六 神棚

ヒメコが廊の水拭きを再開して少ししたら、パタパタと子どもの足音が聞こえて、五郎がぴょこんと顔を出した。

「姫姉ちゃん、ちょっとどいて。はい、みんな、こっちだよ。ここの左奥」

言って、パタパタとヒメコの部屋へと駆け込んで行く。その後を四、五人の男が続いて通って行った。その最後の一人がコシロ兄だったことにヒメコは少なからず驚く。

「え、コシロ兄?」

ついうっかり声をあげてしまい、ハッと口を塞ぐ。

「姫姉ちゃん、どちらの壁のどの辺に備えつければいいの?」

声をかけられ、アサ姫に言われて神棚を造りに来てくれたのだと理解する。慌てて部屋に入り、開いた蔀戸から外を見て、落ちる影の向きを確かめる。

えーと。昼過ぎの今頃で屋根の影があそこだから、こちらかこちらだけど、入口がここだから。

「では、そちらの壁の少し上の方にお願いします」

入り口からみて右。東を向いた奥の壁を指差す。と、既にそこにはコシロ兄が居て、紐を壁に当てて寸法を測っていた。

「ここに立て」

他の男の人に言ったのかと思ってぼんやりと見ていたら、

「ここで腕を上げて立て」

もう一度言われる。今度ははっきりとヒメコを見ての言葉。ヒメコは慌ててコシロ兄の隣に駆け寄った。壁の前で右腕をあげる。コシロ兄はヒメコの伸ばした掌の少し下辺りに紐の先端をつけ、床からの高さを測ると、何も言わずにさっさと部屋を出て行ってしまった。

後を追って駆け去った五郎に付いて行こうかと思ったが、思いなして部屋の奥の行李を邪魔にならない位置へと動かして蔀戸を大きく開け放つ。蝉の声が賑やかに部屋の中に飛び込んできた。そして木材を斬る音や男たちの笑い声も。きっと先程の男衆の声なのだろう。そこにはコシロ兄も居るのかと思うと少しホッとする。ここ北条に着いてからというもの、二年前には見た事もなかった数の男の人たちが居て驚いた。さっき部屋に入ってきた人達もそうだが、みんな体格が良くて声の大きい強面の人ばかり。明るい顔で楽しそうにしているから平気なのだろうけれど、今までそういう人たちを見慣れていなかったヒメコにはやはり怖い存在で、場違いな所に来てしまったと萎縮するばかりだった。でもコシロ兄が居ると思うと、それだけで少し怖さが消える気がする。


男たちの笑い声の合間に何かを打ち付ける音が響く。コシロ兄も笑ってるんだろうか。

思えば、コシロ兄の笑い声は聞いたことがない。それどころか笑顔さえ見たことがない気がする。そっと覗いてみたい気持ちにかられるが、それも出来ずにヒメコはひたすら耳をそば立ててコシロ兄の声が聞こえないものかと蔀戸に張り付いていた。


少ししたらドヤドヤと大きな足音が戻ってきて、五郎が顔を覗かせた。

「姫姉ちゃん、出来たって。危ないからちょっとどいててね」

五郎の後ろからコシロ兄を先頭に男衆が入ってくる。コシロ兄がサッと先程の紐を取り出して位置を示すと、男達は壁に板を当てて釘を打ちつけていく。あっという間に作業を終えると、またさっさと出て行こうとした。

「あ、有難うございました!」

慌てて声をかける。

と、一人がヒメコを見て口を開いた。

「何番目の姫君か?」

何を聞かれてるのかわからなくて、きょとんとその人を見返す。

「行くぞ」

声をあげたのはコシロ兄だった。そのまま向こうを向いて行ってしまう。咄嗟にヒメコは頭を下げた。

「江間殿、有難う御座いました!」

言って顔を上げる。

途端、男達が笑い出した。そしてコシロ兄を小突く。

「なんだ、小四郎。お前、妹に江間殿なんて呼ばせてんのかよ。まったく、小四郎の癖に偉そうだなぁ」

え?

「いえ、私は江間殿の妹では」

首を横に振ったら、中の一人がへえ、と近付いてきた。

「北条の姫でないなら、どこの姫だ?下女じゃないよな?佐殿の何だ?」

ジロジロと見下ろされ、怖くなって首を竦める。

その時、ダン!と音がした。

コシロ兄が腕に抱えていた木材を床に置いた音だった。

「四郎、彼女に触れるな。佐殿と大姉上に言って仕置きして貰うぞ。飯抜きになってもいいのか?」

その言葉に、ヒメコの横に立っていた男がへらっと笑った。

「そればかりは勘弁!冗談だってばよ」

そう言って、男はコシロ兄の肩に肘を乗せる。

「じゃあ、今晩は江間殿の屋敷に居候させて貰おうかな」

その時、コシロ兄がフッと口の端を上げた。

「へえ、あっちに行くなら本当に佐殿に言うぞ。参陣させて貰えないから覚悟しておけ。いいから蛭ヶ小島か俺の小屋で我慢しろ」

そう言って、コシロ兄は四郎とかいう男の人の肩を押して行ってしまった。

ヒメコは満たされた気持ちでそれを見送った。

コシロ兄が笑った。少し悪戯な感じの口を歪めただけの笑い方だったけど、初めての笑顔。

あの四郎という人はコシロ兄より少し年嵩で体格も大きかったけれど、気さくに話しかけて笑いかけていた。コシロ兄は同じ年頃の人とはあんな風に会話するんだ。


その時、ふと思い出す。そうだ。二年前にこちらに滞在していた時も、佐殿が何か無茶を言ったりわがままを言ったりしたら、コシロ兄はさっきのような微かな笑みを浮かべてあしらっていた。気の置けない相手にだけ見せる笑顔なのかもしれない。

いつか自分も見られるだろうか。

そう考えてから、ブンブンと頭を横に振る。

江間の屋敷に居る八重姫のことを思い出したからだ。先程、屋敷に行こうと言い出した四郎を止めたコシロ兄。きっと八重姫を大事にしているのだろう。

薄い青色の空に浮かぶ雲がほんのり赤みを帯びてきた。

パンと両手で頰を叩くと、ヒメコは自分の部屋へと戻った。新しく備え付けられた神棚にお札を乗せる。まだ背の小さなヒメコに丁度良い高さの神棚。

紐で高さを測っていたコシロ兄の背を思い出しつつ、一日無事で過ごせたことを感謝してて祈りを捧げる。

「明日も皆にとって良い日となりますように」

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