タケダセツコ
「なんだか今日のギルマスの様子、おかしくないですか?」
冒険者ギルドのスタッフになってまだ日の浅いロセスが朝からソワソワしているカレタカの様子を見て先輩のラクリマに話しかける。
「あー、今日はセッちゃんが来る日だからじゃないかな」
「セッちゃんって誰ですか?」
ロセスは可愛らしく小首を傾げる。
「……くっ、女の子らしいかわいい仕草……これが天然ならあたしに勝ち目はないし、計算なら恐ろしすぎる……女子戦闘力があたしとはダンチだわ……」
戦慄しつつ小声でつぶやくラクリマだが、ロセスはどうして先輩が目を瞠って自分を見ているのか理解が及ばない。
だから表情は気にしないことにして質問を続ける。
「どういう方なんですか、そのセッちゃんという人は」
こいつ、天然か計算かも悟らせないつもりか……と独りごちたあと、ラクリマは質問に答える。
「簡単に言うと……うーん、簡単に言うのはちょっと難しいかも。それでも無理やり言葉にしたらセッちゃんは……カレタカさんの思い人、かなあ」
「ええっ!? ギルマスに好きな人っていたんですか?」
ロセスの思わぬ食いつきにラクリマの方が驚く。
「あー、いや、好きっていうのとはちょっと違うかもしれないけどね。でも気にしていることは間違いないと思うよ」
「そうだったんですか。なんだかショックです……ギルマス、カッコいいからちょっといいなあって思ってたんですよね」
(それをあたしに聞こえるようにつぶやくのも計算の内じゃないでしょうね……ロセス、恐ろしい子!)
そんな内心を隠しつつ会話を続ける。
「たしかにカレタカさんはカッコいいしね。声もいい感じだしさ。耳元で囁かれたりしたらちょっとぞくってなるっていうか……」
言いながらそのシーンを想像し、ラクリマの腰がぶるりと震える。
実際、カレタカの声に惚れている女性は多い。スタッフ内でギルドマスターに囁いてもらいたいセリフをあげるというイベントが行われる程度には。
「そうなんですか?」
どうやらロセスはそちらに興味がないようで、自分で自分の身体を抱きしめながら腰をくねらせているラクリマをぽかんとした表情で眺めていた。
後輩が自分を見る目で冷静になったのか、ラクリマは居住まいを正す。
「……こほん。ロセスみたいにカレタカさんのことを思っている人が多いのはあたしも知ってるけど、正直、競争率はすごーく高いわよ」
「あ、いいえ、わたしは多分そういう人たちとは違うと思うので。別にギルマスと結婚したいとか思ってませんから……思ってませんからね?」
ロセスを見つめるラクリマのどこか生あたたかそうな目を見て確認をする。
しかしそれが逆にラクリマに間違った確信を持たせてしまった。
「ふーん、へー、ほー。なるほどねー」
「……先輩はなにか勘違いしてませんか?」
「んー、勘違いかー。うん、まあ、そうしておきましょうか」
ラクリマは珍しく慌てた様子のロセスを見てニヤニヤ笑う。
「先輩、その笑い方、なんかイヤです」
「え、そう? 冒険者の人たちからは、ラクリマの笑顔は悪くないって言われてるんだけどなあ」
その言い方は褒めていないのではないだろうかとロセスは思ったが、世の中には口にしない方がいい言葉があるとアドバイスされたことがあったので笑顔でスルーする。そして話の流れを修正した。
「そういえば、ギルマスって結婚してるんでしょうか?」
ラクリマの目には、ちょっとだけロセスの瞳の奥に暗い炎が揺らいだ……ように見えた。
この年頃の女の子なら年上の男性にのぼせるっていうのはあるよねなどと心の中でうんうんとうなずく。
先輩としてここは一肌脱いでおくのもいいかもとラクリマは思う。
たとえ叶わない恋であっても、恋は女を美しくするのだと女性誌で見たことがある。ついぞ自分には縁のなかったことだが、後輩の幸せを願うのは悪いことではないだろう。
それと同時に悪戯心が頭をもたげる。
いくつか自分が持っているカードをオープンにして彼女の興味を引き出し、反応を伺い、確信を持つことによっておいしいお話のネタに育て上げようと瞬時に考えをまとめた。
「カレタカさんが結婚しているって話は聞いたことないかなあ。指輪もしてないし、特定の人はいないと思うよ」
この世界でも結婚をした場合は左手の薬指に指輪をする者がいる。ただし全員というわけではない。
結婚をしているどころか子供がいるにも関わらず他の異性と関係を持とうとする不届き者はいるし、それがパートナーにバレれば刃傷沙汰になるのもよくある話だ。
特に冒険者同士で結婚をしていれば、双方ともそれなりの殺傷能力を持っているわけで。
「そうなんですか……そっか、いないんだ……」
ラクリマの口の端がきゅっと上がる。
「なになに、やっぱりカレタカさんを狙ってるってこと?」
「だから、そういうのじゃないですよ。もう、変な顔しないでくださいっ」
「わかってるわかってる。みんなそう言う――ちょっと待って! 今、変な顔って言った!?」
ラクリマはロセスの首根っこを捕まえてがっくんがっくん揺らす。
「ちょ、先輩……それ、やめて……首痛いです……」
「だって今、大変な侮辱を受けた気がしたんだもん!」
「き、気のせいです、から……」
解放されたロセスは涙目になって首をさすっている。
やっぱり不用意なことを口にするとこういう目に遭うんだと深く反省をする。二度とすまいと改めて心に決めた。
「それで、なんの話をしてたんだっけ?」
「ギルマスのことですよ。わたしは尊敬をしているんです。ギルドマスターなんて役職についてるのもすごいですし、かつては一流の冒険者だったって聞きましたし。いったい、どんな冒険者だったんでしょうね。どれぐらいの強さだったのかとか気になります」
「うーん、どうなんだろう。さすがにカレタカさんが現役のことを知っている人はほとんどいないからね。っていうか、本当に冒険者をしていたかどうかもわかんないし」
「前に先輩からそんなお話を聞いた気がするんですけど……」
「あー、じゃあミトロさんから聞いたのかな。あの人、ここで一番の古株だからね」
「ミトロさんですか……そういえば、先輩っていつからここでお仕事を始めたんですか?」
「私? 私は今年で5年になるかな。まあ、古株って言えば古株かもね」
冒険者ギルドのスタッフの離職率は高い。
というのも、この世界での生活に慣れたところでスタッフをやめて冒険者になったり、自身が持つ能力や知識で新しい仕事を始める者が多いからだ。むしろギルドマスターであるカレタカはそういうのを推奨している。
「もしかして、先輩もギルマスに声をかけられたとか?」
「そうだよ。いろいろあってどうしたらいいかわからなくて困っていたところをカレタカさんに声をかけられたの。っていうかさ、あの声で「仕事しないか?」って言われたら、「はい、喜んで!」って言うしかないでしょ。たとえそれがどんな仕事であっても私はやった気がする。ヒモとかでもいいかなって思っちゃったし」
「ヒモっていうのがよくわからないんですけど……」
カレタカはこの世界へ突然やってきて、どうやって生きて行けばいいかわからない人たちに冒険者ギルドで働いてみないかと声をかけている。
ギルドで働くのならば寝床や食事が提供されるし、もちろん給料だって支払われる。だから仕事をしないかと誘われて断る者は少ない。
生活が保障されること以外にギルドで働くメリットは他にもある。
それは同じ境遇の者がギルドには数多くいることだ。
同郷の者が近くにいるのはなにかと心強いし、悩みの相談もしやすい。
慣れない世界で生活を始める者たちにとって、この冒険者ギルドはある種理想的な職場なのだ。
しかし、ここで生きていく自信をつけた者はギルドでの仕事だけでは満足できなくなる。そしてスタッフを辞めて自力で生きる方法を模索するようになる。
せっかく新しい世界へ来たのだから今までとは異なる人生を歩みたいと願う者は多い。そしてそれをカレタカは祝福する。
お店を始めるという者には相談に乗った上で資金援助をするし、農業をやってみたいという者には農地の確保を手伝ったりもする。
開墾をしなければならないのならそのための道具や人足の手配などをしなければならないが、それにはかなりまとまった資金が必要だ。その資金をカレタカは貸してくれる。
当然、利益が出るようになれば借りたお金は返さなければならない。カレタカもボランティアをしているわけではないのだ。
ちなみに冒険者ギルドを辞める者が次に選ぶ職業の多くは冒険者だった。
命の危険がすぐそばにある生き方なのだが、だからこそなりたいのだという。
「そんなことより、セッちゃんについて教えてくださいよ」
ようやく最初の話題に戻った。
ラクリマの視線がロセスから外れる。
「あ、来たみたいだね。あの人だよ」
ラクリマの指差した先には、曲がった背中に巨大な荷物を背負った老女がいた。明らかに自分の身体よりも大きい荷物だ。
駆け寄ったカレタカがホールの一角へと誘導している。
「元気そうでなによりだ。しかしすごい荷物だな」
「これぐらいたいしたことないよ。どっこいしょ」
荷物を降ろした時の音から相当の重量であるのがわかる。
「今年はいい出来だよ。カレタカさんにおいしいのを食べてもらいたくてね」
そうして取り出したのはジャガイモやタマネギ、ニンジンといった野菜だった。
「さすがはセツコが手塩にかけただけはある。どれも美味そうだ」
親と子ほど年が離れているように見えるセツコとカレタカは野菜を手に取りながら楽しそうに会話をしていた。
「タケダセツコさんはギルドと契約している農家なんだよ。収穫物をああして持ってきてくれてるの。すっごく美味しいんだから」
茫然とするロセスの目の前で手を振ってみるが反応はない。
「言っておくけど、セッちゃんにはゴロウさんって旦那さんがいるからね」
ラクリマの声はロセスに届いていなかった。
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