カロン
窓際に立ってカレタカは外を見下ろす。
道行く人たちに活気があるのはいいことだ。それはつまり生活に不安がない証なのだから。
ノックの音がした。
「失礼します」
入ってきたのはスタッフのミレーアだった。
「実はちょっと困ったことがありまして……」
ミレーアはギルドのスタッフを始めて3年になる。最初の頃は失敗をしては落ち込んでいたが、数カ月もすれば荒っぽい連中の対応にも慣れていた。
生来のものなのだろうが、彼女は場の雰囲気を読むのが上手い。
だから誰よりも早く喜ばしいことに気が付いたら話しかけて喜びを分かち合おうとするし、何か問題が起きそうならばいち早く対応する。
そういう気遣いができるおかげで信頼されるギルドスタッフとなっていた。
そんなミレーアが困った相談というのはどんな案件なのだろうか。
働き始めて3年ということは、ミレーアもそろそろ結婚を考えてもおかしくはない年頃だ。そういう相談ならば喜ばしいと言えるだろう。
気遣いのミレーアも自分のことになると困ったりするのかと思うと微笑ましいではないか。
果たして相手は誰だろうか。
ここは冒険者ギルドだ。冒険者に告白されるのは十分に考えられる。
ちなみに男性視点だと女性との出会いは難しいと言わざるを得ない。
何しろこのギルドに所属する冒険者のおよそ八割が男なのだ。だから冒険者仲間で出会いを求めようとしても、そもそも女がいない。
逆に女性視点であればより取り見取りと言えるわけだが。
冒険者ギルド内での恋愛成立は意外に少ない。
理由はいくつかある。
一つは生活が維持しにくいというのがあげられる。
冒険者稼業は安定しない。
それは収入の意味でもそうだし、明日への命が知れないという意味でもある。
クエストで命を落とす。そんなことは日常茶飯事だ。
この世界の命の値段は安いのだから。
一応、高位の聖職者であれば復活の魔法を使って死者を蘇らせることができる。
だがそれには相応の謝礼を用意しなければならない。誰でも気軽に恩恵に浴するわけではないのだ。
もう一つは同じパーティー内でカップルが存在する場合によく起きるのだが、パーティーの雰囲気が悪くなる。
好きな者同士がいっしょにいるのは仕方がない。
だが冒険者は命をかける仕事だ。いざというときに付き合っている相手とただのパーティーメンバーのどちらを助けるか。
このとき、私情が挟まれないとは言えないだろう。
背中を預け合う仲間だからこそ、パーティー内へ恋愛感情を持ち込まない不文律を設けているところがあるほどだ。
もっとも、明日をもしれぬ生活をしているからこそ冒険者には家庭への憧れを持つ者が多い。
その相手としてギルドスタッフを選択するのはある意味で自然なことだ。
ギルドで働けるだけの器量があり、収入があり、何よりも冒険者という仕事に理解がある。
夫婦となる場合は冒険者のような危険な仕事を辞めて欲しいと言われるかもしれないが、この際、それは脇においておこう。
というわけで、冒険者から告白をされた可能性を考慮したとして、誰が候補にあがってくるだろうか。
所属している冒険者の顔が次々に思い浮かぶ。
中堅冒険者でスカウトのマレスコは――ない。
いや、一言で切って捨ててしまってはあまりにかわいそうなのでフォローをしておくと、マレスコの好みのタイプはミレーアとは大きく異なっているのだ。だからマレスコがミレーアに求愛する線はないと断言できる。
具体的にどんな女性がタイプなのかというと、かつてマレスコはこんなことを語っている。
「いや、これはここだけの話にしておいて欲しいすけどね。俺からするとギルドの女性スタッフはちょっと範囲外でして」
「一般的な意味でみんないい子たちだと思ってるんすよ。仕事仲間として付き合う分には十分すぎすわ。みんな、ちゃんと仕事できる人ばっかりすしね。わからないことがあればしっかりと教えてくれるし、落ち込んでいたら声をかけてくれたりもするんすから」
「ただ結婚っていうのはそうじゃないと思うんすよ。なんて言ったらいいんすかね。安定感? 安心感? うまく言えないんすけど、いっしょにいてほっとできる相手でいてほしいんすわ」
「わかってもらえます? もちろん贅沢な話だっていうのは俺もわかってるんすよ。でもなんていうか、言ってしまえばこれからの人生をいっしょに生きていく大事な相手じゃないすか。そこんところは妥協しちゃだめかなって思うんすよ」
顔を赤くしながらマレスコはあれこれと自分の理想を語っていた。
顔が赤かったのはお酒が入っていたかもしれないのだが。
そして、マレスコが結婚する相手の女性に望むのは次のようなものだった。
「俺はやっぱりでっぷりした女性がいいんすわ。俺のことを包み込んでくれるっていうか。受け止めてくれるっていうか。で、飯をいっしょにいっぱい食える生活がしたいすね。そういう意味で、ここのスタッフはみんな痩せすぎだと俺は思うんすよ」
だから一般的な女性のスタイルをしているミレーアにマレスコが求愛することは絶対にありえないのだ。
理想の女性像を聞けば、なるほど、安定感とか安心感という言葉の意味がわかってくる。
では他に誰かいるだろうか。
意外に年下から憧れられるという展開はありえそうだ。
となると、まだ冒険者生活に慣れておらず、クエストでも失敗をしてしまいがちで、そのたびにミレーアにあれこれフォローをされるうちにそれが好意に変わって……という流れだろうか。
ここしばらくミレーアがよく担当していた駆け出しの冒険者に該当する者はいただろうか。
……いた。
槍をメイン武器にしているレゼルバだ。
本来ならば前衛職をやる場合は盾を持って戦線を支えられるのが望ましい。
だが槍は対人戦闘において懐に入られさえしなければ優位に戦いをすすめられる優れた武器だ。
広い空間の場合は左右に槍を振って牽制できるし、洞窟のように狭いところであれば一方的に攻撃し続けることだってできる。
そういう理由で槍を選ぶ冒険者も少数ながらいる。
しかし、それは他にもしっかりと盾役をこなせるメンバーがいるようなパーティーの場合の話だ。
レゼルバたちのパーティーには残念ながら他に前線を任せられるメンバーがいない。
それゆえ戦線が崩壊して後衛が肉弾戦に巻き込まれて怪我を負い、撤退しなければならなくなってクエストが失敗するということが多かった。
きっとレゼルバはリーダーとして不甲斐ないと思っているのだろう。
たしかミレーアはレゼルバから相談を受けていると言っていた。
これだ。
相談をしているうちに頼りになる年上のお姉さんへの尊敬が恋慕へと変化した。
そこで思い切って告白をしてみたが、ミレーアとしてはそういう関係になるとは思っておらず困って相談をしにきた。
ありだな。
などということをカレタカが考えていたかどうかはわからない。
※ ※ ※
「……なるほどな」
おくるみに包まれた赤ん坊がギルドマスターであるカレタカの顔をじっと見つめていた。
そこには赤ん坊の無垢さ以外のものが伺えた。
知性の色だ。
「生まれたばかりだというのにちっとも泣き声をあげないんです。それになんだか私たちの様子をずっと伺っているようにも見えて……夜には意識を失うように寝落ちますし……」
「だから不安だと?」
「…………はい」
赤ん坊の母親は明らかに怯えている。
先日、待ち望んでいた子供がようやく生まれたのだが、二週間ほどして様子がおかしいことに気が付いた。
この子はほとんど泣き声をあげることがないのだ。
それだけではない。
じっと見つめられることが多かった。
生まれたばかりの赤ん坊の目は光を感じるぐらいしかできないらしい。
そもそも色や形の認識もできないという。
キョロキョロと目を動かしていても焦点が合っていないので、その動きに意味はない。視ることができないので当たり前だ。
だが、生まれてまだ一カ月程度の赤ん坊――カロンという名だ――にも関わらず、彼は周囲の様子を認識しているようだった。
もしかして自分は悪魔の子を産んでしまったのではないかと思い悩んだ母親は、夫や村長とも相談をし、思い切って冒険者ギルドに相談に来たということだ。
「私たちはどうしたらいいんでしょうか……」
「そんな不安に思うことはないでしょう。この子はとても優秀な子のようだ。もしかしたら将来は世界を救うような大活躍をするかもしれませんよ」
「それは一体どういう意味なのでしょう……?」
妻の肩を抱きしめていた夫が問いかける。
「そのままの意味ですよ。この子は間違いなくお二人の赤ん坊です。ただしとても優秀なね。きっとご両親の言うことをよく聞いてくれるでしょう。子育てで苦労することは多分ないと思いますよ」
カロンをあやしながらカレタカは言葉を続ける。
「物心がつく頃にはいろいろと求めてくるかもしれません。たとえば本を読みたいだとか」
「……うちに本なんてものはありませんが……」
「なら、ギルドからいくつか持っていくといいでしょう。地理、歴史、それから魔法関係がおすすめです。ああ、お金は不要です。ただ彼が成長して、もしも冒険者になりたいと言い出したらここを紹介してあげてください。決して悪いようにはしませんから」
「は、はあ……」
何度も優秀な子と褒められて悪く思う親はいない。とりあえず心配はないのだと納得できたようだ。
何冊もの本を手に帰路につく両親の背中を見送る。
「あの子はもしかして……」
「転生者だな。果たしてどんな子に育つのやら。願わくば、世界の破滅なんてものを望まない、自分の目と両手が届く範囲の人たちのことを第一に考えて平穏に暮らしてくれる人だといいんだが」
そればかりは神ならぬカレタカにはわからないことだった。
「……ところで、ミレーアには結婚の予定とかないのか?」
「ないですね。いい人がいたら紹介してください」
にっこりと微笑むその顔には「余計なことに口出しすんじゃねえ」とはっきりと書いてあった。
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