第三章 鎌倉の石

一 嫡子

一 鎌倉殿

一月後、ヒメコ達は鎌倉に居た。


ある日、前触れもなく迎えがやって来て舟に乗せられた。そのまま海を渡り、川を遡って連れて行かれた先は民家のようだった。

「佐殿は何処?すぐに案内して」

アサ姫が急くように言ったが、迎えに来た武者は首を横に振って答えた。

「鎌倉殿は別の場所に居られます。本日は日柄が悪い為、明朝に御台様をお連れするよう申しつかっております」


「日柄が悪い?どこの誰がそんなこと言ってるのよ」

そうだ。いままで神事や占を行なっていた住吉や邦通はアサ姫と共にここに居るのに、佐殿は誰の助言を受けたのだろう。ヒメコは彼らと顔を合わせる。

「上総殿の占者によるものと聞いております」

「上総殿?では、上総は味方についたのですか」

すると迎えの男は誇らしげに首を頷かせると満面の笑みで続けた。

「上総ばかりではございません。千葉殿はもとより、武蔵国の畠山殿や江戸殿など、元は平家方の諸将も皆揃って鎌倉殿の御指示の下です。今や鎌倉殿は東国の武将全てを率いる大将軍なのです!」

「鎌倉殿?」

アサ姫がぼんやりと繰り返した。

「はい。御台様におかれましては、誠におめでとうございます!」

アサ姫の前にひれ伏す武者。アサ姫は、そう、と答えると、後ろできょとんと立っていた八幡姫の手を引いて自らの膝の上に座らせた。

「とにかく、今日はここで待てということね」

「はい。寝所は整っております。只今、膳をお持ちしますので、御台様並びに皆々様には明朝までこの邸にてお寛ぎ下さいますよう」

そう言って、武者は去って行った。入れ替わりにこの邸の主人と見られる男が挨拶に来て、女達が給仕に入ってくる。

過剰な程に丁重にもてなされ、ヒメコ達は戸惑いながらも箸を進めた。途中でアサ姫がポツリと呟く。

「鎌倉殿って誰よ?」

わかりきった答えだったが、誰も答えようとしない。互いに目を交わしつつその後の口撃を避ける為に黙ってやり過ごそうとした空気の中、

「佐殿に決まってら」

答えてくれたのは五郎だった。

「大姉上、隠遁生活でのんびりし過ぎてボケたの?土地の主になったら、その土地の名を冠するのは当たり前でしょ。佐殿は鎌倉の主になったんだよ。やだなぁ、明日の朝までにはしっかり頭に叩き込んでおいてよね」

五郎の軽口にアサ姫が喰いついた。五郎をむんずと掴むとその尻を叩く。

「五郎!誰がボケたって?そんなの分かってるわよ!」

「じゃあ何をほうけてんのさ。いいじゃない、無事だったんだから」

途端、アサ姫が唇を噛み締めた。

「そうよ、無事だったのよ」

言ってボロボロと涙を零し始める。

「無事だったのなら、もっと早く知らせてくれればいいのに、何が日柄が悪いよ!何様のつもりよ。何が鎌倉殿よ!」

えーん、えーん、と子どものように泣くアサ姫。八幡姫が立ち上がって母の頭を撫でた。

「いたいのいたいの、とんでけ〜」

アサ姫は八幡姫を抱きしめた。


「姫、父上は鎌倉殿なんですって」

「かまくらどの?」

「そう。明日やっとお会い出来ますからね。今日は早くねんねしてとびきりのいいお顔でお会いしましょうね」

「はぁい」

アサ姫に手を引かれて八幡姫が隣の部屋に移る。一同ホッとして食を進める。やれやれ、と五郎が叩かれた尻を撫でて立ち上がった。

「五郎君、礼を申しますぞ」

邦通が頭を下げる。

五郎は首を横に振ってアサ姫の席まで歩いていくと、膳の上に残っていた大きな栗を指で摘み上げてポイと口に放り込んだ。


「ま、あれだけ泣いたから、明日は落ち着いて会えるだろ」

ヒメコがお尻は大丈夫?と指で示したら、五郎はニカッと笑って「慣れてるからね」と八幡姫の膳の上に残っていた栗もつまんで頬張った。


翌朝は快晴。朝の膳が下げられ、支度が整った頃合いを見計らって主人が声をかける。

「お迎えが参りました」

顔を見せたのは昨日の武者ではなく、もっと年配の男だった。

「御台様、大庭景義と申します。鎌倉殿の御居所までご案内いたします」


男の案内でアサ姫を先頭に並んでついていく。鎌倉という町は古くからの寺社町と聞いたが、寂れた雰囲気はなく、往来には人が沢山溢れてひどく賑わっていた。

材木の香り。海風の気配。新しい建物を建てているらしく槌の音や鋸の音、釘を打つ音などが盛んに鳴り響いている。大勢の人が慌ただしく行き来する横をすり抜けるようにして、ヒメコ達はある大きな邸の前に辿り着いた。

「鎌倉殿の御邸宅はまだ工事中なのでこちらは仮の御邸宅になりますが、かの安倍晴明が護符を施したとかで、火事に遭ったことがない建物だそうです」

住吉とヒメコが、へぇと興味津々でその邸を眺めるのを、邦通が可笑しそうに笑った。

男の後を追ってアサ姫が足早に邸の中へと進んでいく。

「それで、殿は何処に居らっしゃるの?」

「はい、こちらの奥で御台様をお待ちです」

男の言葉を聞くなり、アサ姫は八幡姫を置いて駆け出した。

「あの、お方様」

ヒメコが声をかけるが、アサ姫は返事をせずに邸宅の中へとどんどん入っていき、草履を脱ぎ捨てるようにして中に飛び込んだ。



「殿!」


ツカツカと奥へと進むアサ姫。廊に控えていた武者達が驚いた顔で避けようと壁に張り付く。その時、奥からヒョコと佐殿が顔を出した。

「アサ、よく来た!見たか?鎌倉を!とうとう私は亡き父の土地に辿り着いたぞ!」

両手を広げてアサ姫を迎える佐殿。その胸に飛び込むのかと思われたその瞬間、バシーンといい音が響いた。

「無事なら無事で、何故もっと早く連絡をくれないのよ!」

アサ姫の平手が佐殿の頰を引っ叩いた音だった。

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