Ⅸ 普通と異常

 苛々をおさえ、翼くんを睨む。


「ねえ、翼くん、……きみはさあ、私に声をかけたときに白翔くんよりは『普通』だって判断したんだね? なんで?」

「な、なんでって……白翔は天才だから」

「そう勝手に判断して、勝手に自分から距離を置いたんでしょ。その癖、あれこれと難癖をつける。……ねえ、今まで白翔くんの周りにきた人みんなに同じようなことをしたの? 同じように『うちの子はちょっとおかしいんだけどそれを分かった上で仲良くしてくれるかい?』なんて話しかけたの? 大きなお世話じゃない、それ?」


 女の力であっても喉仏を全力で押されたら、どんな人でも苦しむ。だから彼は私の人差し指から目を逸らせない。怖いからだ。

 ……怖がられているのだ、私は。


「子どものことおかしいと思っている親なんて……そういう人が一番嫌い。一番性質が悪い。なにか事情があるなら本人から聞けばいい。まわりが言うことじゃないでしょ……」


 ――舞、あなたがなにを考えているか分からないの。お母さんには、分からないの……。


「……ごめん、翼くん。八つ当たりだ、これ……」


 思い出した嫌なことを頭を振って散らす。


「……ごめん」


 寝ていないと感情が制御できなくなる。

 両目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。心臓を落ち着かせてから目を開くと、翼くんは心配そうな顔で私を見ていた。


「大丈夫か、久留木さん」

「……大丈夫……。……とにかくストーカー問題を解決しよう。この盗聴器を仕込んだ人は、今、盗聴器が使えない事に気が付いたはず。……これだけの更新頻度のサイト投稿者なら、……多分すぐに確認しに来て設置し直すと思う」

「現行犯逮捕するってことか?」


 痛む頭をおさえて、ため息を吐く。


「翼くん、自分の大事な子がいじめられているの。その相手を叱るぐらいはできるでしょう? 警官だからとかじゃなくて、できるでしょう?」

「当たり前だ。……俺は馬鹿かもしれないけれど、だったら親馬鹿でありたい」

「……なにそれ……だっさ……」

「ださくたっていい。白翔は小さい時から頭よくてな、かわいくてな……本当に可愛いんだよ!」

「はいはい」

「でも、白翔の周りでは『偶然の事故』が多発する。白翔はたしかに関わっていない。けれどそれで流してしまうには、あまりにも数が多い。刑事としては、……」

「なんかあるの?」

「なんかあると思うがなんもないといいと思うし、……親としてはなにかあったときは責任を取ってやらなきゃいけないと思う。……過保護だし、過干渉なんだろうけど、でも、……俺は白翔に幸せになってほしい」

「翼くんって独身?」

「独身だが彼女はいる。ごめんな」

「は?」


 翼くんは独身なのに、こんなに親みたいなことを言える。……私の親とはちがう。羨ましくて、妬ましくて、悲しくなった。


「……そっか、『中島さん』は良い人だ」

「お。今更」

「そう、今更」


 中島さんは嬉しそうに笑った。

 しかしそれからバリバリと頭を掻き「やっぱり説明しないと駄目だな」と呟いた。


「これは過保護だから言うんじゃないが……白翔の痛覚は今ほとんど機能していない。だから辛みは分からない。スパイスの匂いは分かるかもしれないが、……カレーは好き好んで選ばない料理だ。……他の味覚もそれほど鋭くはない。料理なんて、……食事なんてあいつにとっては義務に過ぎない」


 ――痛みも苦しみもない人生には悲しみはないだろう。しかしそこに喜びはあるのだろうか?


 中島さんが真剣な顔で私の腕を掴んだ。


「なあ、もしかしてきみ、ほとんどあいつのこと知らないんじゃないか?」

「……白翔くんはカレーを美味しそうに食べる人だよ……」

「……これだけは知っていてほしい。あいつは病気なんだ。俺の弟は、……あいつの親はそれを苦に自殺するぐらい辛い病気だ。今はそれを抑えるための薬を飲んでいるから動けているだけだ。たしかにあいつは自分を救うための薬を作ったすごいやつだ……それでも健康な人と同じとはいかない。それだけは分かってほしい。あいつだっていつ死ぬか分からない。俺はそれが怖いんだ……」


 中島さんからの言葉から分かったことは、白翔くんが私に対して隠し事をしていることとその隠し事は私の理解の範疇の及ばないものだということだ。

 それだけだった。

 言葉を失くした私を気遣うように中島さんは「あーのさ……」と声を出した。その話題の切り替えの下手さは少しも白翔君に似ていなかった。


「ここから見ていて誰が不審者なんて分かるのか?」

「ここのドアは外から開けるときは二つの鍵と部屋番号と暗証キーが必要じゃない?」

「そうなのか?」

「『翼くん』は本当に刑事なの? ちゃんと周り見て?」

「あっまた翼くんに戻ってしまった……」


 このマンションの入り口には共有の鍵と部屋の鍵、それから部屋番号と暗証キーの入力が必要だ。

 手間ではあるけれど住人たちは慣れているのか手早くマンションの中に入っていく。それに便乗して入っていくような不届き物はほとんどいない。

 いても手に鍵を持っていることが多い。


「さっき俺たち便乗で入っちゃったけど、やばくないか?」

「すぐに通報はされないでしょ。……でも、危ないからね。住人以外と思われる人に事情聴取はできるよね?」

「ああ……なるほど。俺たちみたいに便乗して入っていく人を見つけて声をかければいいのか?」

「うん、それもやってほしいし、刑事の勘で気になったら声をかけてほしい」

「分かった。白翔のためだ。今から事情聴取週間ということにする」

「それから私の警護もしてほしい」

「きみの?」


 私はさっきファンサイトに登録した自分の記事を見せた。翼くんは気味悪がるように目を細めた。


「どういうタイプのストーカーか分からないけど、……こんな記事が上がった直後に、相手の家の前で私を見かけたらどうするかな? ストーカーって自己顕示欲が強いんだって」

「……きみは犯人を待つって言うのか?」

「現行犯逮捕はできるよね?」

「……分かった」


 翼くんは「きみは白翔に似ているよ」と言った。それは不本意だった。

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