第拾弍幕 笑う門には福来る〈下〉
それは震えて掠れた声だった。死体の神の見下ろす前で澪は抗議の声を上げる。見るはずでないにもかかわらず呼び寄せた惨事を前に、己の手で舞台の幕を引くことを選んだ。それはかつて彼がしてくれたことで、今は澪がすべきことだった。
「私は、代わらない」
「なぜ!!」
絶叫とも変わらない声だった。まるで自分の苦痛が肩代わりされるのだと信じているかのような叫び声だった。いや、事実そうなのだろう。以前の澪ならばきっとアシヤに頼んでいた。なにか方法は無いのかと。だけど……ああ、だけだ。
「あなた方はご自身の立場がお分かりでないのですか!?」
「立場がわかってないのは、貴方達でしょう」
凛とした声に彼らはたじろいだ。そのまま自分を守るように抱える人に目を向ける。澄んだビー玉のような瞳の中で何重にも僅かな光が反射していた。
「アシヤ、ひとつ訊いてもいい?」
「ええ、勿論ですとも、お嬢さん。最も、その質問の答えは是であると思いますが、それでも、この場において明文化する必要があるならば是非に」
「なら……私がもしも、助けてって……傷つけられて、怖くて、苦しいから、この村を呪ってくれって言ったら、アシヤは呪ってくれる?」
「是非。お嬢さんの意のまま、この地にある全ての命を荼毘に伏しましょう」
間髪入れない、躊躇いのない肯定だった。すっと胸が軽くなるような、或いは背中を押されるような、そんな感覚になった。彼は味方だ。少なくともアシヤは絶対的に味方なのだ。なら、その期待に答えるだけの義務が澪にはある。
「……ありがとう、アシヤ」
「いえ」
「……ほらね、わかった? 私たちにはもう、覚悟も準備もできてるんだよ。いつだって私達はこの世界も村も終わらせることができる。より凄惨で、より残酷な終わらせ方をする事ができる。私もアシヤも、二人で一人なら魔に堕ちるのなんて全然怖くない」
でも。
澪の声は講堂を震わせる。
「私はそうするつもりはない。私は、あなた達のために一生仕えるような義務もないし死にたくもない。それに私は、アシヤを貴方達の為なんかに落としたくない。だから私はそんなことはしない。滅ぼさない。でも身代わりにもならない。私達はただ連れてこられて巻き込まれただけ。死ぬのは」
あの顔を思い出して顔を歪める。軽蔑感を隠すことはなく、心底から侮蔑してると伝わるように。それが僅かに残った慈悲の心ってものなのかもしれない。知らないけど。
「死ぬのは貴方達だけでよろしい。それが、貴方達の因果応報な結末ってモノじゃない?」
神はそれに異論を唱えなかった。沙汰は降り、舞台の幕は落とされた。後に残るのは緩やかな絶望だけだ。
「惨めに死ねとは言わないし、苦しめとも言わない。でも、貴方達がすっぱりと終わったり都合良く終わるのは許さない。それが私の下した結論。残念だね。嘘をつかなければ助けてもらえたかもしれないのに」
「……そんな……この惨状が目に見えないのですか?」
「見えるよ」
「そのうえで我らが可哀想でないと?」
「そうだね。可哀想じゃないかな。だってこうなったのも全部貴方達の責任だ。今更それを肩代わりしろだなんて都合が良すぎるよ。でも良かったんじゃない?」
彼らはどうなるのだろうか。
大地に捧げられた死体の群れと村人とは最早区別がつかない。彼らは一様に一心に祈っている。それだけが救いだと知ってるからなのか、或いは自分だけでも助かりたいと思ってるからなのか。多分、答えは。
「……神に祈るだけの時間ならあるんだから」
アシヤはしずしずと歩き出した。村人達の手がアシヤに触れることは無い。澪に触れることもない。己の降した決断に自信はある。だが覚悟はないのかもしれない。凄惨な光景を目に焼き付けようとした途端に顔を抑えられた。
「見なくていいですよ」
「…………うん」
しばらくして、やがて熱気さえも遠のいた頃。澪は助手席に下ろされる。遠くに見えるあの講堂は何の変哲もないように見えた。まるで熱に魘された時に見た夢のようだ。地に足がつかないのに、未だ瞼の裏にこびり付いて離れない。
「……少し暗いですが出ましょう。あれの気が変わって追いかけられてきては溜まりませんからね」
「………………うん」
エンジンの音が聞こえる。遠くでまだ助けてと呻く声が聞こえるような気がする。ぼんやりと薄暗い村の中で考える。この惨状は既に初めから手遅れだったとアシヤは言った。
だけれど。
初めから例えば詰んでいたとして、その崩壊を早めた人間がいたのではないだろうか。本当ならば緩やかに失墜するはずだったのに、誰かがこの急速な滅びを招いたのではないだろうか。崩れるとわかっていながらジェンガのピースを抜き取るようなギャンブラーがいるように、誰かがこの崩壊を堰き止めていた最後のピースを抜いたのではないだろうか。そしてそれは、きっと。
遠ざかる村の気配を前にぎゅっと目を瞑る。まるで冷水に浸かってるように指先が冷たくなっている。息が軽く、鼓動も早く、まるで命の価値が零になってしまったみたいだ。こんなに極端に軽くて、極端に柔らかくて、そしてこの決断ができたことが怖い。だってこれじゃあ、まるで責任転嫁だ。誰がこの自分に、こんな自分に、これが起きたのは澪のせいでないと、崩壊を断絶したのは澪ではないと、そんなふうに言えるのだろう。
ふと、手が握られた。
「……貴女は何も悪くないですよ。お嬢さん。貴女の因果は貴女だけのせいではないのですから」
「………ありがとう」
口を噤む。
そうなのかな、なんて、思っても口には出せなかった。
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