第拾肆幕 受動的百物語
「アシヤー、おはよう!」
「……朝からお元気ですね」
店の骨董品の置かれた棚の奥、ソファの上で午睡を嗜んでいたアシヤは澪の声に起こされたようだった。はだけていた着流しの襟元を正しながら起き上がる。
「ねえねえ、聞いてよアシヤ。実は困ってることがあるんだ……ちょっと前から窓をノックする音に悩まされててさあ……」
「ノック、ですか? お住まいは……マンション、でしたっけ。何階のお部屋に住んでいらっしゃるので?」
「五階だよ。叔父さんと叔母さんが下の方の階に女の子が住んでて何かあったらって心配して……だから五階にしたんだ」
「ああ」
世間では隣の建物から飛び移ってくる不審者などがいると聞く。確かにそういった存在から一人の少女を守るのであれば少しでもリスクの低そうな部屋を借りるよう助言するかもしれない。そこを踏まてアシヤは助言をすることにした。
「不審者では?」
「人の心ないの? 今の話なんも聞いてなかったでしょ。私の住んでるマンションは周りはクソデカパーキングエリアなんだよ。あとついでに言うと私の部屋が一番上だし」
アシヤはその言葉にひっくり返った。思わず澪はドン引きをする。なんでそのままなんの予備動作もなくひっくり返れるんだよ、お前はよ。
「またお金持ちアピールを!!」
「っるさい! 別にお金持ちじゃないよ! むしろ田舎の寂れたアパートの最上階に住んでる金持ちの例を挙げてくれよ!」
「それもそうでした」
「予備動作なく立ち上がるのやめてくれない?」
怪異とかうんぬんの前に結構アシヤの挙動が怖い。なんですってーんってひっくり返れてすくって立ち直れるんだろう。怖い。
「それにさ……怖いことがある時ってなんていうの? なんとなぁく、分かるじゃん」
仕方なく起き始めた電気ポットから急須にお茶を注ぐアシヤは何も言わなかった。なのでそのまま続ける。
「これから嫌なことがある。ていうかこれ絶対振り向いちゃダメなやつだ――みたいな、本能的なさあ」
「ええ、分かりますよ」
「なんていうか、そういう感じなの。振り向いたらダメだって分かるから音が止むまで待ってるんだ」
「一応聞いておきますが、虫ではなくて?」
「虫って同じところにずっと当たる? 何日も連続で?」
「有り得ませんな」
湯のみに緑茶をいれ、二人は机で向かい合った。どうやら真剣に聞いくれるつもりになったらしい。
「……まあ、怖い話聞いたばっかりだから思い違いなのかなあ」
「ん? 怖い話……ですか?」
「そう。アシヤは『もっちり解説』って知ってる?」
「なんですか、それは」
「まあ、ザックリいうと人工音声での読み上げ動画だよ」
画面にはふたつのもちもちがいて、それが何やら自慢げに豆知識を披露している。結構聞かせる文章なのがにくく、気がつけばまるっと一本見てしまった。
「ふうん、面白いですねえ。政治経済……ゲームやアニメの考察に、掲示板のまとめまで」
「そうなの。結構面白くってさ。何より次から次に関連したのが出てくるから……つい、一晩中見ちゃって……怖い話」
「は?」
「ざっと九十本くらい見ちゃった……」
「な、何やってるんですか、お嬢さん!?」
あ、やっぱりまずいんだ。とはいえわかってたと言えば怒られそうなので澪はてへっ、と可愛こぶって誤魔化すことにした。
「いや、誤魔化せてないですからね」
さて、世の中には百物語というものがある。
ロウソクを準備して怖い話をひとつずつしていき百話した時になにか怖いことが起こる――という一種の肝試しだ。
「動画で百個聞くのでもダメなの?」
「ええ。いや、というか百物語で怖い目にあうのは語り手話し手を含む参加者です。この定義に乗っ取るのであれば、動画投稿を百話してそれを全部通してみた人は百物語に参加してる……と、いえなくもないのですよ」
「はえー。じゃあ話してないけど聞いてるだけで百物語が成立するんだ」
「ええ。ロウソクを消すのもさして大切ではありません。あれは怖い話をすると『そういったもの』が近づいてくるといった性質を利用してより恐ろしいものを呼び出すための……一種の儀式なのですから」
扇子をぱっと開き口元を隠す。だがそれでも隠しきれない笑みが見え隠れしている。
「いや、しかし。本当に面白いことばかりしてくれますね。確かにお嬢さんに言われるまでその可能性に行き着くことはありませんでした。確かに話者である必要は無いのですよ。ただ百の怪談をすればいいのですから。しかしこれまでそんな受動的な百物語の成立例なんて……んふふふ」
「笑うなよ」
「これは失礼しました。さて、では気持ちを切り替えて怪奇現象の方をどうにかすることに致しましょう」
ちらりとアシヤの瞳が澪の後ろの店の入口の方へ一瞬投げかけられた。気になってそちらを向こうとするとあれは満面の笑みを浮かべる。
「ああ、そちらを見るのはやめておいた方がよろしいかと。何、怖い思いはしたくないでしょう?」
「……何がいるの」
「いえ、なにも」
アシヤはまだ笑っていた。あからさまに嘘だな、と思ったがあいにく見て大惨事を起こすほど澪は怪奇現象のビギナーでは無いのだ。怪奇現象なら任せておけ。ホラー映画案件でもこの直感が生きるかは分からないけど。
「普通、百物語というのは時間を開ければ開けるほど寄ってきたはずの怪異が散っていくものです。そうしないと百日かけて一話ずつ話した時に百物語が成立してしまうでしょう?」
「確かに」
「ですがそこはお嬢さんのスーパーパワー。まあ、九十本も一気に見たせいもあるのでしょうが……残念ながら既に自然消滅でどうにかなるような餌ではなくなったようです」
スーパーパワーとか言うな。
……普通の人なら起こらない事態って意味なのかな、もしかして。澪は眉を寄せる。その可能性は……確かに普通に有り得た。
「では百物語で寄ってきてしまったものをどうするか、ということですが……そうですね。まず一つ目の案と致しましては百物語を完成させて寄ってきた所を一網打尽にする、というパターンですね。小生が得意なのはこれです。力とはパワー」
「IQが『さん』くらいの発想力」
「次となりますと……お清めをするパターンですかね。とはいお嬢さんの場合、それはあんまり効果がない気がします」
確かに。それで効果があるなら神社出禁タイトルホルダーになんてならない気がする。そうなるとそれはダメか。
「あとは……そういったものが苦手なことを考える、というのでしょうか」
「……ずいぶん抽象的だね。例えばお清めの塩とか?」
「いえ。あれは天敵であって苦手なものではありませぬ。あまり小生の口か言うのははばかられるのですが……察してくれませんか?」
「……?」
首を傾げる。察してってなんだよ。
「ですからあ……性的なことを考えると陽の気に当てられて怪異は去っていくのですよ」
「…………変態!」
「言いたくないって言ったでしょう! 私は!」
抗議のうめき声を上げながら全身をのけぞらせるアシヤはちょっと怖かった。怪異よりもちょっと……いや結構怖かった。
「んんッ」
閑話休題
アシヤは照れ隠しのように無理やり咳払いをした。
「とにかく、百物語を完成させてしまいましょう。もうなんでもいいです。それが手っ取り早い気がしてきました」
「……ヤケにならないでよ」
「なってませんよ! ていうか、貴女が……なんでもないです」
アシヤの顔は真っ赤だ。ちょっと悪いことをしたような気になったが花の女子高生にそんなことを言ったアシヤのが悪い。多分ね。
「で、動画は何本見たのですか?」
「朗報だよ。私、一晩で九十九本も見てる」
「アホの極みではありませんか……しかし手間ははぶけましたね」
「え?」
アシヤは静かに笑みを浮かべた。しとやかで美しい、青い柳のような笑みで彼は笑う。
「百物語ではお決まりの話です。種明かしこそが百個目の怖い話なのですよ」
ぞわりと身の毛がよだつような感覚がした。それが先か、或いはそうでないのが先か。全ては曖昧で定かでは無い。少なくとも澪が何かをするよりも先に、認知したりするよりもずっと前に、アシヤは御札を高速で貼り付けて扉を閉めた。
「はい、終わりです」
「早」
「これでも霊障が続くようなら早く言ってください。また別の対応をいたしましょう。ああ、それと」
カップラーメンよりも早い対応をしたアシヤは扇子を開いた。
「現代では百物語も非常にインスタントなのですから、怖い話には注意するのですよ。特にお嬢さん」
「……はい」
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