第拾弍幕 笑う門には福来る〈中〉
祭壇の向こうに眠る澪を抱えたまま飛び込んだ。
「いだあ!!」
「おやずいぶん余裕のお目覚めですね、お嬢さん」
「……おはよう、アシヤ。なにこれ」
「さあ、私もちんぷんかんぷんでございます。が、お嬢さん。何があっても小生から離れないでくださいね」
講堂は地獄の有様だった。座り込んでいると思っていた村人は全て、床板の向こうの地面と下半身が一体化していた。全員が笑いながら嬉しそうに――いや、それは見せかけだけの話だ。まるで絞り出したような笑い声で、叫んでいた。
「っ……」
「あまり見ないでくださいね。何が起こるか分かりませんから」
「分からないの? アシヤでも?」
口を閉ざした。言いたくないことを言うべきか、それとも澪も当事者として真相を知るべきか。躊躇い、少し考えた挙句に打ち明けることにした。
「そもそも、彼らが祭事を執り行なわなかったのは何も今年の話ではありません。いえ、正確に言えば行えなくなったのは、と言うべきでしょうか」
「え?」
「もし今年が初めてならばこんなことにはならないはずです。お嬢さんは狐憑きの話はご存知でしょうか」
狐憑きに限った話では無いが、願いを叶えてくれと神様に願掛けを行ったのならば、必ず願いが成就した時に感謝のお礼参りを行わなければいけない。大抵の祭事というのはこのお礼参りの側面を含んでいる。収穫祭、なんて言うのはその最たる例だろう。その年の豊穣を神に感謝する儀式なのだから。
「ですから今年できなくなったというのは変なのですよ、お嬢さん。まだお礼参りが行われていないと判別するには早すぎるのに神はこちらに手を出した。さあ、何故でしょう」
「……もう何年もお礼参りが行われていないから?」
「ええ。そう考えるのが合理的でしょうね。恐らくはもう短くて五年程度、祭事を執り行ってないのでしょう。ですがこの村は特に貧困に喘いでいるような様子はなかった……いや、逆ですかね。神の裾を汚しながら無断の狩りを執り行い、されど感謝を捧げることは無かった。それは居直り強盗と何が違うのでしょうか」
ましてや祭事の期限なんてものを出されては。
ただ神に感謝をするのであればそんなものは必要ない。祭事なんてものも、究極必要がないのだ。ただ神社にお参りをすればいい。それだけの話だ。最も、それさえもこの村ではかなわなかった訳だが。
「お嬢さん、気が付きましたかな? この村にはどこにも、神社がないのですよ」
放棄された神社でさえない。それは奇妙な事だった。今自分たちが集まってる場所でさえ区民館のような建物であることは間違いがなかった。なにせここには石段もなければ白砂もなく、鳥居さえない。お賽銭箱も鐘もない。ここには神に感謝するためのものが、神を敬うためのものが、ひとつとしてない。
「お嬢さん。同情は無用ですよ」
曇った顔の澪を撫でる。
「確かに貧困は避けがたいものです。ですが感謝を忘れたのは貧困のせいでは無いのですから。彼らは自らの選択で神を軽んじたのです。催事の道具を全て売り払ったのも彼らの選択肢です。ですから、悲しむ必要なありません。それに、彼らはその祭事の道具を我らにて代用しようとしていたのです。そのような貧しい心を持つものに同情する必要がありますか?」
「でも、その貧しさは」
「お嬢さん。例え本当に貧困に喘いでいても、他者を貶めるような心まで貧しい人間になってはいけません。それを許したのならば最後。私たちは貧しいという免罪符を振りかざす罪人に落ちることだってできるようになるのですから」
確かにことの発端は貧困かもしれない。
だが残念ながら同情の余地はそこには無い。なにせ誰か一人でも、どんな人間でも、たった少しでも感謝をすればよかったのだ。そうすればこんな顛末が訪れることはなかった。
「さあ、お嬢さん。関わってしまったのならばもう逃れることはできません。ここで逃げれば最後、いつ終わるかもしれない因果にまとわりつかれることになるでしょう。ですから、ええ、目を見開いて、見るのです。この村には一体、なにがおわすのか」
すえた匂いが漂う。
生理的に吐き気を催しかける。何かが腐った匂いだ。何が腐っているのかは分からない。或いは――床板を突き破り現れようとしている何かが腐っているのかもしれない。口元をアシヤの着物が塞ぐ。お香の独特な香りが鼻腔を満たした。
手が床板を突き破る。何か不気味なものが、この世ならざるそれが、瞼を開いたのがわかった。
「…………ああ、なるほど」
小さな声でアシヤは呟く。
「初めから、既に手遅れだったのですね」
*****
無数の死体が無差別に絡み合っていた。それらは死んでいるにも関わらず、まだ両手を合わせて一心に祈っていた。何に祈っているのだろうか。彼ら自身も最早覚えていないのだろう。なにせそれはもう死んでいた。過度な期待と生前の焼き付いた妄念がそうさせてるに過ぎないからだ。その感情も、始まりも、全部死んでいるのだ。死体は動かない。動いていいわけが無いのだから。
かつてあるところに小さな村がありました。その村は大きな飢饉に出会い苦しんでいました。昔むかしの話です。彼らは土地神様に生贄を捧げることにしました。実によくある話です。
生贄に捧げられた人は頑張りました。おかげで村は草木が芽吹き活気溢れる実り溢れる村となったのです。ですから村人は生贄に感謝をしました。ありがとう、ありがとう。頑張ってくれてありがとう。
……いやまあ、実際、本当に感謝してたかは定かではありませんが。
とはいえ事実として、生贄は英雄を超えて神として祀られました。ただ死んだだけの生贄にそこまでの役を背負わせたのです。ただの凡人が一躍神になったら、果たしてどうなるでしょうか。平凡で特筆すべき事項のない人間が神になったのならば、どうなるでしょうか。
生贄は学びました。頑張れば何でも村人が言うことを聞くと。感謝をするのだと。何もかもが思い通りに動くのだと。食物、衣服、住処、果ては命さえも。次から次に神の力に魅せられた村人たちは互いを捧げ、或いは捧げられていきました。積み重なる死体の山がすえた時に、初めて誰かが気がついたのです。
これ、やばくね?、なんて。
「いやはや、今更すぎるでしょうね。天下を平定したわけでも、祟を酷使した訳でもない、なんの資格もなんの力もない俗人を祭りあげればどうなるか、火を見るより明らかでしょうに」
死体の群れは静かに動いている。この土地を肥やそうとしているのだろう。その死体の上に全ての命は根付いていたのならば彼らの惨状も道理というもの。
「……術師先生」
ひれ伏す村人の群れの中から小さな声が聞こえてきた。彼はそれを無視してそっと澪を抱き上げる。
「どこに行かれるのですか?」
「はて。どこのどなたかは存じませんが、これはまた奇妙なことを聞きますな。無論、ここでは無いどこかです。我らはこの運命を無事受け入れました。そしてその上で、無関係であることを示します。そのためにここでは無いどこかに去りましょう」
「我らを、見捨てるのですか」
村人たちがこちらを一斉に見た。思わず足がすくみ彼の襟ぐりにしがみつく。
「無論です」
「そんな……殺生な……お願いです、お願いします、どうか」
「ひっ……」
冷たい死人の霜の手が爪先に触れる。村人達が手を伸ばしている。無数の手の海がこちらに向かってくる。
「どうか、どうか、我らと代わってください。これらの苦しみを代わってください。どうかお願いです」
「代わってください」
「痛い、苦しい、助けて」
「見捨てるというのですか?」
「貴方はもう選ばれているのに」
「助けてくれると仰ったではありませんか」
昇ってくる霜の手をアシヤは冷たい瞳で見下ろしていた。彼の拳は握りしめられている。だが彼らの手が向かうのは言葉とは裏腹に自分の方にだ。
……選ばれたのは誰か。
もうとっくに分かっていたんじゃないか。
「いいえ、代わりません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます