Ⅳ 告解の誘い


 研究室の近くを歩いていると、なにかの機械の配線がショートをしたボヤ騒ぎだった、などと道行く人が話していた。あの爆発は、事故でも事件でとなかったらしい。それなら安心だろうと研究室に戻ると、研究室のドアの外でひとりのおじさんが体育座りしていた。


「あ、強盗のおじさんだ」

「おとうさん!」


 呼びかけを間違えたが、ゆきちゃんの声でかき消されたので問題なかったことにした。ゆきちゃんはそのおじさんに駆け寄った。

 強盗のおじさんこと後藤さんは「ゆき、おかえりー」とゆきちゃんを抱きとめてから、私を見上げた。


「お久しぶりです、久留木さん!」

「久しぶり、新しい職場はどう?」

「びっくりするぐらい良いんですよ、これが。年収も倍ですし休みもありますし、あいさつしてもらえて、すごいんですよ」

「それでびっくりしちゃうのか……」


 今までどんな扱いをされてきたのかと思いつつ手を差し出すと「ありがとうございます」と彼が立ち上がった。


「太った?」

「毎日吐かなくなったので!」

「あ、そっか……うん……」


 彼の以前の労働環境については考えないことにした。

 彼はゆきちゃんを抱き上げた。


「じゃあ、ゆき、帰ろう」

「帰るの? あきちゃんにばいばいするー」

「あきちゃんは今、修羅となっているから大人しく帰ろうな」

「なんで? ばいばいしないの?」

「うん、また今度な」


 そんな恐ろしい会話のあと、後藤さんは私を見た。


「久留木さんは中へどうぞとのことでした」

「そんな話を聞いた後に、私に地獄に入れと?」

「あはは」

「いやいや、笑い事じゃないよ。え、一カ月、白翔くんの下で働くと白翔くん化するの?」

「いやー、よろしくお願いします、じゃあ俺は失礼しますー」


 こちらの言葉にはまともな返答をせずに彼は娘を連れて帰ってしまった。その対応はものすごく白翔くんに似ていた。


「え……どうしようかな……」


 一人残された私は、研究室の窓からそっと中を覗くことにした。が、すぐに後悔した。


「ひえっ⁉」


 窓に白翔くんの顔があった。

 思わず叫んだ瞬間に目の前の扉が開き、腕を掴まれ、部屋に引きずり込まれた。


「なにっ⁉」

「……」

「なにか言って⁉」


 白翔くんはなにも言わぬまま私を膝の上に無理やり乗せて、ばたばたとタイピングを始めてしまった。なにをしているのかは分からないが、もうこの膝から降ろしてもらえないのだろう。

 試しに少し動いてみただけで背後の『ヤバさ』が増し、耳元で「死にたいんですか?」と言われたので、もうなにもできなかった。


「……そんなに体格差ないと思ったんだけどな……」


 私は白翔くんの膝の上に完全に収まってしまっている。抵抗もできない。

 白翔くんに凭れて、その肩に頭をつける。


「ちょっと寝ちゃおうかな」

「どうぞ」

「一応話は聞いているのか……じゃあ、寝てみよう……」


 どうせ眠れはしないのだ。

 でも他に何もできないなら目を閉じていたかった。



「終わりました」


 その声で目を開ける。


「おつかれ、白翔くん」

「ふふ、あなたにそう呼ばれるの良いですね」

「なにが?」

「俺も舞さんって呼ぼうかな」

「好きにしたらいいけど……足しびれてない?」

「どうでしょう。下りてもらってもいいですか?」

「うん、じゃあ私のおなかに回っている腕を外してもらっていいかな?」


 白翔くんはくすくす笑いながら私を抱きしめて、首にその顔を押し付けてきた。


「ちょっと……仮にも公共の場じゃないの、ここ?」

「ここは公には開かれてませんよ。まあ、密室でもありませんね」

「離してってば」


 ぺしぺしとその頭を叩くとようやく解放してもらえた。私が立ちあがると白翔くんは「あれ? 立てませんね」と言った。どうやらしびれているらしい。


「痛みはないの?」

「少し薬を減らしているので……そうですね、痛い……のかな?」

「え、薬減らしてるの? なんで?」

「睡眠時間を減らしたかったので。あの薬を飲むと強制的に寝てしまうから……でももう終わったので戻します」

「……ねえ、……それ、初めて会ったときもそうしてたの?」

「あのときは飲む時間をずらしていました。明け方から眠るように変えていたんです。あれはあれで疲れる生活でしたね……」


 白翔くんはため息を吐いてから大きく伸びをした。


「そんな薬の量変えたりしていいの?」

「俺はこの薬に依存していますし、ずらすのも減らすのも体に負荷がかかります。でもそれだけで……眼鏡がないと歩けない、というのと同じです。そんな顔をしないでください」

「なら、彼女にそんな顔をさせないようにしてほしいわね」


 ぺし、と白翔くんの鼻先を叩いてから、私も伸びをする。


「帰る」

「送ります」

「……きみはレポートを教授に出したの?」

「出しましたよ。年末の処理も終わりました。明日は休みです」

「ふうん……でも体が痛い人に送ってもらう話はないから」


 白翔くんが起き上がり私の頬に手をあてた。


「……なに?」

「俺も眠れていない人を一人で帰すはずがないんですよ?」

「……え?」

「……『要するに白翔くんって、ちょっと面倒な人なんだね』でしたっけ。あなたには言われたくないですよ、久留木さん……あなたにあの睡眠導入剤は効かなかったようだ……」

「ああ、なるほど。睡眠導入剤だったのね、よかった……そんなもんで……」


 彼はにんまりと嬉しそうに笑う。


「あなたに合わせて薬を作りましょう。そしたらあなたは俺から離れられなくなりますね?」

「……発想がこわいよ」

「孕みますか?」

「音声で聞いたことなんだけど、そんな脅し文句」

「なんであれ送りますよ。少しは寝てくださるかと思いましたけど、俺の体温は少しも役に立たなかったようなので……」


 お詫びです、と白翔くんは笑った。

 その笑顔が疲れていて申し訳ない気持ちになったが、それでも今日も眠れないことはなんとなく予想がついていた。



 白翔くんのボルボはいつも甘い匂いがする。


「白翔くんって香水つけてるの?」

「嗅覚は残っているので、香水は好きです」

「重いな……」


 シートベルトを締めると白翔くんは「慣れてください。俺の体とは一生付き合ってもらいますから」と笑った。その発言も重かった。


「ところで……久留木さん、俺の事どこまで調べましたか?」

「ファンサイトは読むには読んだけど、信用できないと思ったから忘れちゃった」

「そんな都合の良い記憶をしていらっしゃるんですか?」

「そりゃそうでしょ。私の頭なんだから私の都合に良くなきゃ困るじゃない?」


 肩を竦めると、白翔くんは目を丸くした。


「なにその顔?」

「……あなたは俺が思っていないことを言いますね」

「なにそれ、へんなの。まあ、私はきみよりきみの薬の方が興味あるかも。痛みも苦しみもないとか麻薬っぽい情報しか出てこないんだもん」

「あははっ……そんな素直に言う人がいますか? 全然違いますよ」


 白翔くんが歯を見せて笑うのが珍しくて、今度は私が目を丸くする番だった。

 でも彼は私の顔にはつっこまずに生き生きとした様子で薬の説明を始めてくれた。低くよく通る声で彼が言うことには、彼の薬の効果は痛みや苦しみを消すものではなく、その感度をおさえるものだそうだ。元々誤作動で大きくなっている機能を生活できるレベルまで下げる。

 それは個性を殺すこととも考えられなくはないが、死にたいと思う気持ちをおさえる薬が認められていて彼の薬が認められない謂れはないそうだ。


「必要以上に痛む必要も苦しむ必要もないんですよ。人は楽に生きていくべきだ。余裕がないと、楽しみの忘れてしまうでしょう?」

「……ふうん、達観ね」

「痛いのも苦しいのも一生分経験しましたよ」

「……重いなあ」

「父はこの病気を苦で自殺を選びました。母は無理心中で連れていかれて、俺だけは運よくか運悪くか生き残り、その三年後発症しました。元々この薬は父が研究していたものなんです。その土台がなければ、俺も今頃死んでいるかもしれませんね」

「……そういう話を聞いてどういう顔をしたらいいのかわかんない」

「その顔をしていてください」

「私どんな顔してる?」

「困った顔をしています。聞きたくなかったなあって顔」


 私はそう思っているので、そういう顔をしているのだろう。


「怒っている?」

「何故?」

「だって、……そんな薄情なこと、彼女が思うのだめでしょ?」

「さあ。どうでしょう。俺、彼女ができたの初めてなのでよく分かりません」

「それはさすがに嘘」

「なんでですか。本当ですよ」


 車が赤信号で止まる。

 エンジン音が続く。


「あなたには俺のことを知ってほしいんです。そしたらあなたは俺を見捨てないだろうから」

「捨てないよ……私、フラれない限りはきみの彼女だと思うよ?」

「はは、それは嘘でしょう?」

「なんで? 本当だよ」


 私は本音で話していた。でも彼は苦笑した。

 その顔を見たとき、私たちはきっとこんな風にこの先も分かり合えないような、そんな気がした。


「……白翔くん」

「なんですか、久留木さん」

「デートしようか」

「いいですね。どこ行きましょうか?」

「……私のこと、知りたい?」


 彼は少し黙った後「はい、知りたいです」と言った。



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