなんておかしな話だね。朝宗と結婚する時、親の反対を押し切ってここに飛び込んで来た子が、よくも言えたもんだね」
「え?」
祖母は鼻でせせら笑うと母へと顎を向けた。
「この子は親の決めた縁談話を蹴って、ここに駆け込んで来たんだよ。まぁ、何てはしたない子かとその時は思ったもんだが、あんたは自分の決断を悔いてんのかい?」
問われた母が顔を赤くする。
「お義母様、その話は」
「親が決めた相手なら親に文句も言えようが、自分で決めた相手なら辛い事があろうと歯を食いしばって耐えるだろう。あんたもそうやって私みたいな面倒で煩い姑に耐えて頑張ってるじゃないか。本当、あんたはよくやってくれてるよ。感謝してるよ」
途端、母がボロボロと泣き出した。
「わ、私は別に頑張ってなんか!だって、大好きな殿の大事なお母君ですもの!私は、私が至らないからお義母様にはご迷惑をおかけしっぱなしで、だから感謝だなんて、それは私の方こそで」
うわーん、うわーんと祖母に縋って泣く母。祖母はそんな母を抱き留め、暫くよしよしと背を撫でて宥めた後にチョイチョイと指で父を呼ぶと交替させた。それからヒメコに片目を瞑って見せる。
「というわけさ。ヒミカ、自分で選んだ道なら責任持って突き進みな」
ヒメコは、はいと強く返事をして部屋に戻り荷を纏めた。もう比企庄に戻らない覚悟で。
そして年が明けた三月の中旬過ぎ、アサ姫の着帯の儀に合わせて迎えが来て、ヒメコは御所に戻った。
だが鎌倉はどこか落ち着かなかった。その理由はすぐに分かる。
「後白河の法王がこの十三日に亡くなられたらしいの。殿は仏事を大々的に鎌倉で行なうそうよ。そして狩りなどの殺生は暫く控えるようにと沙汰を出されたの」
頼朝は七日ごとの法要や、百日間の庶民の為の沐浴など法王の追善供養を丁寧に行った。
「仲が良いのか悪いのか。好敵手のような関係だったのかしらね」
アサ姫が呟いた。後白河の院が頼朝にとって大きな存在だったことは間違いがないのだろう。ただヒメコの婚儀はまた機を逸した。
卯月初めの着帯後、頼朝は御台所の安産祈願にと大規模な祈祷も始め、諸寺への参拝を繰り返す。
そんな中、数年前に大進局がひっそりと産んだ頼朝の隠し子が京へと上って僧になるとのことで、頼朝が懐剣を渡したとの噂が流れる。その数日後の夕方、突然金剛が御所に呼び出され、頼朝に刀を下賜された。褒美とのことだった。でもその理由がよくわからないと金剛は言った。
「実は昼に佐殿らしき人影を見かけた気がするのです。その時、私は供の橘次と道で印字打ちをして遊んでいました。そこへ急いでいるらしき馬が駆けて来たので慌てて道の端にどきました。その後、御所へ呼び出され、『この男が遊ぶそなたの前を下馬せずに通ろうとしたな?』と問われました。御所様に指差された男は顔を青くして首を横に振っていましたので、私は咄嗟に『そんなことはありませんでした』と答えました。そうしたら御所様は男に『礼儀は老少によるものではなく人物によるもの。金剛のような者は汝らの同輩に準じてはならぬ』そう言い、その所領を召し上げ、私には『幼少ながら仁恵の心を持ち、優れている』と褒めて、この刀を渡して下さいました。でも、おかしくありませんか?道で子が遊んでいるからと下馬する御家人などいるでしょうか?あれではまるで、私を特別扱いしろと命じているようで私は違和感を感じました。その後の褒美についても取ってつけたようでどうにも腑に落ちません」
そう言って、布に包まれた長物をコシロ兄とヒメコの前に押し出す金剛。コシロ兄に開いてみろと促され、金剛は布を取り払った。姿を現した剣を目にしてコシロ兄と顔を見合わせる。それは頼朝が挙兵前から長年大事に持っていた刀だった。
コシロ兄は静かに言った。
「鎌倉の町を騎馬で駆けることが出来るのは前右大将に認められた御家人だけだ。だが、中にはそれを嵩にきて町中で荒い乗り方をして町民に怪我を負わせる者もいたと聞く。此度の件はそれを戒める為の布石になさるおつもりだったのかと思う」
ヒメコも言い添えた。
「この剣は御所様が長年大切にされていた剣。皆もずっと目にしていたものです。御所様は貴方にこの剣を譲りたかったのでしょう。でも金剛君は江間様の嫡男である為、公には渡せない。だから褒美の形で渡す方法を探されていたのかも知れません」
「これはそんなに大切な剣なのですか」
コシロ兄とヒメコは頷いた。もしかしたら八重姫とも何かの所縁ががあったかもしれない剣。アサ姫に子が産まれる前に頼朝はこの剣を多少無理にこじつけてでも金剛に直接手渡したかったに違いない。公には言えぬけれど、大事な子の守り刀となってくれることを祈って。
金剛はそうですか、と呟いて剣を大事に布に包んだ。
「承知いたしました。大切にいたします」
二十年後、この剣は承久の変で泰時がその腰に帯びて京を討ち滅ぼすことになるが、それはまた別の話にて。
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