Ⅴ 過去と現在
◇
干しシイタケが戻るのを待っている間に酢飯をつくる。炊き立てのご飯に御酢を混ぜてあおいで冷ますなんて業の料理だなと思いつつ、うちわであおぐ。
これで酢飯はいいが、問題は具材の方だ。
「お弁当だから生もの使えないしなあ」
錦糸卵に焼き鮭に蒸した海老に枝豆、そのぐらいで彩りはいいだろう。いや、きぬさやもあったからそれも入れておこう。
そんなことを考えながら酢飯をうちわであおぐ。
明日は白翔くんとデートだ。
「……白翔くんに比べたら、大したことない一生を送っているんだけどなあ」
でもそれは私の人生を彼に説明しなくていい理由にはきっとならないのだろう。
彼の言う彼女は『お付き合いをする相手』ではない。もっと重たい『生涯を共にしてもらう前提』という意味がある。
なら私もどこからきてどうしてこうなったのかを開示しておかないと、フェアではない。
ある程度冷えた米に濡れた布巾をかけておく。
にんじんを細切りにし、レンコンを薄いいちょう切りにしてから酢水にさらす。水で戻したシイタケを細切りにし、その戻し水を使って切った具材を炒め煮にした。
「……味覚がほとんどない、って言ってたなあ……」
でも彼はカレーをとても美味しそうに食べて、シュークリームを嬉しそうに食べてくれて、……きっとこのちらし寿司も美味しそうに食べてくれるだろう。
それは全部嘘なのだろうか。嘘だったとしたら、私は彼に料理を作るのが嫌になるのだろうか。
だったら――聞かない方がいい。
おいしい以外の答えが聞きたくないなら、味なんてもの、そもそも聞かない方がいい。
炒め煮にしたものを酢飯に混ぜ込んでから、錦糸卵を作り出す。色むらができないようにしっかりと卵を溶いてから味をつけ、さらに濾してから焼く。
味覚が駄目でも視覚はあるはずだ。
だったら、色味には特に気をつけよう。
「……嫌われたくないのかな。……嫌われるに決まっているのに……」
弱火で両面焼いて粗熱を取っている間に、お弁当箱に酢飯を詰める。
お重よりは小さいが普通のお弁当箱をよりは大きい箱をわざわざこのために買ってきた。こんな真っ黒なお弁当箱なんて、ちっとも女の子らしくないけれど、きっと彼はそんなことを気にしないだろうから大きさだけで選んだ。
卵を薄切りにして米の上に乗せる。それから他の具材をバランスよく配置する。
「……ああ、見た目はおめでたいな……」
早咲きの桜を見に行くことになっていた。きっと、そこではこのちらし寿司は綺麗に見えるだろう。
◇
「早咲きの桜を見に行くんじゃなかったっけ?」
「この霊園の桜は速いんですよ」
「付き合いだしてから初めてのデートで両親の墓に連れていく人いる?」
「挨拶しておきたいかなって……」
「そうでもないけど……そうだとしたらさすがに膝は出してこなかったよ……」
今日も今日とて私はショートパンツだし、彼は真っ黒なコートに少し明るいチェックのマフラーだ。
「白翔くんって夏服も黒なの?」
「はい、基本は」
「えー……モテない理学部って感じでいやだからやめてー」
「それは否定できないですよ。モテない医学部生ですよ、俺は」
「ストーカーに遭っておいてなにをいうの。顔面偏差値一五〇ぐらいあるでしょ」
「久留木さん、偏差値が百を超えることはまずないですよ」
そんな話をしつつ霊園の階段をのぼる。
彼の両親は鎌倉の少し先にある葉山の霊園で眠っていらっしゃるらしい。彼は「父は元気なときに俺を作ったらしいんですが俺の物心ついたころには寝たきりだったので何もできない人という印象が強いんですよ。母はそれを支えてはいましたが癇癪を起こす人でしたね」とあまり参考にならない紹介をしてくれた。
途中の花屋さんで買ったデルフィニウムの花束を持ちながら階段をのぼる。
「でもいい人だったそうですよ。まあ父の弟は中島さんなので」
「翼くん?」
「その呼び方はなんなんです?」
「え? なんか変?」
「……俺よりも先にあのおっさんのことを名前で呼びましたよね?」
「……翼くんが松下くんのこと名前で呼んでたから、白翔くんって呼んでもいいかなあって思ったんだよ?」
「……そうですか。あのおっさんもたまにはいい仕事をしますね……」
と口では言っているが、白翔くんの目は死んでいる。本当に全く尊敬していないのだろう。
「翼くんがいなかったら私、殺されてたかもしれないし……」
「……彼は警官です。税金で生きている。市民に怪我をさせた時点で彼の職務怠慢です」
「厳しいのね?」
「当然のことです。公僕は名の通り、しもべでなくては……とにかく、俺の病気はそれぐらい人を壊すんですよ。I saw the best minds of my generation destroyed by madness. なんてね……」
「キルケゴール?」
「ギンズバーグですよ」
手をつないで階段をのぼると転びそうだけれど、手を離すこともなく階段をのぼり切った。青い空が広がっていて、山々と遠く街が見える。
「きれいだね」
「景色でもよくないとこんなところまで誰も墓参りに来ませんよ」
「クラウドにあればいいのにね、墓なんて」
「……ふふ、そうかもしれませんね」
白翔くんの家のお墓は奥にあった。
そこからの景色も素晴らしかった。
「いいところ」
「墓にはもったいないですよね」
「いやそれは失礼でしょう……」
ふたりで、大して生えていない雑草を抜き、墓石を洗い、花をかざった。線香の煙を見ながら「ああ、いい天気だね」と言うと「そうですね、今日が命日なんですよ」とさらりと彼はまた重たい話をした。でも私たちの上に広がる青空がとても綺麗だったので「お弁当、ここで食べたら気分いいかもね」と笑うと、「えー? お弁当作ってくれたんですか?」と彼がクスクス笑った。
その微笑みに私は黙った。
私が黙ったことで彼も黙った。
「……え? 本当に作ってくれたんですか?」
「ごめん、……花見って聞いてたから……」
「え、本当に作ってくれたんですか!」
「墓参りなんて知らなかったから……ごめん、調子に乗ったよね……」
浮かれていて恥ずかしい。全身が急に汗をかき始める。
「ごめん、気にしないで……」
「食べたいです!」
「いや本当に気にしないで……どうせどこかいいお店の予約もしてくれているんでしょう、きみはそういう人だよ……抜け目のない……」
「食べたいんですって! 俺、あなたの料理は味がするんです! 食べさせてください! 鞄に入っているんですか⁉」
「ちょっ!? うわっ!」
いきなり腕を引っ張られて彼の胸にもたれるが、彼の腕は私に回るのではなく私が背負っていたリュックに伸びていた。
まるで上級生にランドセルを開けられる小学生みたいな扱いだ。
「ちょっと白翔くん!」
「あっこれですね!」
「ぐぐっ……窒息するっ! 白翔くんのおっぱいで窒息する」
「俺におっぱいはありません! 暴れないでください!」
「強盗! これ強盗!」
「取った!」
「ひどくない⁉」
解放されたときは彼の手にはお弁当があり、私は地面に放り出されていた。
「彼女に対して……この仕打ち……」
「やったー、久留木さんの手料理だ!」
「私よりも料理……私の料理が目当てなの⁉」
「体目当てよりいいでしょう⁉」
「っていうかお墓の前でお弁当開けないでよ!」
「ちらし寿司だ!」
しかし彼はお弁当を墓の前で開き、墓石の前に座り込んでしまった。
私は色々と言いたいことはあったのだけど、結局、彼の隣に座った。
「生ものじゃないから大丈夫だとは思うけど……」
「綺麗ですね」
「……翼くんが、白翔くんが味覚はあんまりっていうから、見て綺麗なものにしようと思って……」
「嬉しいです。でも、そんなこと気にしないでよかったのに」
「きみが、……無理をしているなら嫌じゃん。だって味しなかったら米なんてほぼ糊だし……」
ぶつぶつ私が呟いていると白翔くんが「俺もあなたが好きです」と急に言った。びっくりしてむせた。
「そういうことじゃなくて!」
「そういうことでしょう?」
「だって、そんな、……親御さんのお墓の前でちらし寿司って……」
「食べましょう、久留木さん。生き物は死肉を食って生きながらえてきたんですよ」
「なにその怖い理論……」
彼が箸を私に差し出してにっこりと笑う。
「俺の家族は崩壊していました。家族そろってご飯が食べられたことはない。だから、……だからいいんです。一緒に食べてください、久留木さん」
「……その言い方はずるい……」
「押し負けてくださいよ。彼女でしょう?」
「彼氏が、家族に彼女を紹介するときって彼女を立てるもんじゃないの?」
「もう骨も残ってませんよ」
「そういうこと言うのよくないって……」
でも結局、そこで私たちはお昼ご飯を食べた。
彼は何度も何度も「おいしい」と言ってくれた。その笑顔は心からこぼれているようにしか私には見えなかった。だから、それを信じようと思った。
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