十三
――少年の思い出
校門をくぐるのとほとんど同時に妙な胸騒ぎが碧川の心をよぎった。普段ならそのまま脇目も振らずに職員室に入室するところだったが、その日に限って何かが碧川を引きとめた。
碧川は何かに惹かれるように校庭の方に足を向けた。
しかし気のせいだと思い直して歩を止めた時、校庭の隅の欅の古木を背にして四人の生徒の姿が眼に入ってきた。
三人は立っていて一人はしゃがんでいる。よく見るとしゃがんだ少年を三人が取り囲んでいるところだった。一人は体格のいい兵藤勇樹、過激な半グレ仲間のリーダー格の生徒だ。
そして痩せぎすで背が高い太田、蜥蜴のような眼を持っている。もう一人は問題児の飯田真奈、バタ臭い顔。女の色気を身に
空気が歪んでいた。不吉な気配がその場を包んでいる。
碧川は人一倍正義感の強い女性だったし、彼女の直感はしゃがみこんだ少年が苦境にあることを教えている。碧川は思わずそこに駆け寄った。
「あなた達なにしているの!」
碧川のよく通る声が校庭に響いた。三人が顔を見合わせた。目の座った兵頭が妙な笑顔をつくって、こちらに顔を向けた。校則破りの茶髪をしていた。
「なにって。なにもしていませんよ。この東君という生徒が気分が悪いらしくてねえ」
おどけた口調だった。
しゃがみこんだ少年は華奢な身体に虚ろな眼をして碧川を見上げていた。
「大丈夫、きみっ!」
碧川が少年を覗き込むようにそう言った。
その少年は童顔で目鼻立ちは整っていたが、何か人に馴染まない孤独を瞳の中に宿していた。
「大丈夫です」
少年があまり力の無い声でそう言った。
「あなた達この生徒になにかしたの?」
碧川はたった今、ひょろっと背の高い太田が、なにか光る金属をポケットの中に隠したのを見た。三人は学園の鼻つまみ半グレの連中だった。したがって彼らが少年に何をしようとしたのかおおよその察しもつく。
「いやね。先生。おれらが校庭を歩いていたら、東君が倒れていたんで、どうしたのかと思って。そしたらなんか気分が悪くなったみたいだから、様子を見ていてあげたんですよ」
とても高校生とは思えない厳つい顔である。碧川を小馬鹿にしたような表情だ。
「大丈夫か東。腹でも痛いのか。保健室にでも連れて行ってやろうか」
身長は優に180センチを越えるだろう。一般の高校生にはない、なにか狡猾な雰囲気がその生徒にはあった。半グレ仲間のリーダー格であるのは疑う余地もない。
「立って。東君だっけかなあ。立てる?」
「ええ」
少年がゆっくりと立ち上がった。ズボンの尻が泥で汚れていた。少年がその泥を払った。少年の名は東道夫。高校一年生である。身長は165センチ位だろうか、いまどきの高校生にしてはやや小さいほうであろう。唇に血が滲んでいた。
思春期の少年であれば、もうとっくに色気づいて洒落っ気ぐらい出てきていいのだろうが、少年にはそういう風情がほとんど感じられなかった。
頭がぼさぼさで制服もよれよれである。少年には格好をつけると言う表現の当てはまる部分がほとんど無かった。
「僕は、――大丈夫っす」
特に個性のない少年だったが、まったく他の生徒とは馴染まず、友達も殆どいなかった
「体調が悪いの? 本当に大丈夫。唇の血どうしたの?」
心配そうに碧川が少年に言った。少年は黙っている。
「先生がいらしたから安心だ。俺らは授業があるんで」
兵頭がそう言ってその場を離れようとした。離れ際に背の高い痩せぎすの太田が、少年の下から上へと視線を振った。挑発的な眼つきだった。やぐざ者がガンを飛ばす仕草だ。
「しっかりしろよ。東」
そう言い捨てる。すると超ミニの飯田美奈が少年に思いっきり顔を近づけてこう言った。
「ねえ、東君。君は可愛いよ。メアド教えたんだからさ。あたいとアレがしたくなったら連絡しなよ。まあ10万も用意すればやらせてやるよ!」
飛んでもない飯田のセリフに碧川の顔が見る間に紅潮した。
「飯田さん! いい加減にしなさい!」
飯田真奈はその声に動じなかった。そして十代にしては熟しきった身体を自分で抱きしめるようにして高笑いした。とても尋常ではない笑いだ。
「おい、真奈。行くぞ」
「なにをされたの?」
三人の姿が校舎に消えると碧川が心配そうに話しかけた。
「……」
少年はただ俯いていた。
「正直に言って。恐喝でもされたんでしょう?」
少年にはほとんど表情がなかった。並みの生徒であったら、札付きの彼らに囲まれただけで恐怖に苛まれ、怯えきった兎のような顔をするのだろうが少年の表情は無機質な金属のように冷たかった。
「――僕は怖い」
少年がぽつりとそう言った。
「ええ、わかるわ。彼らはみんな問題児なのよ。あなたが怖がるのも無理はないわ。でもわたしが付いている。また絡まれたらわたしに言うのよ。しかるべき処置をとるわ」
碧川は優しいまなざしで少年を見つめている。
「――先生、違うんだ。僕が怖いのは彼らじゃないんだ。僕が怖いんだ。この僕が凄く怖いんだ」
理解しがたい少年の言葉だった。碧川には少年の心が計り知れなかった。
(もしかしたらこの少年の心は恐ろしく強いのかもしれない)
初めて少年に逢い、不意に碧川はそう思った。
高倫学園、林崎真司の担任クラスには半グレ集団の生徒たちがいた。兵頭勇樹はそのリーダー格だったが少年が秘めている魔性についてはこの時はまだ知る由もない。
後に彼らが少年に手を出した瞬間。その事を嫌という程思い知らされる羽目になった。
そして物語はいよいよ、佳境に入ろうとしている。
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