第拾呉幕 あさきゆめみし〈三〉

「どうやら、最悪の結論は免れたみたいだね」

 ユキの言葉に顔を上げた。そこは市内の過疎地域だった。周りには見渡す限り田んぼしかない。そんな中、ぽつんと建つアパートの裏手に、これまたぽつんとひとつだけ祠が建っていた。簡素な鳥居をユキはじいっと見てからうん、と言った。


「やっぱり報告されてないな」

「許可を得てないと」

「うん。さ、もう少し近づいてみようか」

 砂利が擦れる音が響く。祠からは異質な空気が漂っていた。息をするのさえも重いような、苦しい空気だ。足を止めてしまいたいとさえ思う。それほどに異様だった。招くような雰囲気さえも感じる。


「あんたら! 何してんだい!」

 いざ鳥居をくぐろうとしたした瞬間、大きな声と共に身体を後ろに向かって引かれた。

「あ、あの」

「あんたらここらのもんじゃないだろ! あれは近づいちゃダメなんだよ! ちょっとは分からないのかい!?」

 農作業中だった様子のおばあちゃんに引っ張られ、二人は祠の前の道から退かされた。ユキは泥の着いたコートを軽く払う。

「何やってんだよ。あれがただの祠じゃないくらいわかるだろ!?」

「これはこれは! 大変失礼しました。しかしお停めいただいたのに申し訳ない。実は私たちはあの社に用がありまして。良かったら通していただけませんか? ええと」


 ユキは胡散臭い笑みと口調でそう言いながらコートのポケットをパンパンと叩く。それを何度か、全身のポケットで繰り返してから困ったように笑った。


「いやはや、申し訳ない。あいにく名刺を忘れてきてしまったようです。私は実は調査委員のものでして。疑わしければお電話いただいても構いませんよ」

「調査委員……?」

「ええ。実はここに申請のされていない神社が建設されたと伺いまして東京から来たのです。奥さん、なにかご存知じゃありませんか?」


 詐欺師が、という視線で見ると彼女は黙ってろと合図を送ってきた。恐らくお前だって同じような手段使ってるだろう、と言いたいのだろう。身分を偽ったことは一度もないと抗議したい。

 少し考えれば違和感に気が付きそうなものの、女性はチッ、と小さく舌打ちを漏らした。

「あのバカ、やっぱり申請してなかったのかい」

「と、おっしゃいますと?」

「どうも何もないよ。ただ最近ここいらで良くないことが立て続けに起こるから社を作ることになったんだ。あたしゃ反対だったんだけどね。区長が夢を見たって言って聞かなくてね。あのバカ、自分が届け出も出してやるっつってるのになんもちゃんとやってないじゃないか」

「夢、ですか?」

「そうだよ。なんでも神社みたいな場所でたくさんの腕のある異形の男から言われたとか言っててね。ふん。本当はどうなんだか。できたのはこんな簡素な社だし……とにかくあんたらもさっさと帰った方がいいよ。ここの社はなんか変なんだ。こんな神も仏もない世の中にできた社だからかね」


 そう言いながら彼女は自転車に乗って行ってしまった。数秒、目の前の魔女は社を睨みつけていたがこちらを振り返る。

「……私達も車に戻ろう」

「はい」

 ユキはしばらく黙っていた。煙草を吸っても良いか尋ねられたので頷く。彼女は箱から取りだした煙草に火をつけた。それからゆっくりと煙を吸い、吐き出す。

「多分これ以上ここを調べても無駄だ……というより調べることはできなさそうだ」

「と言いますと」

「邪魔が入ったのはなにも偶然じゃないってことだよ。あの社、私が怖いんだ。だから人を誘き寄せて邪魔を入れさせた。あれは私が……私の中にある獄幻家の執念が怖いんだろうね。気持ちはわかるよ。同情にはとても値しないけども」


 車の中に紫煙がみちる。しばらくは黙っていた。ユキの吸っている煙草からは透き通った華やかな香りがする。恐らくは煙草では無いのだろう。


「これでも私は君の家の都合にはそれなりに詳しいと思うんだ」

 不意に彼女はそんなことを言った。

「君の父にも祖父にも良くしてもらった。何より君の家がそんなことになっているのは少なからず私の……あるいは私が引き継いだもののせいだ。よく、理解しているよ」

 顔は見えない。窓から乗り出して煙草の煙を吐く彼女の声は淡々としていて意図や感情を読み取るのは酷く難しかった。確かにアシヤの家の都合に少なからず獄幻という家は関わってくる。それは切っても切れぬ縁だから、それを責めたてた記憶はない。


「アシヤ。平坂 澪を助けたいかい?」

「無論」

 彼女は手を引かれるべき子供だ。その結論にも決断にも、アシヤは躊躇わない。ユキは静かに煙草を灰皿に押付けた。その瞳が、淀んだ黒い瞳がアシヤを見上げる。

「では、例えそれが君のこれまでの生き方を否定することになったとしても、君はそうすると言えるかい」


*****


 息を殺す。床をきしませながらそれは、何度も澪が隠れている部屋の前を往復していた。

 ……分かってるのだ。澪がここにいることを。

 だから澪は息をぐっと殺して耐える。


 不意にしゃん、と鈴の音が鳴った。

 その音は目の前の社を霧散させるのに十分だった。重たい瞼を開けて周囲を見渡す。そこはあの社ではなかったが、見慣れた――そして出来たらそこではない場所であって欲しいと思っていた、占い屋アシヤのテナント内だった。

「やあ、久しぶり。調子はどうかな」

 枕元にたっていたのはユキだった。後ろでは覚悟を決めたような表情のアシヤが立っている。

「……ユキさん」

「普段から変なものには気をつけろと言われてるはずだろ。お参りなんてするから体調が悪くなるんだよ。最も、あの社は君を招いたんだろうから抵抗したところで無駄だったと思うけれどね」

 身体が重い。意識を保つので精一杯だ。返事をしようとした澪にユキが首を振る。

「今私の術で君の意識をこちら側に固定している。でもこれは長くは持たない。これについては君自身がよく分かってるだろう。とはいえこれから君を助けるためにする作戦はただ君が待ってるだけじゃあダメなんだ。という訳で手短に説明するよ」

 今にも汚泥に引き込まれそうになっている意識が細い細い蜘蛛の糸で繋ぎ止められているのは確かだった。それは所詮は蜘蛛の糸にすぎず、澪を介して上がってこようとするなにかのせいで今にも途切れそうに軋んでいる。

「まず前提として、君がいるのは夢の中の社、夢の中の世界だ。最も一般的な夢じゃあない。君がいるのか神の手のひらの上、他者が介入することのできない秘密の地獄だ。一般的な常識としてね。例えばほら、君の夢の中に本物のアシヤは出てこないでしょう?」

 小さく頷く。

「でもそこで私の出番だ。私の手にかかればアシヤを君の夢の中に送るの……より正確に言うと同じ夢を見せるのも難しくない。でも同じ夢を見てるからと言って同じ場所に君たちが出力される可能性は限りなく低い。君たちは自力で互いの手を掴まなければいけない。そうでなければ」

 彼女は一度口をとざす。それは彼女なりの思いやりであることに間違いはなかった。数秒の逡巡の末、彼女はいつも通りまっすぐに、無慈悲な現実を口にすることにしたらしい。


「……そうでなければ、君は死ぬことになる。だからそうならないためにアシヤから大切なものを貰いなさい。大丈夫。君たちはもう比翼の鳥、連理の枝に均しいのだから」


 ユキとアシヤが場所を後退する。彼の声は脳裏に溶け落ちていく。もっと詳しく聞きたいのに声がぼやけてよく聞こえない。アシヤの冷たい手が澪の手を握りしめた。


「大丈夫。恐れる必要はありませんよ、お嬢さん……だからどうか、約束を守ってくださいね」

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