十七 佐々木兄弟

夜明け、祭に奉納する米や酒を手に、藤九郎叔父が歩いて三嶋大社へと向かった。今日は三嶋大社の祭日だった。


朝、アサ姫の手伝いをして握り飯を配って歩く。昨夜の男は何事もなく山木に帰ったようだった。


「佐殿、そろそろ約束の刻限です」

邦通の言葉に、だが佐殿は座ったまま湯飲みの白湯をガブリと呑み込み首を横に振った。

「いや、佐々木を待つ」

「裏切ったのかも知れませんぞ!」

時政の声に佐殿は軽く頷いたが、それでも立ち上がろうとしなかった。

「そうだとしてもそれはその時のこと。今更じたばたしても変わらん。だが私は信じている。ここに集う皆々を。佐々木の兄弟を。そして私自身を」

静かな声に時政は黙り、他の皆は背を伸ばして佐殿を見つめた。佐殿は続ける。

「だが、いよいよいざとなった時には、私の首を刎ねて相国殿に差し上げて皆は赦しを乞え。全ては私の責。とにかく私はここでまだ彼らを待つ」

肚の座った声だった。

皆は言い合わせたかのように動き出し、佐殿の周りをびっちりと取り囲んだ。まるで何かから護るかのように。

外は晴れて小鳥が賑やかにさえずっている。

「久々の快晴だな。暑くなりそうだ。暫し休もう。だが甲冑は脱ぐなよ」

言って、佐殿はその場にゴロリと横になり眠り始める。男たちもめいめいその場に転がって寝始めた。ヒメコは暑くなってきた部屋の蔀戸を大きく開け放ち、風を通した。火炊き用の団扇を持ってきて中空を仰ぎ部屋の中に風を回す。

昼になり、藤九郎叔父が帰ってきた。

「わぁ、暑い暑い。何ですか、この部屋は」

そう言って逃げて行く。でも他の誰も部屋を出ようとしなかった。ヒメコは台所と部屋を往復して、水や握り飯を差し入れて過ごした。

その時、誰かが走って来た。子どもの走る足音。足音は広間の前で止まり、バンと激しく戸が開かれる。

「佐々木の兄ちゃん達が帰ってきたよ!」

五郎だった。

皆が一斉に起き上がって外へと飛び出す。ヒメコもそれに続こうとして、ふと佐殿を見たらボロボロと涙を溢していた。

溢れた涙をぐいと袖で拭うと立ち上がり、裸足のまま外へと飛び出して行く佐殿。慌てて佐殿の草履を手に追いかけたら、馬屋の前に人だかりが出来ていた。


二頭の疲れた馬に四人の兄弟。馬の上に二つの甲冑。皆ずぶ濡れでくたびれた顔をしている。


「遅参、誠に申し訳がない」

頭を下げる佐々木太郎に佐殿が駆け寄った。

「よく、よくぞ戻ってきた。」

太郎の肩を抱き、次郎の肩を抱く。

「おまえ達が戻らないから今朝の合戦が無くなった。どうしてくれる」

そう文句を言いながらも流れる涙を拭いもせずに笑顔で兄弟達を抱きしめる佐殿。兄弟達も泣きながら佐殿を抱きしめた。

「途中、川が増水していて難儀しました」


増水。ヒメコは先日からの雨を思った。コシロ兄の浮かない顔も。

でも。

これはきっとお計らいだ。

声に出さずにそう思う。


「よぉ、戻ったぞ」

聞き覚えのある声に、ヒメコはそちらに顔を向けた。倒れ込んだきり起き上がれなくなったのか、四郎が地に横たわっていた。その脇にはコシロ兄が居て、四郎の腰の刀などを外してあげている。

「遅くなって悪かったな。心配したろ」

コシロ兄がフッと笑う。

「道に迷ったんだろ」

四郎も笑い返した。

「ああ、確かに迷った。魔に取り憑かれて心の迷いってヤツに入り込んじまった。どうせ俺なんて五人兄弟の四番目でみそっかすでよ。馬もいいのは太郎兄と次郎兄が持って行っちまって、俺なんか痩せた小さなな馬しか貰えなくてさ。甲冑の出来も兄達のよりしょぼいし正直しょぼくれてたんだよ。五郎は渋谷殿の元に残るっていうし。そうか、俺たち四人が万が一今回の合戦で戦死しても五郎が佐々木を継げるし、やっぱり俺なんか死んでもいいんだって思ったんだ。そしたら川で足を取られた。あっと思った時には遅くてよ。濡れないようにと背中に背負った甲冑もろとも流されかけたんだ。でも、三郎兄が俺を掴んで引っ張り上げて、負けるな、立てって言ってくれたんだ。あれは嬉しかったな。それに太郎兄と次郎兄は馬で渡りきってたのに戻ってきて流れを阻むように立ち塞がってくれてよ。俺、馬と一緒に流されてたんだけどさ。ああ、もしかしたら俺も生きてていいのかもしれないって感じられたんだ。そしたらこう力んでたのがフッと抜けてさ。気付いたら馬と一緒に向こう岸に辿り着いてたんだ。俺、無意識だったんだけど馬の手綱を離さなかったんだな。そしたらその痩せた馬が俺を引っ張りあげてくれて俺は死なずに済んだんだ。ただ、馬はすげー疲れちゃっててさ。近くの村の人に預かって貰って休ませてるんだ。三郎兄の馬も同じ所に預けてある。で、俺らは甲冑だけ馬に積んで貰って、歩いてここまで辿り着いたってわけ」

荒辛そうに息をしながらも、すげーだろ、褒めろよと言わんばかりに興奮して喋る四郎は、どこか吹っ切れたような爽やかな顔をしていた。

「そんなにズタボロじゃ、まともに戦なんか出来ないだろうけどな」

コシロ兄が口の端を上げてからかう。

その時、近付いてきた佐殿を見上げて四郎は横になったまま口を開いた。

「今はこんなで申し訳ない。でも飯をかっくらって一刻程眠れば、すぐにお役に立てますから」

佐殿は四郎の脇にしゃがみ、そうかと答えるとその肩に手を置いて言った。

「お前達兄弟はそれぞれ百人力で、これで我等は四百人の味方を得たことになる。必ず勝つぞ」

四郎の顔がパッと輝く。

「必ずや手柄を立ててご覧にいれます!」

佐殿は深く頷くとヒメコが差し出した草履を履き、コシロ兄とヒメコに兄弟の世話を頼んで自らの屋敷へと足を向けた。

そろそろ日が西に傾いてきていた。



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