Ⅶ 脅迫と協力

「きみ、ちょっといいですか?」

「……」


 私は彼から目を逸らし、無視した。

 知らない人に声をかけられたらスルーが一番安全だからだ。しかし、その人は座っている私にさらに一歩近づいてきた。しつこい。これは『頭がおかしい』か『常識知らず』かどっちかだろう。


「きみは久留木舞、さん、ですよね?」


 名前が知られているということは麻雀ファンだろう。面倒だなと思ったが愛想笑いを浮かべる。


「……今日はプライベートなので……、やめてもらえます?」


 あとは会釈でスルーしようとしたら「えっ違います!」と彼は私の隣に座ってきた。


「以前一度だけお会いしたことがあって……」

「明日は十九時から雀荘出勤するから、それでいい?」


 これ『ヤバそう』と感じ、逃げるために立ち上がったら腕を掴まれた。


「え? なんなの! 警察呼ぶよ!」

「警察は俺です!」

「えっなに⁉ 警官が痴漢とか世も末!」

「痴漢!? 違います! 俺は白翔の叔父です!」

「えっ、あきとって……松下くんの?」


 その男性はコクコクと素早く何度も頷いた。その顔を見て私は思い出した。


「あ、もしかして喫茶店に松下くん捕まえにきた刑事さん?」

「そうです。それです。……すいません、久留木さん、今お時間ありますか?」

「ないけど」

「えっ」


 『あるか』と聞かれたから『ない』と答えただけなのに彼は傷ついた顔をした。その素直な表情の変化は刑事らしくも、松下くんの身内らしくもなく、私は少し拍子抜けした。

 この人、多分松下くんほど裏はないし頭もよくないだろう。つまり警戒する対象にはならない。足を組み直し、その目を睨む。


「……なに? うちのレートは、まあ違法だけど、摘発食らうほどじゃないでしょ?」

「ああ、いや、その件ではなくて……」

「じゃあなに?」

「白翔のことです」


 レートの話の方がよかったなと思いながら、私はベンチに座り直した。


「警察手帳を見せておきますね」

「ああ、どうも……はあ……」


 中島翼なかじま つばさと名乗ったそのおじさんは血縁上松下くんの叔父にあたり、実質的な保護者となるらしい。

 警視庁のそこそこ偉い人らしいがその地位を説明されても分からなかったので『刑事さんってこと?』と聞いたら半笑いで『あ、はい、それでいいです』と返された。目の色が赤茶色で外見ではそこだけが松下くんに似ていた。


「それで、翼くんは私になんの用なの?」

「え、翼くんって……」

「翼くんでしょ? 偽名なの?」

「いや、偽名じゃないけど俺はきみより年上だから……くん付けというのは……」

「年上でも、やっていることは子どもの人間関係への口出しでしょ? 子離れもできていない人にさん付けするほど敬意を持つ理由はないんだよね」


 ツンと冷たく言ってみたら「ぐうの音もでません……」と可愛い回答が返ってきた。ちょっと笑ってしまった。


「その返しはちょっと松下くんっぽい」

「へ? そうですか? 白翔がこんなことを言いますか?」

「うん。松下くんって素直だし、甘えるのうまいもん」


 私の言葉に彼はぽかんと口を開けた。


「なにその顔」

「……その『松下くん』というのは白翔のことですか?」

「他に誰の話をすると思うの、この場面で。翼くんはちょっと頭悪いのかな?」


 もう一度ツンと冷たく言うと「ぐえ……」と彼は呻いた。


「いやでも、俺からすると白翔が人に甘えるのって想像ができなくて……」

「子どものことはなんでもかんでも想像がつくと思っている辺りが子離れできてないよねー」

「うっ……」

「で、なんの用なの? 私みたいに得体のしれない人間が翼くんの大事な白翔ちゃんに手を出すのが気に食わないってこと? だったらすごいムカつくから無視するよ?」


 翼くんはポリポリと頭を掻いた。


「……そういうつもりではなかったんだけど、でも俺がしていることってそういうことになるのか……いや、でも、白翔は俺にとって息子も同然だから……」

「二十歳すぎた子どもの人間関係に口出しするのは過保護です」

「うっ……いや、でも、あの子はその……、特別な子だから……」

「二十歳過ぎた子どもを特別な子とか言っちゃうのは過保護です」

「ぐっ……」


 自分の爪を見る。人差し指の爪だけが尖っていた。これならそこそこ『武器』になるだろう。


「ねえ、……なんなの? 翼くんの話は聞く価値がないってことでいい?」

「い、いや、ちゃんと聞いてほしい。あいつは本当にちょっと特殊で、そのことを分かった上で付き合ってもらった方が……」


 聞く気が失せて、尖っている右手の人差し指を翼くんの喉仏に突き立てた。


「ぐっ⁉」

「翼くん、隙だらけだね」


 その喉仏に爪を立て、努めて私は笑顔を浮かべる。もちろん、愛想笑いだ。


「死にたくないなら質問に答えなさい」


 刑事相手に私の威嚇がどこまで通じるかは不安だったが、ひゅ、と彼は息を吐いた。

 その目がようやく『松下白翔に近づく女性』ではなく、ここにいる私を視認したことを確認してから、私は口を開く。


「翼くんは、松下くんの好きな食べ物知ってる?」

「うっ……」

「こーたーえーてー?」

「っ、が、ァ、……」

「ああ、そうだよね。喉押さえたら答えられないね」

「うっ、げほっ……」


 手を離すとげほげほと彼が咽せた。それを眺める。

 やり過ぎた気がするが、こんなことをしたことがないから加減がよく分からない。


「ねえ、翼くん、……え、そんなに苦しいの?」

「ごほっ……」


 しばらく背中を撫でていると、翼くんの呼吸が落ち着いてきた。彼は喉をおさえて「なんでこんなことを……」と聞いてきた。だから私は鼻をならした。


「『なんで』の前に私の質問に答えてくれる? 松下くんの好きな食べ物を知っている?」

「……あいつは、……そんなに食べること自体好きじゃない、げほっ……しいていえばスープパスタだとよく食べるけど……」

「え、そうなの?」

「は? なんだと思ったんだよ……げほっ」

「え、ごめんね。やりすぎちゃった。痛い?」


 彼は私を見上げて、「はあ?」と言った。


「はあ? と言われても、今このタイミングで私に声をかけた翼くんが悪いよ」

「タイミングって……なんの話だ?」


 どうやら翼くんは犯人ではなさそうだったので私はスマホを取り出して、さっきまで見ていたファンサイトを示した。


「これ見てくれる?」

「なんだこれ……ああ、白翔のファンサイトか」

「もうちょっと慌ててくれない? これ、全部松下くんの写真が載ってるのよ?」

「SNSってそんなもんじゃないのか」

「はあ? なに言ってんのあんた。本気で警察やってんの? 研修からやり直したら?」

「えっ」

「松下くんが自分のSNSで写真をあげるならいいわよ。そりゃ単なる自己顕示欲の塊よ。いいね! いいね! いいね! って言ってやりゃいいわよ! でもこれは違うでしょ! 全部隠し撮り! それがネット上に勝手に公開されているの! こんなのいじめよ! あんた警察で松下くんの身内なのにこれを無視してんの‼ 頭おかしいの! あんた!」


 大声で詰め寄りながら人差し指をその喉仏に思い切り突き立てると「ぐえ」と言って翼くんはベンチに倒れた。なんて弱い刑事だろうか。彼は涙目で私を見上げる。


「そ、そんなこと……白翔は問題ないって言って被害届も出さないから……」

「子どもに過干渉するくせに子どもの面倒ごとはスルーなわけ⁉ さいってー!」

「えっいや、俺はそんなつもりじゃ……その、違うんだ! 白翔はひとりでなんでもやろうとするから俺はその自主性を……でもあいつは体のこともあるから心配で……」

「ばーか!」

「そこまで言うか⁉」


 私のシンプルな罵倒に翼くんは涙声になったが、そんなのは知ったことではない。


「『白翔くん』を守りたいならこれから私に付き合いなさい。この問題、今日中に解決するから」


 過保護な翼くんは私の言葉にすぐ顔を上げた。


「俺はなにをしたらいい?」

「刑事が一般人に指示仰ぐとか、だっさ!」

「うぐっ……」


 とにかく私たちはこの問題、つまり白翔くんストーカー問題に乗り込むことにした。

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