十八 巫女
頼朝や御家人衆が鎌倉に戻ってきたのは、その年の暮れも暮れ、師走の二十九日の酉の刻、夜に入る頃だった。
前もって女官らには新しい豪華な着物が与えられ、それを装い、紅を差して華々しく迎えるよう達しがあった。
賑々しく南庭に立ち並んだ男衆に女らはどよめく。行きよりも格段に煌びやかな衣装を纏った男たちがそこにはいたのだ。ヒメコも我が目を疑いながら頼朝の少し後ろに立つコシロ兄を凝視した。鮮やかな萌黄の水干。あんな目立つ色を纏った姿など見たことがなかった。居心地悪げに目線を下げていたコシロ兄がふと目を上げた。目線が交わる。その目元がふっと緩んだ気がした。
ヒミカ。
呼ばれて立ち上がりかける。だが頼朝の声に慌てて元の位置に座り直して頭を下げた。
「皆、此度の上洛、恙無く終えられたこと大儀であった。各々、所領に戻り、善き新年を迎えよ。また、院より賜りし衣装は末代までの家宝と致せ」
頼朝の労いの言葉に男たちは歓声を上げ、続々と南庭を後にしていく。頼朝は庭に立ち、それらの背中をずっと見送っていた。
男たちがほぼ引き上げ、熱気溢れていた南庭が夜風に冷たくさらされる中、頼朝は縁まで歩いて来て、一番下の段にどっかりと腰を下ろし、あーあと大きく伸びをした。
「ああ、くたびれた。やっと戻ってこられた。やはり鎌倉はいいな」
アサ姫が立ち上がると段を降りて行って頼朝の隣に腰を下ろす。
「あら、生まれ故郷に帰れると、あんなにはしゃいでいらしたくせに」
頼朝は軽く頷いたが、いや、と言って微笑んだ。
「もう私の故郷はここ鎌倉だ。そなたも子らも仲間も皆こちらだからな」
「随分と大所帯になりましたね」
「いや、もっと増やすぞ。私はその内に帝も東国にお呼びするつもりだ。心しておけよ」
不敵に笑う頼朝に、アサ姫ははいはいと返事をして頼朝が脱ぎ捨てた下沓を拾って段の上へと戻って行った。
「小四郎」
不意に頼朝が声をかけ、ヒメコは驚いて顔を上げる。
「お前もくたびれたろう。今日は戻って休め」
頼朝の目線を追ったら、コシロ兄が縁の陰に控えていた。男たちが出て行くのと一緒に外へ出て行ったのを見ていたので、まさか戻っているとは思わなかった。
「いえ、私は今晩はこちらに詰めさせてください」
久しぶりに聞くコシロ兄の低い声に胸が高鳴る。
「今日くらいは休め。今朝は早かったしな。眠いだろう」
「それは御所様こそ」
「いや、私は目が冴えて暫く眠れそうにない。身体はともかく頭が疲れた。お前は上洛の間、ずっと私の側にいた。気も張っていたろう。いいから戻って休め。今日はもう何事もなかろう」
「いえ、こういう日こそ有事に備えるべきかと」
頼朝が笑い出した。
「お前は昔から言い出したら聞かんな。だが、確かにその通りかもしれん。お前の用心深さに私はいつも助けられている。わかった。側にいることを許そう」
言って頼朝は段を登り切ると、着ていた直衣を脱いでアサ姫に向かって放り投げた。コシロ兄が急いで頼朝に駆け寄って直衣の下に付けていた甲を外す手伝いをする。
「まぁ、着物の下にそれを付けてらしたのですね」
アサ姫は脱ぎ捨てられた直衣を手早く畳むと外された甲を脇にどけ、落ち着いた色の着物を頼朝の肩にかける。
「念の為にな。ああ、これでやっと人心地ついた。小四郎、お前も楽な格好になれ」
言って頼朝はどっかりと胡座をかくが、コシロ兄は黙ったまま固まっている。
「ほれ、下賜された着物を脱いで綺麗に畳んでおけ。家宝にしろと言ったのを忘れたか?」
言われてコシロ兄は渋々一番上の着物は脱いだが、甲は外さずその場に膝をついた。アサ姫が立ち上がってコシロ兄に手を出し、コシロ兄の着物を取るとヒメコに差し出した。
「姫御前、綺麗に畳んでくれる?」
返事をして下がる。着物を布に包んで戻ってみれば、頼朝とコシロ兄は寒い廊の上で碁盤を前に向き合っていた。ヒメコは慌てて火鉢を取りに走る。アサ姫が呆れた顔で教えてくれた。
「興奮して眠れないから三局くらい付き合えって言って始めちゃったのよ。二人とも言い出したら聞かないんだから放っておきましょう」
「はぁ」
放っておこうと言いつつ、頼朝の傍に腰を下ろすアサ姫。ヒメコは慌てて火鉢をもう一つ持ち込んだ。
パチリ、パチリと鳴る石の音。
「寒いな」
「はい」
「だが頭が冴えて心地が良い」
「はい。あ、そこは」
「ダメ詰まるか?」
「はい」
「いや、やってみねばわからぬぞ」
「では、どうぞ」
これはかなり長くなりそうだ。ヒメコは温石を幾つか持って来ると二人とアサ姫に手渡した。
「おお、温いな。ヒメコはよく気が利く。初めて会った時はこましゃくれた女童だったが、いつの間にか成長したな」
頼朝がふと言った。
「そろそろ比企尼君との約束を果たさねばならんな」
コシロ兄が石をパチンと置いて顔を上げた。
「佐殿、戦はもう終いですか?」
頼朝はチラとコシロ兄を見て、ああと頷いた。
「終いだ。この国において帝の武は一手に握った」
「では、源氏の巫女はもう不要ですか?」
「神事に巫女は必要だが、源氏の巫女としてのヒメコは役割を全うしてくれた」
「姫御前はもう巫女ではない。そう考えても宜しいですか?」
頼朝はそれには答えずヒメコを見た。
「ヒミカ、お前はどうしたい?」
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