二十 兄弟

年明けすぐから鎌倉は普段通りの暮らしに戻った。

頼朝は京で右大将の官位を授かったが、すぐに辞任したので、「御所様」ではなく、「前右大将」と呼ばれるようになった。

「右大将では京を離れられぬからな。大将軍を貰うまでは諦めぬぞ」


大将軍。坂上田村麻呂だろうか。それになると何が変わるのか分からないながら、右大将でも満足せずに上を狙い続ける頼朝に戸惑う。だが比企に生まれた自分はそれに付いて行くしかないのだろう。

年明け落ち着いた頃に江間の屋敷を訪れる。

「金剛君、タンポの様子は」と声をかけたら、手を引っ張られ、部屋まで引っ張って行かれた。

「どうかなされたのですか?」

問うたら、金剛は眉を吊り上げた。

「困るよ。父上は猫が苦手だって知らなかったの?」

「え?江間様は猫が苦手なのですか?」

金剛はシッと口を指で抑えて辺りを見回してからヒメコを部屋に押し込んだ。

「河越重時殿が教えてくれたんだ。江間の屋敷に猫が入り込んだ時に慌てて逃げて行ったって。猫は苦手だと言ってたんだって」

「逃げて行った?」

金剛は頷いてヒメコを睨みつけた。

「姫御前の巫女の力ってアテにならないんだね」

「では、タンポは今何処に?」

金剛はヒメコを部屋の隅に手招きして呼んだ。

大きな行李の中に小さな籠と砂を敷き詰めた桶。古布で作られた寝床らしき所からタンポがひょこりと顔を出した。

「あ、タンポ。出て来るな。そう、大人しくしてて」

言って、タンポの上に布を掛ける金剛。

「行李の中に隠してるんだけど、近頃は動きが激しくて逃げ出そうとするから弱ってるんだ。どうしよう?」

「お父君とお話はされました?」

金剛は首を横に振った。

「年末から出たり入ったり忙しそうで、たまに顔を見るくらいだし、猫が苦手って聞いたら話せないよ。ね、このまま隠しておけないかな?」

ヒメコは行李の中でカリカリと爪を研いでいるタンポを眺めた。大分大きくなっている。閉じ込めておこうとしてもそろそろ限界だろう。

「猫は気ままで自由な生き物です。もうそろそろ外に出してやる時期。閉じ込めておくのは可哀想なのでは?」

途端、金剛はヒメコを叩いてきた。

「嫌だ、タンポは夜に一緒に寝てるんだ。金剛の上で寝てるんだよ?居なくなったら寂しいよ」

涙目で訴える金剛。

こんな金剛は初めて見るような気がする。もしかしたら自分はまた彼にとって罪なことをしてしまったのかも知れない。

でも猫はひいなとは違う。生きているもの。

「比企の屋敷で祖母は白猫を飼っていますが、その猫は昼間は外で遊び、夕方になるとご飯を食べに帰ってきて祖母の隣で眠っていました。居なくなることはないと思います。ただ自由に屋敷を出入り出来るようにしておかないと戻って来られなくなりますが」

「どういうこと?」

「猫には縄張りがあります。危険な場所と思うと近付きません。だから少しずつ外に慣らしつつ、安全な住処は江間の金剛君の部屋だと覚えさせる必要があります」

「どうやって覚えさせるの?」

「昼に何回か共に外に出て、また部屋に戻ってご飯を与えて共に寝ればすぐに覚えましょう。最初は逃げたり迷子にならないように紐でも付けて共に動いてみて、慣れてきたら放しても平気でしょう。ただ、帰ってきた時に追い出されるようでは安全な住処と言えなくなってしまうので、家内の者が皆、タンポは金剛君の猫だとわかっていないといけません」

「藤五とフジはわかってるよ」

ええ、と答えてからヒメコは言った。

お父君にお話しなさいませ。猫を飼いたいと」

「お許し下さるだろうか?」

「わかりませんが、このまま隠して飼っていることがわかってしまう方がきっと良くないと思います」

途端、金剛はまたヒメコを叩いた。

「わからないってなんだよ!姫御前が最初に私に任せるから悪いんだ」

ヒメコは御免なさいと謝った後に続けた。

「私も共に、飼うお許しをいただけるようお願いします。話さずに諦めるのではなく、認めてくれるまで粘るのです」


金剛はヒメコを蹴った。

「簡単に言うな。他人事だと思って」

「いいえ、他人事ではありません。私に責任があります。だから許して下さるまで私は粘るつもりです。それに江間様は貴方が心から願えば願いを聞いて下さると私は信じています」

「それで認められなかったらどうするんだよ?」

ヒメコは逆に聞いた。

「金剛君はどうしますか?タンポを取りますか?父君に従ってタンポを手放しますか?」

金剛は行李を見て歯を食い締めた。

「タンポは手放せない。タンポを手放せと言われるならここを出て行く」

ヒメコは頷いた。

「そのご覚悟があるなら私も覚悟を決めます。許されなかったら、タンポと共に比企に行きましょう」

「え?」

「私の実家です。馬にはもう乗れますね?」

頷く金剛に最低限の荷物だけ纏めるように話すとヒメコは金剛が持ち出してきた物を布に包んで部屋の中央に置いた。

やがてコシロ兄が帰って来たようで、フジが金剛を呼ぶ声がした。金剛は立ち上がると部屋を出て行って、少ししてコシロ兄を連れて戻って来た。

「何事だ?相談とは?」

へやの中央に金剛の荷を包んだ大きな布。その横にヒメコ。そして行李の前に金剛。

金剛が行李の蓋を外した時、ヒメコはコシロ兄に問うていた。

「江間様、一つお伺いしていいですか?猫が苦手と聞きましたがどの程度苦手なのでしょうか?」

コシロ兄は、一体何を言い出すのかという顔をした。

「見るだけでも怖いのでしょうか?触らなければ平気ですか?」

「何を突然。何の話だ?」

「お教えください。どの程度の距離なら許せますか?大きさは?仔猫なら、小さければ怖くないと思うのですが、それでも苦手でしょうか?」

「誰がそんなことを言った。何故そんなことをしつこく聞く。確かに猫は苦手だが、別に怖いわけではない」

カリカリ。ミュウ。カリカリ。ミュウ。ガツッ。

行李の開いた蓋の陰からタンポがひょこりと顔を出した。コシロ兄がギョッとした顔をして僅かに後退る。

その瞬間、金剛が頭を床につけた。

「父上、お願いです。この子を飼わせて下さい!大事な猫なんです。弟が出来たようで嬉しかったんです。夜は一緒に眠っているのです。父上が猫がお嫌いと聞いて悩んだのですが、やはり一緒に居たいのです。どうかここに住まわせてください。金剛の食事を減らしてくれて構いません。父上の部屋には入れないようにします。だからどうかこの子が江間の屋敷にいることをお許しください!」

コシロ兄は頭を下げる金剛を暫し見つめた後にヒメコを見た。ヒメコも頭を下げた。

「どうか許して差し上げてくださいませ。私も出来る限り補佐してご迷惑のかからぬようにしますから」

頭を上げたら、コシロ兄は金剛をじっと見て言った。

「金剛。弟のように、と言ったが、本当の弟が出来たらどうするのだ?」

金剛は真っ直ぐコシロ兄を見返して答えた。

「その子はタンポの弟になります。金剛が長男で、次男がタンポ。三男がその子です」

コシロ兄はヒメコを見た。

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