三 小御所
翌月、二の姫は足利義兼に嫁いだ。
「なんだ。羽中太ったらあんな偉そうなこと言ってたけど、彼の力なんか全く必要なかったじゃない」
アサ姫はそう毒づいたが、満足そうな二の姫の笑顔にホッとしていたから、ちゃんとわかっているのだろう。
「小姉上、いつお相手がかの緑黄の君だってわかるかしらね。婚儀の最中に悲鳴あげちゃったりして」
そんな想像をしてほくそ笑む三の姫の言葉を聞きながら、肚の座った顔で御所を出て行った二の姫の横顔を思い出す。
いつか、あんな風に自分も嫁げたらいいな。
でも、それは叶わぬ夢。ヒメコはパンと頰を叩くと八幡姫の部屋に向かった。
「え、小御所?」
頼朝の言葉に首を傾げる。
「そうだ。姫の為の小さな御所。御所では政務を行なうので、男ばかりで騒がしい。姫が落ち着かないだろうから、新たに屋敷と厩を建てて、八幡やアサが寛げるようにしたいのだ」
「それはきっとお喜びになりましょう。ユキのお世話も気兼ねなく出来ますし」
そう答えたら、頼朝は満足気に頷いた。白い子馬はユキと名付けられていた。自分で世話をすると言うので付き添うのがなかなか大変だったが、姫の為の屋敷と厩なら、侍女にも手伝って貰って、ヒメコの負担が少し減る。
ヒメコは今、朝夕の頼朝の食事準備に付き添う役に就いていて、かなり多忙だった。
と言うのも御所の食事に不備があったのだ。
公にはされなかったが、いつもと違うということで調べた所、怪しげな粉が含まれていた。膳から発せられていた気も悪しかった。
京では、平家が頼朝追討の院宣を院庁に発令させ、大軍で東国に向かってくるとのことで、頼朝が駿河国に兵を出し、鎌倉中が臨戦態勢に入っている中での出来事だった。
それで、食事準備の段階からの監視をより厳しくし、御所に出す前に数人で毒味をして、最後にヒメコか羽中太が気を確認してから膳を運ぶことになった。
また、常陸国や下野国で鎌倉への謀叛を起こそうという者があるという噂も入ってきていて、御所内の空気はピリピリと張り詰めていた。
頼朝は常に難しい顔をして、諸寺や若宮に祈願を行なっていた。だが、京で平相国が亡くなったという報が届く。諸国での動乱は収まらないながら、頼朝は少しだけホッとした顔をするようになった。
四月、頼朝の身辺警護の為、御所の寝所を警護する十一人が選ばれた。その中にコシロ兄が入っていると聞いて、ヒメコは嬉しく思うと同時に心配にもなる。闇夜に紛れて誰かが襲ってくるのかもしれないのだから。そう言ったら三の姫は笑った。
「十一人も居るんだもの。平気よ。特に小四郎兄なんか存在感ないから、討ち手も気付かないわよ」
存在感がないというより、わざと消してるようにも思ったけれど、確かにコシロ兄は気配を消すのがうまい。きっと無事だろうとヒメコは信じることにした。
六月、小御所が完成し、ヒメコは八幡姫と共に小御所に移った。
「あら、素敵じゃない。私もずっと此方に居たいわ。御所は落ち着かなくて」
アサ姫が開け放たれた蔀戸に寄りかかって庭を眺めながら、隣の御所にチラと目を送る。
「え、母さまはご一緒じゃないの?」
八幡姫がアサ姫に縋る。アサ姫は少し顔を曇らせて八幡姫を見下ろした。
「そうなの。だって母さまもこちらに来てしまったら、父さまが寂しがるでしょう?だから母さまは半分くらいこちらと御所とを往き来することになったのよ」
八幡姫が嫌だぁと泣き出す。
「じゃあ、父さまもこちらにおいでになればいいのよ。皆一緒がいいのに、どうして別々なの?」
アサ姫はそっと袖を目頭に当てて頷いた。
「本当にね。皆一緒がいいのにね。でも父さまは今は大勢のお仲間を守るお役目をこなされているの。もう少ししてお国が全て落ち着いたら、また皆一緒に暮らせる日が来ますからね」
優しい声に八幡姫は素直に頷いてアサ姫に抱きついた。
「わかったわ。でも今日だけは母さまずっと此処で姫を抱いていて。そしたら明日は我慢するから。ね、お願い」
涙声ながら無理に笑みを浮かべて母を見上げる八幡姫に、ヒメコはそっと貰い泣きした。
まだ数えで五つ。それでも八幡姫は自らの役目をきちんと果たそうとしている。
その姿に過去の自分を思い出し、ヒメコは比企に居る母の顔を思い出していた。嫌いだけど好き。好きだけど嫌い。元気に祖母と喧嘩してるだろうか?
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