イノウエカヨ
町の中心部からは少し離れた小高い丘にギルドの受付をしているミトロが立っていた。
周りには規則正しく石が敷き詰められている。
整然とどこまでも続いていた。
私服姿のミトロは一つの石の前に立つ。
「みんな、一年ぶりだね」
足元の石には複数の名前が彫られていた。
ここは共同墓地だ。
朽ちた肉体や火葬された灰が埋められているわけではない。ただ死んだ人を忘れたくない人が名を記しておく場所だった。
しゃがんだミトロは石の周囲の雑草を抜いていく。
ここには墓守もいるのだが、彼は個々の墓の管理まではしていない。
死者が生前に使っていた貴重品が一緒に埋葬されることもあるので、それを狙った不届き者を取り締まる。
もちろん個別にメンテナンス費用を払っているのならば話は別だ。
墓守の主な仕事は墓を守ることで清掃することではない。
この世界では日本のように春秋のお彼岸、お盆、命日などといった定期的な墓参りをすることはない。
墓参りをする人が行こうと思ったときにだけ行く。
いつまでも墓参りに行かずに放っておくと墓石の周辺が草で覆われてしまう。だから墓の関係者がたまにやってきて掃除をしたりする。
そして定期的に墓参りをする習慣を持っているのは日本から転移・転生してきた者だけだった。
ミトロもそんな習慣を持つ一人だ。
一通り目についた雑草を抜くと、持ってきた布で墓石を拭く。
このあたりは乾燥した気候のおかげか、汚れはすぐに落ちてくれる。
それから持ってきた花を墓前に添え、両手を合わせてお祈りをする。
最初の頃は手を合わせるのは違うのかもしれないと思っていた。だが自分がなじむ形でするのが一番いいと思い、墓前で手を合わせるようにしている。
「まさかこっちにきて墓参りをちゃんとするようになるなんて思わなかったな」
日本にいた頃にも年に何度か家族で墓参りに行っていたが、面倒で本当は行きたくなかった。お墓へ行くより友達と遊びに行ったりしたかったのだ。
そんな自分がどういう風の吹き回しなのだろうと思わなくはない。
「もう500年以上ここで生きてるのにね……」
ミトロの口元に寂しげな笑みが浮かぶ。
サクサクと地面を踏みしめる音に顔を上げた。
「カレタカさん……」
ミトロに向かって歩いてきていたのはギルドマスターのカレタカだった。
「ちょっと挨拶でもと思ってな」
隣に立ったカレタカに場所を譲るようにミトロが立ち上がる。
墓石の正面に立ったカレタカは黙とうを捧げた。
そんなカレタカの姿を見ながら、この世界ではこういうのが普通の墓参りなのだろうなとぼんやりと思う。
「……ありがとうございます。みんな、喜んでいると思います」
「そうか。それならいいのだが」
しんみりとした声だった。
それでもいい声をしているなとミトロは思う。
「本当ですよ。ここにいる精霊たちも喜んでますし」
ミトロは精霊魔法の優秀な使い手だ。
エルフたちは幼い頃から精霊と共に生きている。
しかもミトロは古エルフだ。その親和性はエルフの比ではない。
エルフが精霊魔法を使う時は精霊語を使って精霊に力を貸してもらうように依頼をしなければらならない。それがいわゆる精霊魔法の呪文だ。
もちろん、その場に精霊がいなければ力を借りることはできない。
火がないところにサラマンダーはいないし、水が近くになければウィンディーネの力は使えないわけだ。
精霊魔法の使い手は、その場にいる精霊に働きかけ、どういう力を発揮してほしいのかを精霊語で頼み了解を得ねばならない。
精霊界から人間界に介入して改変を実現すること。
世界の改変とは魔法の実現だ。
それが精霊魔法の本質である。
しかし古エルフであるミトロに依頼の文言は必要ない。
ミトロはそこにいる精霊に指示するだけで世界を改変することができる。
「――!?」
いきなり周囲の雰囲気が変化した。
その変わり方は劇的で、この世界で有数の精霊魔法の使い手であるミトロですら事前に感知をすることができなかったほどだ。
「カレタカさん!」
「どうやら結界のようだな」
二人は互いの背中を合わせて死角をなくす。
「いやー、お二人には感謝をしなければいけませんね。わざわざお揃いでいらしていただけるなんてね。探す手間を省くことができましたね。無駄な時間を過ごすわけにはいきませんからね」
じんわりと空間に染み出すように姿を見せる男がいた。
スーツのようなパリッとした衣装を身に着けているのだが、一目でこれは人間ではないとわかる。
「――魔物ですか」
背中に蝙蝠のような羽が生えているのだ。
この世界には獣人も生活をしているが、このような羽を持つ者はいない。
であればこの男は魔族に間違いないだろう。
それにミトロは過去に魔界へ行ったこともある。そこではこのような異形の姿をした存在が多数存在していた。
「魔物! 魔物ですってね! 魔将軍の一人、このアーガルに対して魔物ですってね! あは! あは! あはははははははは!」
胸が空を向くところまで背中をそらして男が嗤う。
癇に障る嗤い声だった。
聞いているだけでその口を閉じろと言いたくなるような声をミトロは500年以上生きていて初めて聞いた。
「いやいやいや、そのような言い方は失礼ではありませんですかね? それとも人間界というところはそういうものなのですかね? それは僕様のリサーチ不足ですね。反省をしなければなりませんね★」
煽るような言葉を紡ぎ、深く腰を折って頭を下げる。
「魔族が何の用ですか」
「魔族というのは魔界に生きる生命体という意味合いでしょうかね? それならば僕様をそう呼ぶのは間違いではありませんね。ええ、間違いではないのですが、やはり固有の名称があるのですからアーガルと呼んではいただけませんかね?」
哀れさを見せているつもりなのかもしれないが、言っていることは高圧的である。
「ああ、そうそうでしたね。僕様が何をしにわざわざこんな低質な世界を訪れたかというご質問でしたね。それは簡単な話ですね」
アーガルは右手の指を一本立て、片目をつむってみせた。
「先日、こちらに魔王の一人であるグレンフォレスが来ましたね?」
「グレンフォレス?」
ミトロは誰のことかと記憶を漁り、ある男の顔が思い浮かぶ。
そういえば、ミトロのかつてのクラスメイトである彼女も魔王の一人だったのだ。
「ええ、ワイン持参で来ました。それが?」
「――死んでくださいね」
アーガルの右手が一閃される。
次の瞬間、腕を振った高さの空間がズレた。
「随分と乱暴なことをするじゃないか」
ミトロはカレタカの腕の中にいた。
「おやおや。全力ではないとはいえ僕様の空間斬をかわしたようですね」
ここが結界でなければずっと先まで切断されていただろう。
幸い、アーガルが張った結界のおかげで外には影響が出ていない。
「何故と聞いても構わないかな?」
カレタカの問いかけに、アーガルは機嫌よさそうに応じる。
「いいですね。理由もわからないままというのも一興かと思いましたが、先ほどの攻撃を回避したご褒美として教えて差し上げるのもよいことでしょうからね」
アーガルは何もない空間に腰を下ろし、長い足を組んだ。
「困るのですよね。勝手に魔界の物を人間界に持ち出されてはね」
アーガルの右の手のひらが上を向くと、そこにグラスがあった。
さらに何もない空間から赤い血のような液体が注がれてグラスを満たす。
「魔界のものは魔界の中にあってもらわないと困るのですね。バランスという言葉があるのですね。魔界の均衡を保ち続けるためにもそれは魔界が始まってからずっと守られてきたことなのですね」
グラスを回すと内側の液体も回転する。
「……今のはワインのことでしょうか」
「だろうな。なかなかいいワインだったんだが」
ギルドスタッフ間で使われる特赦な発声法による会話は他の者に聞かれることはない。
「魔界を維持していくためにも持ち出されたものを取り返さなければならないのですね。ですから、貴方たちから回収をするしかないと思ったのですね」
「交渉の余地は?」
ミトロは乾いた唇を舐めながら問いかける。
目の前の存在はフェアリーアイを持ち、人間界最高峰の精霊魔法使いであるミトロよりも強い。
冒険者を引退して久しいとはいえ、現役のトップクラスにも実力は引けを取らない自信はあった。
だが先ほどの攻撃を認識できなかった以上、アーガルの実力は自分よりも上であると認めざるを得ない。
だがここにはカレタカがいる。
カレタカならばなんとかしてくれる。
そういう無条件な信頼をミトロは持っている。
「できると思っているのでしたら愉快なお方ですね」
「それならば仕方がないか」
カレタカが一歩前に踏み出す。
その瞬間、アーガルが後方へ飛び退った。
「貴様! なんだぁ!?」
急激な変化にミトロは目を瞠る。
ただカレタカは距離を詰めようとしただけだ。たったそれだけの行動にどうしてこうも大げさな反応をする必要があったのか。
「なん、なのだ……」
首が落ちる。
重い水音を立てて地面にアーガルの頭が転がる。
数瞬後、首のない体がうつ伏せに倒れる。
「……え? な、何が……?」
ミトロが問いかけるようにカレタカを見る。
「さっきのやつの応用っていうか、あいつが下がる位置に置いておいたんだよ。そこに自分から突っ込んで自爆」
首が落ちてしまったアーガルの肉体がドロリとした黒い液体になっていく。
「どうせ仮初の肉体だ。放っておけばそのうち消えるさ」
カレタカの言うとおりアーガルの首と体は消え、それと同じくして結界も消失した。
「カレタカさん。このことは……」
「ギルドマスターである俺が見ていたから報告は不要だ。魔界産の美味いワインを飲もうと思ったら、ちょっとばかり骨が折れそうだな」
「取引をやめるという選択肢はないのですか?」
「ないな。言っておくが、親友同士の交友関係も制限するつもりはないぞ」
「べ、別にカオリは親友ってわけでは……」
「よし、帰るか。送っていこう」
「はい……」
二人が去った後は、いつもの墓地の光景となっていた。
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