十六 天祐

私が六条御息所?

ブンブンと首を横に振る。物語はあくまでも物語。それに自らを、誰かを重ね合わすなど逃避でしかない。


「しょんない」

ヒメコは呟いた。

何を言われても嫌われてもしょんない。自分の中にあった汚い部分。それを無かったことには出来ない。

「どうしたい?」

問う母に目を向ける。コシロ兄と。金剛とどうしたい?と聞かれたような気がした。


「キャッ!」

突然母が悲鳴を上げ、ヒメコは振り返る。タタタッと走り去る白い影。影はあっという間に戸の隙間を通り抜けて姿を消した。

「今の何?イタチ?」

「イタチなら茶色でしょ。猫なんじゃないの?」

言った母が、もう一回悲鳴を上げる。

「どうしたの?」

「ね、ね、鼠!」

言って後退る母。

伸ばされた指の先を見れば、床に落ちてる白くて小さな塊。でもその塊はそこに落ちたままピクリともしない。

「本当に鼠?動かないじゃない」

恐々覗いてみる。白くてふわふわしていて、丸々コロンとした塊。

「これ、猫なんじゃないの?母さまがそう言った癖に」

「あら、そうだったかしら」

言ってヒメコの背後から恐々白い塊を覗き込む母。

「随分小さいわね。生まれたてなんじゃないかしら」

「じゃあさっきのは母猫?落として行っちゃったのかしら」

「やだ、困るわ。引き取りに来てもらわないと」

ヒメコは白猫が出て行った戸を大きく開けて外を眺めるが、駈け去った白猫は既に影も形もなかった。

「どうしよう?戻って来てくれるかしら?」

「白猫〜忘れ物よ〜大切なもの落としていかないで〜」

呼びかけるが猫に言葉が通じるわけもない。

「仕方ないわ。外に出しておきましょう」

母が言う。

「え?」

「部屋の中には戻って来られないだろうけど外なら様子を見に来るかもしれないじゃない」

言って母は小さな籠を持って来た。

「はい、この中に入れて」

「私が?」

母は頷いて籠をヒメコに押し付けた。

「だって私、動物は苦手ですもの。ほら、早く」

渋々床に落ちてる白い塊に手を伸ばす。ツンと指でつついたら、丸い顔を上げて口をパカッと開けた。

「可愛い」

「母猫のお乳を飲もうと口を開けたのね。お腹が空いてるんだわ」

「えっ」

そんなこと言われても母猫はいない。

「どうしよう?」

「粥を炊いて、その上澄みをあげましょう」

そう言うと母はテキパキと動き出した。

先に炊いて既に冷えていた米を鍋に入れ、水を足すと煮始める。机の上に皿と布巾を載せると、そこへ粥をほんの少量よそった。

「はい、これを人肌くらいに冷まして子猫に吸わせなさい。おっぱいみたいに咥えられるようにしてね」

キビキビ指図する母に戸惑いつつ、言われた通りに布巾を畳み、汁が少し滴る程度にして仔猫の口元に近付ける。

パクッ。

仔猫は布巾にかぶりつき、チュウチュウと汁を吸い始めた。

「母さま、すごい!飲んだわ」

「お腹を壊さなければ暫くこれで平気な筈よ」

「へぇ」

ヒメコは感嘆の目を母に送った。

「何よ」

「母さまが仔猫の育て方知ってるなんて思わなかったから驚いて」

「そんなの知らないわよ」

あっさり言われて目を瞬かせる。

「あなたがあまり乳を飲まない子で育ちが悪ったので同じことしてたの。おかげでお義母様には詰られて辛かったわ。まぁ、ここまで大きくなったから今はどうでもいい話だけれどね」

知らなかった。母と祖母が諍っていた元凶は自分にあったのかもしれない。

「母さま」

ヒメコは母に抱きついた。母は驚いた顔をしたが抱き返してくれた。ずっと母に対して抱いていたわだかまり。それがスゥと消えていくのを感じた。

「で、どうしたい?比企に帰りたいのではないの?」

帰ってらっしゃい。母の目がそう言っている。前に祖母が見せたのと同じ寂しそうな色を含んだ目。

それを見た瞬間、ふと金剛の顔が浮かんだ。そうか。彼も寂しいのだ。


「いいえ、私にはまだお役目がありますから」

言って母に笑顔を向ける。母は素直にがっかりした顔をして

「本当にこの子は頑固なんだから!お乳は飲まない、止めなさいっていうのに巫女になるって言うわ、家出するわ、飛び出したきり帰って来ないんだから。本当にもう!だから私は嫌なんですよ」

えーん、えーん、と子どものように泣く母をよしよしと宥めながらヒメコはそっと微笑んだ。

「母さま、ありがとうございます。もう少しして落ち着いたら、一度比企に帰りますから」

「貴女のもう少しは信用なりません!」

叫ばれたけどヒメコは気にしなかった。母はやはり母なんだ。助けに来てくれたんだ。

「それにしてもこの子どうしよう?」

「だから外に置いておきなさいって言ったでしょう」

母はそう言うが、本当にそれでいいのだろうか。

「私は動物が苦手なの。とにかく早く外に出して」

比企には白猫のマルがいるのに、と言いかけて気付く。

案外、母と祖母の仲の悪さはその辺りにも原因があるのかも知れない。ヒメコはそっと籠を持ち上げて外へと出る。

が、出た瞬間、カァーガァーと烏の鳴き声がした。

咄嗟にヒメコは籠に身を伏せる。バサバサッと近くで聞こえた羽音にヒメコは部屋に逃げ戻る。

「駄目だわ、烏に食べられちゃう」

「そんなこと言ったって困るわ。部屋に入れないでちょうだい。面倒なんか見られないわ」

フンとそっぽを向いてしまう母。

どうしよう?

外には置いておけない。でも中にも入れられないしヒメコも御所に戻らないといけない。その時、向かいの江間の邸の戸が開いた。出て来たのは金剛。

咄嗟にヒメコは仔猫を入れた籠を突き出して言っていた。

「金剛君、お願いがあります!」





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