イイダカオリとイノウエカヨ

 冒険者ギルドの扉が開くと男が一人立っていた。


 目鼻立ちのくっきりとした美形だ。

 長く美しい銀髪を後ろで一つに束ねて背中に垂らしている。

 引き締まった肉体は戦士というよりはレンジャー系のようだ。


 男は屋内を見渡し、カウンター内にいる人物に向かって手を上げる。


「よう、久しぶり!」


 声をかけられたギルドスタッフはその場でそっとため息をついていた。


「なんだよ、ため息をつくことはないじゃないか」


 男は陽気に笑いながらカウンターへとたどり着く。


「今日はどのようなご用件でしょうか」


「おいおい、まずは時候の挨拶ぐらいはしようぜ。若葉萌いづる頃、いかがお過ごしでしょうか、とかさ。人間関係を円滑にするにはそういった日頃の細かい心配りが大事だって言うだろう?」


 ジト目で男を見つめる女性スタッフのダガーのような長い耳がひくんと動く。


「かー、美人が台無しだぜ。この世界でも最高峰の精霊魔法の使い手、フェアリーアイにしかめっ面を向けられる方の気持ちにもなってくれよ。命がいくつあっても足りやしない。そういうのがいいって男もいるだろうが、生憎と俺はそんな趣味を持ってなくてさ。ほら、スマイル。口元をあげてにっこりとしたらどうだい」


 おどけるような男の言葉に、スタッフは指でこめかみのあたりをグリグリとほぐしていた。


『……魔王が単身でこんな場所にくるなんてどういうつもりよ』


 スタッフの使った言葉に、魔王と呼ばれた男の口元がきゅっと上がる。


『ああ、いいなぁ、この響き。何百年たっても忘れないんだね。日本語を使うのも久しぶりだよ。それでさ、どうなの、佳代ちゃん。元気にしてた?』


『その名前で呼ぶのはやめてよ。今の私はミトロよ』


『えー、いいじゃん。本名を呼んでもらえるのって嬉しくない?』


『……嬉しいけど。じゃあ、私も貴方のことを香里って呼べばいいの?』


『うん、もちろん。もうわたしたちしか残ってないんだしさ。昔話をしたくなってもできるのは佳代ちゃんしかいないんだよ。たまにはこういうのに付き合ってよ。旧交を温めながらさ』


『それは魔王なんて種族を選んだ香里が悪いんでしょ。他のみんなは寿命がある種族を選んだのに……』


『それを言ったら佳代ちゃんだって同じじゃない。事実上、寿命がない古エルフを選んでるし』


 この世界に生きるエルフは人間種に比べて長命ではあるが寿命がある。

 だがエルフの古代種と言われる古エルフには老衰という概念は存在しない。古エルフは人類というよりも妖精に近い存在だからだ。


『知らなかったのよ。古エルフに寿命がないだなんて』


『えー、委員長のくせにそんなことも知らなかったのぉ?』


『い、委員長とは関係ないでしょうっ。っていうか、さっきから口調が女の子っぽくなってるわよ』


 指摘をされて、男はひょいと肩をすくめた。


『いいじゃん、日本語で話してるときは元の性別でいたって。どうせ佳代ちゃん以外には何を話しているのかわからないんだし』


『そうでもないわよ。知らなかった? この世界って、日本からの転生者や転移者が多いの』


『一応は知ってる。だってほら、こう見えて魔王だし。魔王を倒すぞーってお城までやってくる人もいるんだよね。だいたい元日本人なんだけど。こっちは別に侵略しようだとかこれっぽっちも思ってないのにね』


『思ってないの?』


『思うわけないでしょ。だって、魔王ってなんとなくカッコよさそうだなーって思ったから選んだだけなんだもん。世界を破滅させようとか、征服しようなんてこれっぽっちも思ってないんだからね』


 やれやれと言いたげに男は首を振った。


『そんなものなんだ。でも魔王になるのってポイントのやりくり大変だったんじゃないの?』


『そうでもないよ。初期のスキル選択に厳しい制限があったけど、魔王になれるならいいかと思って種族にポイント全フリしただけだし』


『……思い切ったことをするわね。そういうところ、ちょっと呆れる』


『そこは尊敬してよっ。佳代ちゃんこそよくエルフの上位種なんて選択したよね。裕子とか沙菜は普通のエルフじゃなかったっけ?』


『他にもエルフを選んだ子たちもいたと思うけど……もう忘れちゃったわね』


『あは、忘れちゃったねぇ。だってもう500年以上前のことだしね』


『正確には531年ね』


『ぶぅ、佳代ちゃん細かい。531年もたったのに性格変わってない』


『そんな簡単に変わるわけがないでしょ』


 昔を思い出したのか、佳代はクスリとほほ笑んだ。

 滅多に見せない彼女の笑顔を見て魅了された冒険者もいたが今は置いておこう。


『ねぇねぇ、そんなことよりさ、最近、なんか面白いことってなかった?』


『最近っていうけど100年単位で会ってないんだからね。いつの最近よ』


『もー、佳代ちゃんは細かいなぁ。そのへんは適当に解釈してよ。わたし、基本的に魔王城でひきこもり生活だから情報に疎いのよ~』


『何年ひきこもりしてるつもりよ。あ、ごめん。魔王なんだからひきこもりしててくれた方が助かるわ』


『あ、ひどーい。そんなこというと、みんなで地上へ遠足しよう企画とか立ち上げるからね』


『やめて。お願いだからやめて』


 そうなったらきっと地上は大混乱だ。


『うそうそ、じょーだん。そんな面倒なことするわけないじゃない』


 表面上、チャラいイケメンがお堅いギルドスタッフを口説いているようにしか見えない。


 ミトロといえば最古参スタッフとしてこのギルドでも有名だ。

 仕事はきっちりしており信頼されているが、いかんせん古エルフのもつ美貌ゆえに同僚たちからは少し距離を置かれていたりする。


 仲間外れにしているわけではない。

 わからないこと、困ったことがあったらミトロに聞けと言われているほど信頼を寄せられているのだから。

 ただ美しい切れ長の目で見つめられると軽い魅了状態になって上手にしゃべれなくなってしまうわけで。


『それで今日は何をしにきたの? まさかこんな雑談をするためだけじゃないでしょうね』


『え、そのつもりだったんだけど』


『香里、貴方ねぇ……っ』


『まぁまぁ、そんなに怒んないでよ。お土産も持ってきてるしさ』


 そうしてイベントリから取り出したのはお酒だった。


『仕事が終わったらいっしょに飲も♪』


        ※        ※        ※


 本来、このギルドではギルドカードを持っていない者や高レベルの冒険者は食事ができない。しかし何事にも例外はある。


 たとえばギルドのスタッフは自由に食事をすることができるし、またその知り合いも許可を取れば許されている。


『じゃあ、久しぶりの再会を祝して、かんぱーい!』


 血のように赤いワインの入ったグラスを触れ合わせる。


『あら、これ美味しい』


『でしょでしょ。実はね、最近の魔界は空前のワインブームなの。ほら、魔界って土地が痩せてるでしょ。だからワイン用のブドウもいい感じのがとれてワインのデキもいいのよ、これが。なんだったら人間界に輸出しようか?』


『さすがにそれは……ちょっと考えさせて』


 この芳醇な香りと味のワインが飲めるのならば魔界との交易を真剣に考えてもいいのではないかと思ってしまう。


『上の人と相談してみてよ。別にお金儲けがしたいわけじゃないし。あと人間界の経済を破壊したいわけでもないからね。純粋に、佳代ちゃんにもわたしが作ったワインを飲んでもらいたいなって思ってるだけだから』


『……ありがとう』


『結局、今日まで生きてこられたのは、わたしと佳代ちゃんだけなんだよね……』


 ワイングラスを揺らしながら香里がつぶやく。


 彼女たちはクラス単位でこの世界へ転移してきた。

 その際、種族や職業、技能を選択することができたのだ。


 佳代は古エルフ、香里は魔王という本来ならば選べなかったはずの種族をシステムの隙をついて選択した。


 転移時にチート能力を与えられようとも、何も知らない世界に放り出されて生き抜くことは難しい。

 夜盗やモンスターに襲われて命を失った者もいれば、謎の病で命を落とした者もいる。

 困難を生き抜いて天寿を全うした者もいたが、それはごく少数だった。


 この世界へ転移したクラスメイトで生き残っているのはもはや佳代と香里しかいない。


『そういえばさ、佳代ちゃんは結婚しないの?』


『できるわけないでしょう。そもそも相手がいないわよ』


 エルフならば人間との間に子供を授かることができるのだが、ほぼ妖精の古エルフは同じ古エルフとしか子をなすことができない。

 人間界に姿を見せる古エルフはまずいないので相手を見つけるどころではなかったという言い訳を佳代は自分にしていた。


『別に子供を作らなくてもいいでしょ。いっしょにいたらうれしいとか楽しい人とだっていいじゃない。どうせ生涯は共にできないんだし。そういえばあの人はどうだったの? 同じパーティーにいた、いい感じの男の人。声とかよかったよねぇ。まるでイケメンボイスの声優みたいだった』


『わ、私のことよりも香里はどうなのよ。魔王なんて大変なんでしょ?』


『あー、そうだねぇ。でも高校生の頃とあんまりかわらないかも。好きな子もいれば嫌いな子もいるって感じだし』


『そうなんだ。ならいいけど』


 二人の会話が途切れたところで、ウェイトレス姿をした京子がテーブルまでやってくる。


「こちらはギルドマスターからお二人へとのことです」


 フランス料理のように美しく盛られたお肉だった。


「これ、カレタカさんのお手製だ。あとでお礼を言っておかないと……」


「ありがとう。お土産のワインは喜んでもらえたかな?」


「はい。とても美味しかったそうです」


 フォークがすっと入る肉の柔らかさ。口に入れると適度な噛み応えがあり、噛むごとに肉汁があふれ出る。

 そしてなによりこのワインに合っていた。


『美味しい……このお料理を作った人すごいなぁ。魔界に連れ帰って毎日作ってもらいたいなぁ』


『それはダメ』


『そっかー。佳代ちゃんの思い人を取るわけにはいかないもんねぇ』


『げほっ、ごほ、ごほ……』


 久しぶりに再会した親友同士の夕食はとても楽しそうだった。


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