五 神事


この夏の終わりに西行法師が鎌倉の八幡宮に立ち寄った。その際に頼朝は秀郷流の弓馬の道について詳しく話を聞き、その武士らしい道を東国武士にも極めさせねばならないと思ったのだろう。確かに東国武士はまだまだ地方の土豪集団。伝え聞く都の平家の公達のような立派な武士の道を歩ませねば、いざ頼朝が上洛しようと思った時に、木曽の義仲と同じ轍を踏みかねない。それを危ぶんだ頼朝は、今度は楽や和歌に加えて、弓馬の道に優れた者を重用しようと始めた。そしてその手始めとして再現が試みられたのが流鏑馬だった。


「誰か流鏑馬の道をよく知る者、腕の優れたる者を集めよ」


弓の得意な者はあるか」

「熊谷直実や那須与一はどうでしょうか。また諏訪大社の神官諏訪盛澄や甲斐源氏の小笠原長清も名手です」


その中で今一人名が挙がったのが、義高の随身として鎌倉に来て、その後江間に預け置かれていた海野幸氏だった。


「年が若いながら、騎馬の腕、弓の腕とも殊に優れています」

推挙したのはコシロ兄だった。だが頼朝はいい顔をしなかった。

「幸氏は若輩。それにまだ木曽の辺りを起用するには尚早」

そう言いつつ、腕だけは見せてみよと、頼朝は場を設ける。

流鏑馬は、矢馳せ馬と言い、一本真っ直ぐに伸ばされた道の脇に等間隔に立てられた的を馬を駆けさせながら、鏑矢で次々に的を射抜いていく古くからの神事らしい。

その場を清めながら、ふとヒメコは邦通の姿がないことに気付いて頼朝に問う。

「邦通は体調を崩して臥せっている。菊花の宴の前後は大層張り切っておったから無理がたたったのやも知れん。もういい歳だからな。休むように言った。近く見舞いに行くつもりだ」

「そうなのですね。その時は私もお供させていただいていいですか?」

ヒメコはそう願ったが、その日が来る前に邦通から姫御前宛に文が届く。中を開けてみたら、白くフワフワとした綿毛のようなものが小さな紙に包まれていた。

これは、種?

「あら、姫御前。何を見ているの?」

阿波局の声に

「あ、お文をいただいたので」

そう答えてから、ハッと先日のやり取りを思い出す。

「あの、これは藤原判官代(邦通)様からで。言い寄られたとかではないので」

と、別にしなくてもいい言い訳をしてしまう。


「ほら、菊の種だそうです。比企庄に蒔いて欲しいとありました」

言って、種と文を見せる。阿波局はフゥンと答えると、ヒメコの手を取った。

「邦通殿のお具合はあまり良くないそうよ。これから見舞いに行くから一緒に行きましょ」

「え、あまり良くない?」

ヒメコは急いで立ち上がった。フワフワした種が部屋の中に浮かび、慌てて摘む。


邦通は自邸で臥していた。

「これは姫様方。こんなむさ苦しい所にいらっしゃるとは。まるで枯野に花が咲いたようですな」

やんわりと微笑むが、その顔には生気がない。

「種は受け取っていただけたか?」

邦通の言葉にヒメコは頷く。

「あれは手間のかからぬ菊。貴船菊と言い、京で自生していたもの。ただ、ここ鎌倉ではなかなか育たぬので、もう少し風通しが良く水はけも良い比企庄に蒔いていただけたらと思って姫御前にお送りしたのですよ」

ヒメコは頷いた。

「ええ、確かに受け取りました。比企庄に植えさせていただきますね」

邦通はホッとした顔をして微笑んだ。

「木陰でも充分に育ちます。そのまま植えっぱなしで構わぬので手間もいりません。秋には綺麗に咲いてくれるでしょう」

言い終えるとホゥと深い息をついた。

「御所様にお伝え願えますか?邦通は佐殿にお仕え出来てまこと幸せでしたと。様々な体験をさせていただきましたが、殊に伊豆の蛭ヶ小島での日々、北条での日々は何にも替え難い素晴らしい日々でした。感謝申し上げる、と」

それは別れの言葉。二人してその枕元に詰め寄る。

「藤原様」

言葉が出ず、首を横に振るばかりのヒメコの隣で阿波局が駄目よと言った。

「そんな弱気なことを言っては駄目よ。来年も秋に菊をと御所様が仰っておられたではありませんか!」

阿波局の叱咤に邦通は嬉しそうに目を細める。

「姫様方にも御礼申し上げる。私は京に家族を置いてきた。姫様方を見る度に娘の幼い頃を思い出し、孫のように思えてならなかった。どうかお二人ともお健やかに。この鎌倉の花として美しく逞しく生き抜いて下され」

「藤原様」

「さ、もうお帰りを。これ以上見苦しい所はお見せしたない。最期にお会い出来て嬉しゅうございました。お達者で」

そう言うと邦通は掛物を深く被って背を向けてしまった。

二人は黙って邸を後にした。


その数日後、邦通が亡くなったことを知らされる。

「見苦しい所は見せたくない、か。邦通らしいな」

頼朝はそう言って、そっと洟をすすった。


ヒメコは庭に出て天を見上げる。焦茶の鳥が空高く飛んでいく。西へと向かう渡り鳥。途中、京の都の上を通るのだろうか。

海辺で皆で凧を揚げたことを思い出す。

伊豆で共に神事を行なった。山木の館に潜入して飄々と帰ってきた。菊を植えて手を合わせていた。石橋山の合戦時は、共に走湯権現に潜んだ。

いつも穏やかな笑顔だった。


ヒメコは零れる涙をそのままに渡り鳥の数を数えた。

「ひと、ふた、みぃ、よ、いつ、む、ゆ、なな、や、ここの、たり」


遠い昔、伊豆の北条の庭で皆で輪になって歩いた。


呼ばうという言葉があります。男君が御簾の向こうの女君に声をかける。女君はその声を聴き、相手が自分の運命の相手かどうかを判別し、そうと認めたら自らの元へと通うのを赦すのです。昔からの風習ですが、考えてみれば虫も鳥もそうやって雄が声をあげて雌に選んで貰うのは同じ。つまり生き物というものは、人も獣も女性の方が強いということですな」

何もかも見透かしたような顔で笑っていた。

強くありたい。いつも穏やかに笑っていられる強さを持っていたい。

でも今だけは泣かせて。

ヒメコは声をあげて幼子のように泣いた。頼朝は背を向けていたが、その背はずっと震えていた。


鎌倉の一つの時代が終わった。

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