二 嫡男
一 恋の行方
年が明けた。正月一日、頼朝は鶴岡若宮に参じ、その後、御所で千葉常胤が椀飯を献じた。ヒメコ達女官は、揃って着物を与えられ、化粧も施されて給仕にあたった。
「小姉上、意中の君はどこよ?」
三の姫が二の姫に尋ねる。
二の姫は頰を染めて、そっと奥の方に目を投げた。
「え、佐殿?それはまずいわよ」
三の姫の言葉に二の姫はブンブンと首を横に振り、
「その列の中程、緑黄の直垂を召して、今お隣の人に肩を叩かれた方」
と小さく答えた。
三の姫はへえ、と相槌を打ってニヤッと笑った。
「あらあら、そうなの。ふうん」
「どうかしたの?」
ヒメコが尋ねたら、三の姫はいいえと首を横に振って
「確かに昔の佐殿ってあんな感じだったかもね」と呟いた。
「え、何なに?何のお話?」
四の姫が顔を出す。
「ねんねにはまだ早い話よ。いいから膳をまっすぐ気をつけて運ぶことだけ考えてなさい」
三の姫に言われ、四の姫は少し頰を膨らませたが、確かに料理の乗った膳を運ぶのはかなり大変なこと。緊張した面持ちになって料理が支度されている部屋へと向かって行った。
羽中太と話した後、アサ姫は三の姫と共に二の姫をヒメコの部屋に呼び出し、三人がかりで口を割らせたのだった。だが顔しかわからないというので、御家人衆が集まる正月に確かめようという話になった。
「いい?どうせ武家の娘は父親の言いなりで嫁がされるわ。でも、その前に恋をするのは娘の勝手よ。成就しなくてもそれは元々のことと割り切って、一言声を交わすだけでも勇気を出して行ってらっしゃい!」
そうして二の姫は意中の人に膳を出し、給仕をすることになったのだった。
御家人達が大勢詰め込まれた大広間。佐殿は奥の一番の上座。そこからズラッと男たちが列をなし、向かい合って座している。
先ずヒメコが一つ膳を持って部屋に入る。静々と進み、頼朝の前に膳を置いた。続いて女官達が続々と膳を手に男たちの前に膳を置いて行く。膳を置いたヒメコは立ち上がり、二の姫はと見れば、ちゃんと緑黄の直垂の相手の前に辿り着いていた。ヒメコは部屋を出て、今度は酒を準備しに戻る。
その間に御所の話があったようで、男たちの返事と拍手が聞こえてきた。食事が始まったようだ。女官たちは今度は酒を注いで回る。ヒメコも瓶子を手に中へ入った。まず御所から。でも頼朝はあまり酒を好まない。これは水ですから、とそっと伝えて盃に注ぎ、頼朝の膳の横にその瓶子を置いて立ち上がる。
酒が入ると男たちは途端にうるさくなる。ガツガツと食べてはグイグイと飲み、次の酒を要求してくる。ヒメコはチラと二の姫を見てから部屋を出た。二の姫は意中の人の声を聞けるだろうか。
だが部屋を出ようとして気付く。コシロ兄はどこだろう?着慣れない着物と膳を運ぶのに必死で、コシロ兄を探すのを忘れるなんて。
「恋の心は下心。時と状況次第で移り変わる」
羽中太の言葉が思い出される。
その通りだ。自分はまだ恋に恋しているだけなのだろう。
落ち込みながら外に出たら三の姫が話しかけてきた。
「随分と明確に序列が出来たものね」
何のことかと首を傾げたら、三の姫は部屋の中をチラと覗いてヒメコを手招きした。
「見て。御所様の隣に並んでるのは腹違いの弟君三人よ。それから足利義兼殿に平賀殿、加々美殿、つまり源氏の一派ばっかり。対して向かい合ってるのは上座から三浦や土肥、千葉、上総、畠山。つまり早くから佐殿のお味方になった一族を上座に置いて、序列を決めてるのよ」
へえ、と頷いたヒメコは、あれ、と思う。
「北条殿は?」
「小四郎兄と一緒に御所様のすぐ脇だから、扱いは一応親族って所かしら」
近くに居たのかとヒメコは改めて落ち込みそうになるが、
「え、足利義兼殿?」
先に挙げられた名を繰り返す。三の姫はニマァと笑った。
「そう!緑黄の君よ。小姉上ったらすごいじゃないの」
ああ、それで先にニヤニヤ笑っていたのかと思い出す。
そこへ二の姫が下がってきた。三の姫と共に二の姫を捕まえる。
「どうだった?」
三の姫の言葉に、二の姫は、ええと頷くと
「落ち着いたお声の立派な方でした」と嬉しそうに答えた。
「お声を聞けただけで私は満足です。二人とも有り難うね。さ、皆様にお酒を運ばなくては」
そう言って軽やかに歩き出す。
ヒメコもそれを追って、盆の上に瓶子を乗せて中へと入った。酒が無くなっていそうな所へ行き、空の瓶子や膳の上の空いた皿を下げつつ回る。
と、着物の裾が引っ張られた。
「可愛い顔してるな。まだ童女みたいに幼い。名は?」
明るい華やかな赤茶の直垂。正月なので、男たちは皆揃って常より幾分華やかな直垂を選んで着ているが、その中でも一際目立つ鮮やかな赤。
先程の三の姫の言葉を思い出す。
御所の隣に弟が三人。この人はその三番目。御所の末弟なのだろう。ヒメコは失礼にならないようそっと膝をつくと「姫御前です」と名乗った。
「へえ、声は意外にしっかりしてるな。でも顔は幼い。いいねぇ。好みだ」
「九郎、飲み過ぎだぞ。今は正月の祝いの席。常の酒宴とは違うのだ。大人しくしていろ」
隣の僧形の人が窘めてくれる。だが、九郎は止まらなかった。
「そう。祝いの席なんだから、もっと賑やかに楽しく騒がないと。そう思いません?」
と、足利義兼に話しかけるが、足利義兼は静かに微笑み返すのみで取り合わない。
「ね、姫御前は舞とか歌はやらないの?ほら、パアッと盛り上げてよ」
どうしよう?北条の館でもこういうことはあったけれど、アサ姫が怒鳴ってくれて助けられてた。でも今日アサ姫は御台所として列席してるから動けない。
自分で何とかしなきゃ。でもどうやって?
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