Ⅴ 料理と好意

「あ。かわいいですね」

「こういう服が好きなの?」


 今日の服装は由美さんセレクトの『なんちゃってOL風』だ。トップスは紺色のシアーブラウスで腕が透けて見える。ボトムは白のパンツだ。下着のラインが出るからという理由でTバックの下着まで買う羽目になった。普段の私なら絶対に着ない服だ。ちょっと不満に思いつつエプロンをつける。

 松下くんは首をかしげた。


「可愛いと思いますよ。でも久留木さんはいつもはもっとふわふわした格好していませんか? それもかわいいなって思っていました。膝出してて元気だなあって。このエプロンもかわいいです。ワンピースみたいですね」


 今日持ってきたエプロンはお気に入りのエプロンドレスだ。肩にかけるところと背中でつくるリボンの部分だけフリルのついた黒い生地をつかっている。他の部分は元々ワンピースだった。青地に色とりどりの小さな花が舞っている布がお気に入りでリメイクしたのだ。


「そうよね。かわいいよね、これね」

「はい、すごくかわいいですよ。久留木さんに似合っています」

「……松下くんは優しいのかもしれない」

「優しい人は好きですか?」

「そりゃ好きでしょ、当たり前のこと言わないで」

「……やったー」

「きみが好きとは言ってないから! 豚バラブロック持ってきて!」

「はい、わかりました」


 顔が赤くなっていそうで嫌だった。とにかくカレーを作ろう、と気合を入れる。


「先にライスの準備しようか」

「炊飯器で炊きますか?」

「あ、炊飯器あるなら簡単だね。ターメリックライス作っておいてくれる?」

「わかりました。……、……」


 野菜をまな板の上に並べていたら松下くんが私のエプロンを引っ張ってきた。


「松下くん? どうしたの?」

「ターメリックライス……ですよね?」

「うん、ターメリックライス。カレーだから」

「とりあえず米をといだらいいですか?」

「駄目です」


 松下くんは米の袋を開けることさえ諦めた。


「教えてください」

「うん、わかった」


 同い年の矢田くんに見習ってほしい素直さだ。私は二合の生米の袋を開けて炊飯器に入れる。


「ターメリックライスに限らずだけど、汁ものと合わせるときはお米は洗わない方がいいの」

「どうしてですか?」

「洗っちゃうとお米の中に水が入っちゃうでしょ? そうすると折角の汁を吸い込まなくなっちゃうの。お米が単体で立っちゃうのよ。だからリゾットとか作るときも洗わない方がいいよ」

「……なるほど、でんぷんのα化をさせないと……」

「え? うん? そうなのかな? 気持ち目盛よりも水すくなめにして、ここにターメリックとローリエと……あとなんか入れたいスパイスある?」

「俺が選んでいいんですか?」

「カレーかけるしね。なにいれてもどうにでもなるよ?」


 松下くんは少し考えてからクミンを入れた。カレーでも使うスパイスだから相性は悪くないだろう。米とスパイスを混ぜてからバターを追加し炊飯を開始する。


「これでよし。お米が炊き上がるまでに頑張ってカレーを作ろうね」

「はい。頑張ります。指示してください久留木さん」


 にこりと松下くんは笑った。三分クッキングみたいだなと思いつつ、まずは玉ねぎをみじん切りにしてもらった。


「すごい! みじん切り上手いね!」

「切るのは得意なんです」

「なんかきみが言うと怖いな、それ……」

「そうですか? 外科医になったら怖くないですか?」

「外科医になるの?」

「久留木さんに格好いいって思ってもらえるものになります」

「重すぎるからやめてくれる?」


 フライパンに油をいれ、みじん切りにしたパクチーを加え、匂いが立ってきたらみじん切りにしてもらった玉ねぎを加える。


「久留木さん、大丈夫ですか?」

「飴色玉ねぎは……冷凍してからやるともっと早くできるよ……目痛い……つらい……」

「なるほど。冷凍することで細胞壁を破壊するんですね」

「ん? うん? そうなのかな? 松下くん、豚バラ焼いててもらっていい?」

「分かりました」


 松下くんは指示通り、油におろしにんにくを加えてから豚バラを焼いてくれた。素直でいい子だ。私は飴色になった玉ねぎにトマトをくわえ「ああ、目が痛い」と呟きつつ、水気がなくなるまで炒める。


「久留木さんは作り方を調べないんですね」

「そうだね。テキトーに作ってる」

「それでできるのはすごいですね」

「できないかもよ? 美味しかったときに褒めて」


 買ってきたスパイスを加えてさらに炒めるとカレーのいい匂いがしてきた。松下くんが焼いてくれた豚バラを入れて混ぜてから水を入れる。


「あとは沸騰させて、弱火でコトコト煮込むだけ」

「炒めるときは強火で煮込むときは弱火なんですね」

「え? ……気にしたことなかった。うん、でもそうだね。その方が美味しい」

「本当に手慣れているんですね」

「そうね。両親が料理好きで自然とやるようになって、もう料理は趣味みたいなもんだよ」

「ご両親は料理人なんですか?」

「違う違う。普通のサラリーマンと専業主婦だよ、ただ料理が好きなだけで……、……」


 そこまで話して口をつむぐ。


「どうしました?」

「松下くんって話しやすいね」

「駄目ですか?」

「……警戒心が薄れて困る」

「なんですかそれ……かわいいですね」


 松下くんは頬を赤くして笑った。それが素直な笑顔に見えてしまって『これはまずいな』と思った。うっかり好きになってしまいそうで――しかし私の『予感』は当たるのだ。


「久留木さん」


 松下くんが私のエプロンを引っ張るので「やめて」とその手をはじくと、ひょいと腰を引き寄せられた。あ、と思った時には後ろから抱きしめられてしまっている。

 しかもそれが嫌ではない。悔しい。


「……手慣れているのは松下くんでしょ」

「嫌ですか?」

「うーん……」


 松下くんの腕は私の腰に少し触れるだけだ。痛みはないし怖さもない。私の肩に彼は顎を置いているけれど、ただそれだけで、それ以上触れるつもりがないのが分かる。

 こういう手口の男は結構いる。始めからラブラブカップルみたいなことをしてこちらを勘違いさせるのだ。そしてこっちが嵌ると金銭を要求し始める……そんなことを思いつつ彼の顔を見る。


「きみは悪い男だ」

「そう思われるのは不本意です」

「実際そうでしょ……、金持ちなんて誰かの敵なんだよ……」

「俺は誰かの敵になるような商売はしていませんよ。それに今までこんなことしたことないので……心臓割れそうです……」

「うそでしょ?」


 松下くんの腕の中でくるりと回り、彼の胸に耳を当ててみる。


「うわ! すごい! 象みたい! バクバクしてるね!」

「ちょっと久留木さんっ」

「あははっ可愛いじゃん……あ……」


 見上げると松下くんは顔を真っ赤にしていた。私が離れると彼は両手を挙げて、よろよろと冷蔵庫の前に座り込んでしまった。


「……え、ごめんね?」

「……弄ばれた……」


 そんなつもりはないと抗議をしようとした瞬間に扉が大きな音を立てて開かれた。



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