第拾参幕 梔子

 今日も今日とて、占い屋アシヤは大繁盛だった。完。

 ……となればいいのだが、人生はそう簡単に行かないものだ。暇を潰すためにペラペラと捲る週刊誌の音が事務所内に響く。アシヤはポリポリとかりん糖を貪り、澪は少年漫画の劇的な展開に手に汗を握っていた。閑古鳥の大合唱状態でも二人は気にせずに暇を潰していた。

 まあ、占い屋では良くあることだけど。

 そんな長閑な暇潰しの空気を壊すようにトントンとノックの音が響いた。アシヤはしぶしぶかりん糖を遠ざけ体を起こす。


「はい、どうぞ」

 声に応じるように引き戸が動く。現れたのはどこか窶れて陰気臭い女性だった。服はくたびれており、髪や肌にも手入れがされていない。どう見ても焦燥したその女性は変わらずか細い声を発した。

「……あの……占い屋アシヤというのはこの店でしょうか」

「ええ。御用件をお伺いしても?」

「あ……その……」

 彼女は一瞬、目を伏せた。躊躇いとも取れるその表情を横目に澪はやかんを火にかける。

「……庭の先に、梔子の花が咲いたので……お伺いしたく……」

「なるほど」

 どう考えても迷い込んだ案件だった。だがもう既にやかんを火にかけてしまった。はて、アシヤは熱いお茶を一緒に飲んでくれるだろうか。


「ようこそ。当店こそが紛うことなき占い屋アシヤです。どうぞ、奥まで。お嬢さん、緑茶を三つ程」


 珍しい判断に首を傾げる。だが他ならぬ専門家のアシヤの判断に異論はない。澪は黙ってお茶を机の上に差し出した。

「――さて、梔子の花が咲いたからと仰いましたが、なぜそれで当店をお探しに? 普通に考えたら種が落ちただとかそういう可能性もあるでしょうに」

「わ、たしは」

「ああ、みなまで言う必要はありませんよ。何、ここに来たということはそういう類のものでありませぬ。例えばほら、抜いても抜いても生えてくる梔子とか……ねえ?」

 女性は小さく震えた。やけにさっきから怯えた様子なのが気になる。だが声をかけるよりも前にアシヤが手を叩いた。

「ところでお名前は? 苗字だけで構いませんよ」

「あ……私……私は……しおりと、申します」

「ではしおりさん。小生らも出かけるのがいささか面倒でして……ここはひとつ、料金を割引きますので占いで解決するというのはどうでしょうか」

「おい」

 アシヤを引っ張って裏に連れていくと同時にみぞおちにボディーブローをぶち込んだ。澪はちっちゃい頃に従兄弟からボクシングを習ったことがある。軟弱な術師はうめき声一つ上げられずに沈んで行った。KOだ。


「痛いではありませんか!」

「招き入れておいて真面目に対応しないの?!」

「いやまあ、暇潰しですし……それにお忘れのようですが小生の占いの腕はピカイチですよ。それはもう、土御門に負けない程度には」

「……まあ、確かに?」


 澪の同意を得られたアシヤは無事、永遠に廊下に蹲るような情けない事態を回避したのだった。二人は依頼人であるシオリの前に戻る。

「ではなにで占いましょうか。小生はこう見えても日本古来の占いの方法であれば百発百中の腕前を持ちますゆえ。そうですな……例えば茶葉占いなどどうでしょうか」

「今日のお茶はそういうタイプの茶じゃねえけどな。読めるほどなにか残らないよ」

「或いは亀の甲羅を炙りその砕けた割れ目で占う昔馴染みのやり方など」

「動物愛護団体さん、こっちです。こいつがあれです」

「頭蓋骨がお望みの場合は別途追加料金がかかります」

「お巡りさん。こっちです。こいつが犯人です」

「そうそう、星読みなどいかがでしょうか」

「日本古来かなあ……」

「タロットカードでも構いませんよ」

「とうとう横文字が出てきたけど!? ねえ、アシヤ! 真面目にやってる!?」

 揺さぶられながらアシヤははははと笑った。そもそも占いという技術自体が大陸由来である。残念ながら日本古来の占い方法など盟神探湯くらいじゃないだろうか。もっとも、その盟神探湯にも起源がありそうだが。何はともあれ、細かいことは言ってはいけないのだよ、君。


「まあ、そうは言えども馴染みのやり方の方が良いのは間違いではありませぬ。どれ、最も馴染み深いやり方でやりましょうか」

 机にそれらしい道具が並ぶことはついぞ無かった。アシヤは静かに目を細める。

「ああ、なるほど。そういう訳ですか」

「あの!!」


 シオリが突然立ち上がる。彼女の枝のように痩せほそった腕が僅かに震えていた。彼女は先程の叫びとは裏腹に波の寄せるような僅かな声を絞り出した。

「……もう帰ります。この後の予定があるので」

「おやおや、そんな寂しいことは仰らないでください。小生らはなにも貴女を害したい訳ではないのですから。篠崎 シオリさん」

「どうして……」

「今日のこの後の予定などありません。かつてはあったかもしれませんが今はない、そうでしょう?」

 扇子がパラリとひらかれる。

 占いとはどういうものなのか、よく知らないけれどアシヤのしてるそれがなんていうのか、ズルみたいなものだということは分かる。手段も法則も無視してアシヤは結果を手繰り寄せているのだ。


「わ、わた、私は」

「何を恐れる必要があるのですか? 彼は未だに貴女からの約束を健気に守っているのですよ。そしてそのことを貴女に伝えようとしている。だと言うのに肝心の貴女がそんな風に怯えて戸惑っているなんて……」

「やめてください……貴方に何が分かるんですか! 初対面の貴方に……何が……」

 啜り泣きながらシオリは静かに崩れていく。それをつまらないものを見るようにアシヤは見下ろして、そして。


「貴女は死体を庭の隅に埋めたのでしょう?」


 ……死体。

 澪はギョッとしてシオリを見た。彼女はヒステリックに否定することさえなかった。


 死人に梔子……死人に口無しとはよく言ったものだ。

 死者は雄弁に語る術を持たない。事実の痕跡だけが死者の体には蓄積している。亡骸と言えるそれは、言うなれば小さな現実の結晶だ。人生の果てに残るのは骸ひとつなのだから、当然それこそが生命の存在証明に他ならない。……なんて言葉遊びはさておき。


 シオリの夫は酷い男だった。シオリのことを本気で愛していたが、おおよそ生命活動や文明を営むような生活をするのに向いていない性格だった。生活費の全てはパチンコに溶かし、シオリに金を借りていた。最初は良かった。彼女も彼を愛していたから。だが、そんなものは長続きしない。近くにいればいるほど欠点はより顕著に、より鮮明に映るようになる。


 だからある日殺してしまった。耐えがたかった。人は苦痛にずっと耐えられるようにはできていない。とはいえそのような短絡的な解決手段に手を出したのはシオリの弱さに起因していると言えるだろう。たとえそれ以外に選択肢がなかったとしても、それだけはとるべき選択肢ではなかったのに。

 旦那の遺体を前にして気が弱かった彼女は困った。心底困った。心底から困り果てて、そして。


「貴女は旦那の遺体を庭の隅に埋めました」


 重労働だったそれをこなした後にシオリの胸に押し寄せたのは罪悪感ではなくもうあの男に何もかもを奪われなくて済む、という感嘆だった。

 ……さて、そんな神様の目を隠して得た幸福は当然長引かなかった。ある日、シオリは気がついてしまった。庭の隅に、あの男の遺体を埋めた場所から、梔子の花が花弁を綻ばせていることに。

「……抜いても抜いても梔子の花が無くなることはありませんでした。むしろ益々堂々と。益々美しく。梔子は咲くのです。それが怖くなりました……だって、まるで……黙って私を観察するあの人に見えたのですもの」

 泣き笑いのような顔で彼女はそう締めくくった。

 沈黙が支配する。その沈黙を破るように引き戸が引かれた。


「……篠崎シオリさんはこちらにいますか」

 現れたのはユキだった。彼女は懐から警察手帳のようなものを取り出す。

「公安に所属しています獄幻 ユキと申します。篠崎イクトさん殺害事件および死体遺棄事件についてお話があります……近くの警察署までご同行いただけないでしょうか」

 彼女は顔を上げて、希望を見つけたような表情を一瞬してから立ち上がった。彼女は静かに歩いていく。それからこちらを振り向いて頭を深々と下げた。

「……お世話に、なりました」

 ユキがちらりと手を振り扉が締まる。


 ……彼女にとっては前科が着くよりもずっと、旦那の梔子の呪いから逃げる方が良かったのだろう。

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