Ⅲ 母の説教



「……東京都文京区本郷一丁目のコンビニエンスストアに……」


 昨日の事件を報じるニュースを見ながら私はチーズトーストを食べる。

 あのあと交番で事情聴取を受けている間に夜が明けてしまい、結局トマト缶も買い損ねたのだ。あんな思いまでしたのに目的を達成できなかったことには少しげんなりした。母に「あんたまた夜中にパンなんか作って……そんなことできるならパン屋でバイトしなさいよ、麻雀なんてやめて……」と説教されながらパンを頬張る。

 ケチャップの代わりにはちみつをかけたチーズトーストにしたのだが、これはこれで美味しい。


「これ、あそこのコンビニじゃない。事故? 怖いねえ、こんな近くで……」

「私このときコンビニいたよ」

「えっ! なにしているの!」

「ケチャップなかったから」

「あ、そういえばそうだったわ。買わないと……そんなことどうでもいいのよ! 怪我したの⁉」

「したけどたいしたことない」

「見せなさい!」

「えっ」


 あの場で『彼に』治療された足はその後腫れることもなく、今はただの擦り傷になっていた。母はガーゼを捲ってその傷を見ると安心したように息を吐く。


「これなら痕も残らなそうね……もう、だから雀士なんていやなのよー」

「今関係ある、それ……?」

「普通に朝起きて! 仕事して! 夕飯には帰ってきて! 夜は寝る! 普通に! どうしてそういう生活ができないの! 雀士だったとしてもそのくらいしなさい!」

「そういう普通の生活している人が息抜きで来るところが雀荘だから無理じゃないかなあ……」

「あんたこれ病院ちゃんと行ったんでしょうね? テキトーに自分でやったんじゃないわよね?」

「これはたまたまコンビニに居た人が……あ」


 そこまで言ってから『ミスった』と気が付いた。話の方向転換をしようとしたが、すでに母の目がつりあがっていた。


「あんたそれちゃんとお礼言ったんでしょうね⁉」

「……いや、いらないでしょ。なんか気持ち悪い感じの人だったし」

「あんた‼」


 この後『彼に』お礼を言っていないことと三万円渡されたことを暴露するまで母の追及は続き、お礼をしに行くことを約束するまで母の説教が続き、渡された名刺の電話番号に連絡を入れるまでリビングから退室することはできなかった。

 なので私は渋々昨日渡された名刺を取り出した。


 ――松下 白翔 株式会社バスタルド


 あとは電話番号だけ書かれたシンプルな名刺だ。ひっくり返すと同じ内容が英字で表記されている。Akito Matsushita……、白翔と書いてあきとと読むらしい。こじゃれた名前だなと思いながらそこに書かれた携帯番号に電話をかけると三コール目で『もしもし、松下です』と彼が電話に出た。


「えーっと昨日……そのー名刺を受け取ったんだけど……」

『お名前を伺ってもよろしいでしょうか?』

「昨日私は名乗ってないから、きみ、私の名前知らないでしょ」


 と言ったところで母に脇腹をつつかれ「屁理屈ごねないでさっさと名乗りな!」と怒鳴られた。渋々「久留木です」と名乗ると電話の向こう側で『くるき……?』と彼が呟いた。


『どういったご用件でしょうか?』


 私だって別にかけたくてかけているわけじゃない。なんだかむかむかしてきた。


「昨日のお礼に?」


 と言ったら母に脇腹をつねられた。イッタ、と声を出してしまうぐらい痛かった。


『お礼? なんのことか分かりませんがお気になさらず』

「というよりお金返したいからどこにいるか教えてもらっていい? なんで住所書いてないのよ、この名刺」


 私の言葉に電話の向こうで彼が『あっ』と急に思い出したような声を上げた。


『昨日のお姉さんでしたか。ごめんなさい、すぐに思い出せず……ちゃんと病院には行かれましたか?』

「え? 行ってないけど……」

『それは良くないですね。足は動きますか?』

「ただのかすり傷だし、こんなの」

『お金を返したいということはこちらに来ていただけるんでしょうか?』


 矢継ぎ早に来る質問につい「行くつもりだけど」と返すと、彼が『それは嬉しいです。またお会いできるんですね』と心底嬉しそうな声が返ってきた。寒気が走った。


『東大前に来ていただけますでしょうか。駅まで来ていただければお迎えに参ります』

「東大前……? 南北線?」


 くすくすと彼が笑う。


『ええ、改札出たところで待ち合わせしましょう』


 流されるままにそんなことになってしまった。


「……ちょっと出かける。そのまま打ってくるから……」

「あんたの勤め先、木曜は休みでしょ! どこ行くの!」

「他の雀荘だよ! 雀荘なんていくらだってあるの!」

「この駄目人間! ちゃんとお礼言うのよ⁉」

「分かったってば……駄目人間ってひどくない?」

「あ。それでその人、イケメンなの?」

「へ? ……顔なんか覚えてない」

「あんたね!」

「いってきます!」


 第二次戦争が起きる前に私はコート片手に家を飛び出した。

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