Ⅲ 警告と警戒


 新品のデート服を着てコンビニの横のベンチに座っていると、コンビニから出てきたおじさんが少しスペースを空けて隣に座ってきた。彼は買ってきたばかりと思われるハイライトに火をつけると、ふ、と息を吐いた。細く煙が空に昇っていく。


「……お嬢さん」


 おじさんがふと口を開いた。


「危ない橋は渡らない方がいいよ」

「え?」

「……危ない男ってのはいるからね」


 おじさんを見ると、やっぱり知らない顔だった。どこにでもいそうな、普通の中年のその男性は「なんてな。それっぽいこと言ってみただけだ」とにこりと笑うと立ち上がり「こういう男に素直に返事しちゃだめだぞ」と言い捨てて去っていった。


「……なんだったんだろ」


 変な人に絡まれたなと考えていたら急に――ぞくり――と寒気が走り、咄嗟に立ち上がる。ちょうどコンビニの駐車場に黒のボルボとグレーのトヨタのミニバンが入ってきたところだった。

 かわいいミニバンに比べると圧倒的にゴツく、一目で高級車とわかるその光沢、絶対に高いモデルのボルボが目の前のスペースに止まる。


「お待たせしました、久留木さん」


 真っ黒な車から松下くんが下りてきた。


「え。髪切ったの?」

「はい。今日のデートに合わせて……似合ってませんか?」

「いや、似合ってるよ」


 松下くんは清潔感のあるツーブロックになっていた。彼は短く刈りあげられた後頭部を触りながら「よかった」と爽やかに笑う。


「思っていたよりも短くされてしまって少し不安だったんですが、久留木さんにそう言ってもらえてうれしいです」

「松下くんは顔面偏差値高いからなんでも似合うと思うよ! 私個人の考えじゃなくてね、一般的に!」

「俺の顔は久留木さんの好みですか?」

「……はー?」

「そんな顔で見ないでくださいよ」


 くすくすと松下くんは笑いながらその右手を私に差し出した。


「なに?」

「手つなぎましょうよ」

「やだ」

「残念。じゃあ車にどうぞ」


 彼は差し出した手で助手席の扉を開いた。


「乗らないって言ったらどうするの?」

「手をつなぎますか?」

「そこが二択になるの? ……車で来ると思わなかったな」

「食料品の買い出しは車がある方が便利でしょう?」


 たしかにそれはそうだ。

 しかしほとんど知らない男の車に乗るのは女としてどうなのだろうか。

 松下くんを見上げると彼は不思議そうに私を見下ろしていた。その顔からは『なんで乗らないのだろう?』という思いが透けて見える。それはそれで、……デート相手に見せていい顔なのだろうか。


「松下くん、やましいこと考えてないの?」

「考えていいなら考えますけど」

「駄目だよ」

「わかってますよ。さすがにそのぐらいの理性はあります。俺は今の地位を失うようなことはしません。そこは信じてください」

「……じゃあ乗ろうかな」

「やったー。助手席にどうぞ」


 松下くんはにこりと笑った。

 私はため息ついてからその車に乗り込む。……今日のことは由美さんにも伝えてあるから、このまま失踪なんてことにはきっとならないだろう。ちゃんと注意していれば殺されるなんてこともない。……などと自分の『予感』に言い訳しつつシートベルトを締める。


「今日のごはん、なにを作りましょうか?」

「本当にキッチン借りたの?」

「ええ。そういう約束だったでしょう? もちろん俺の家でもいいんですよ? 合鍵渡しましょうか?」

「『ヤバい』人だ……」

「冗談です」


 松下くんはクスクスと笑い「どうしてそんなに警戒しています?」と前と同じ質問をした。


「雀士が『ヤバい』と感じたら、そりゃもう『ヤバい』のよ。だからきみは『ヤバい』の」

「今までたくさん言いがかりを受けてきましたけど、それは初めてですよ。久留木さん面白いなあ」

「笑い事じゃないんだよね」


 私が睨んでも彼はクスクスと笑った。


「今日、カレー作りませんか?」

「カレー?」

「スパイス屋さんって行ったことあります?」

「スパイスから作るの?」

「ええ、面白いかなって」


 『スパイスからの本格カレー作り』それは一度やってみたいと思っていたことだ。

 でもすぐに同意するのも悔しくて少し悩んだふりをしてから「行きたい、スパイス屋さん」と返事をする。「決まりですね」と松下くんは笑った。

 彼が車を発進させる。

 離れていくコンビニを見ながら「一週間前のことが嘘みたいに普通に営業してるね」と言うと、松下くんは少し悩むように目を細めてから「……ああ、コンビニですか」と思い出したように言った。


「コンビニは半日もあれば営業を再開するものですよ。フランチャイズ契約は閉めれば閉めるほどオーナーが損をするんです」

「フランチャイズってなに?」

「大きな企業の看板を借りて営業する契約形態です。コンビニだとパッケージごと借りるといいますか……」

「へえ、よくわかんないけどすごいね、さすが実業家」

「実業家と言えば聞こえはいいですが経理も事務もなにもかも自分でやってるので、久留木さんと一緒ですよ」

「ふうん」

「興味ないですね?」

「うん」


 私が頷くと松下くんは「そうだと思った」と笑った。少しも機嫌を悪そうにしない。それどころか「かわいいですね、久留木さん」なんて言いだす。


「なにが?」

「なにってなんですか?」

「私はかわいくないでしょう。変なこと言わないで」

「かわいいですよ。本当に、かわいい」


 そんな軽口を叩く顔を見ると、耳まで赤くしていた。


「……なんなの? 事故りたいの?」

「安心してください。俺、運転好きなんでダイナミックに入店はしませんよ」

「……なら、いいけど」


 つられて自分の顔が赤くなっているような気がして、少し悔しかった。

 窓に肘をつけて熱い頬をおさえ窓の外を見る。流れていく景色を見ながら『こんなにちゃんとかわいいって言われたのは初めてだな』と思った。

 高校生の時に付き合っていた人がいた。同級生の彼は優しい人だったけれど口下手で、いつもこちらが気を使って話していた。告白してきたのは彼だったのにと思いながら付き合っていた。私が大学に進学しないと決めたときに初めて彼から話し始めてくれた。別れ話だった。最初で最後の、彼が主体の会話だった。以来、私は『付き合う』という行為をしていない。付き合っているのかな、となることはあるが、お互いに飽きて自然消滅、そんなことの繰り返しだ。

 ちらりと運転席を見る。彼は私の視線に気が付くとこちらを見てにこりと笑った。


「運転中によそ見しないの」

「ふふ、ごめんなさい」

「笑い事じゃないよ」


 こんな風になにも考えないでデートに来るなんて初めてだ。そもそもエスコートされるなんて初めてだ。

 私の人生は薄暗い青春だったんだなと思いながら、少しも気を遣わずに「今日いい天気だね」「ええ、少しずつ春が来ていますね。そういえば第一回ニャン動画雀王おめでとうございます」「なんで知ってるの?」とポツポツと会話をしながら短いドライブを楽しんだ。

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