七 姫御前

門の外に出て、去っていく馬をぼんやり眺めていたら、反対側からドカドカと蹄の音が近付いてきた。馬が地響きを立ててこちらに向かっていた。

「御免!佐殿のお屋敷はこちらか?」

馬上の男が大音声を上げる。驚いて答えられず、ただ目を見開いて馬上の男を見上げる。山伏の格好をしていた。

「何者だ!」

門番が駆け付けてきたので、ヒメコはホッとして門の内に入った。急な使者だろうか?邸内に戻ろうとそろそろ歩いていたら、男の大音声が聞こえた。

「私は中原親能という者。佐殿に目通りを願う。もしくは北条の小四郎か姉君でも構わん。中原の羽中太が来たと伝えてくれ!」

中原の羽中太?聞き覚えがある気がする。それに山伏姿。

「あ!」

ヒメコは慌てて駆け出した。コシロ兄に武芸を教えたという山伏だ!


「ヒメコ様、どうしたの?慌てて」

中へ入ろうとした所で三の姫とばったり出くわす。

「あの、コシロ兄は?それに佐殿、いえ、御所様は今どちらかご存知?」

三の姫はチラと奥の間に目を送った。

「御所様も小四郎兄も、評議中の筈よ。どうしたの?何か急ぎ?」

「中原の羽中太殿が、馬で駆け付けたみたいなの」

「中原の羽中太殿?あら、懐かしいこと。では、とりあえず大姉上に伝えてくるわね。ヒメコ様は急いで着替えてらっしゃい」

そう言って三の姫は静々と下がった。その様を見てヒメコは自分の身を見下ろし反省する。自分も一応女官だった。


「失礼いたします」

声をかけて戸を開き、膳を中に運び入れる。続いて二の姫が酒などを載せた盆を手に中に入っていった。

アサ姫の正面に座る男の前にその膳を置く。

と、ジロジロと見られた。


「おや、そなた。やはり男児ではなかったのだな」

声をかけられ、ギクリと顔を上げる。

「あら。姫御前は羽中太、いえ、中原殿とお会いしたの?」


「あ、はい、門の所で偶然」

「偶然って門の所で何をしていたの?」

「はい。掃除をしていましたら小四郎殿とお会いして、少しお話を」

話と言っても殆ど会話になっていなかったけど。

「そうしたら厩から凄い音がしましたので覗いてみたらとても綺麗な馬が居て、つい見惚れてしまって」

覗くなんて叱られるだろうかと恐る恐る目を上げたら、アサ姫がああ、と目を輝かして身を乗り出した。

「池月ね!あれは本当に美しい馬よね。私も見惚れたわ。一度乗せてくれと頼んだら殿に怒られたけど」

アサ姫が残念そうに言う。

「御台様はお馬に乗れるのですか?」

「当たり前でしょ。武家の娘なのに馬に乗れなかったら恥よ、恥!」

ヒメコは、はぁと答えて俯いた。それを落ち込んだと勘違いしたのかアサ姫が手を振って慰めてくれる。


「あら、姫御前は乗れなくていいのよ。比企朝宗殿には確かに今回武士として参陣して貰ったけど、あれは形だけだし、あなたには別の役目があるのだから」

「あ、いえ。私も馬に乗れるようになりたいなと思ったのです」

「池月に乗りたいの?」

ヒメコはブンブンと首を横に振った。

「いえ、とんでもない!もっと小さな馬でいいのですが、皆楽しそうに馬に乗るのが羨ましくて」

するとアサ姫が珍しく浮かない顔をしたので慌てて手を振る。


「変なことを言ってごめんなさい。戯言です」

頭を下げる。アサ姫は、いいえと首を横に振ると

「実はね、姫にもそろそろ馬に馴れさせたいと殿に話したら渋い顔をされたの。どうも、姫は京風に育てたいらしくて。だからこの屋敷も寝殿造で華美でしょ。庭に池はあるわ不要な橋まであるわ。でも建物の周りには濠も橋もなく、幾らか頑丈な扉があるだけ。何事かあったらどうするのか?と聞いたら、京の御所もそうだと返すのよ。最初にここを御所と呼ばせた時点で薄々気付いてはいたんだけど、やっぱり殿は京に未練があるのね。だから姫にも、姫御前みたいにおっとりたおやかな公家然とした姫になって欲しくてあなたを乳母に選んだのだと納得したわ」

そう言って、フンと鼻息を鳴らした。

と、黙って聞いていた中原の羽中太がフッと笑ってヒメコを見た。


「先程は男児にも見えましたが、確かにこうしていると姫君然としてる。しかし、姫御前とはまた大層なお名前ですな」

ヒメコは顔を赤くして俯いた。

代わりにアサ姫が答えてくれる。


「姫御前は殿が付けた女官名よ。彼女は少し特別だから局の名ではないの」

アサ姫の言葉に、山伏はへえと頷いた。


『姫御前』


ヒメコはそっと嘆息する。

自分に似つかわしくない女官名だと思う。ヒメコも嫌だと言ったのだ。でも頼朝は譲らなかった。


「ヒメコは巫女でもあるから、ただの局名ではない方がいい。そうだな。ヒメコだから、ヒメ、姫の局。うーん、姫巫女の局。うーん、流石にヒメミコは問題かな」

そう言って暫く悩んだ後、

「では、これでどうだ?」

そう言って、手近な紙にサラサラと書き付けたのを見せてくれる。そこには

『姫御前』と書いてあった。

「ヒメゴゼン?あらいいわね。ヒメコを少し濁らせる呼び名だし、響もいいからすぐに慣れそうだわ」

アサ姫のその一言で決定してしまった。アサ姫がいいと言ったものは覆せない。それ以来、ヒメコは御所内では姫御前と呼ばれるようになった。でも、二の姫や三の姫は御所外で会うと気軽にヒメコと呼んでくれるので、御所内では仕方ないかと諦めることにした。


二の姫が中原殿にお酒をすすめる前でアサ姫が口を開いた。

「それで中原殿、あなたは京に居た筈ではなかった?」

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