第拾弍幕 笑う門には福来る〈上〉

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。

 現代では全ての夜道が文明の灯りに照らされているように、人々の多くは怪異なんて幽霊なんてまず信じていない。死後に人の意思は残らないし、感情はあくまでも化学反応の賜物。狐は他人にとりつかないし、狸は化けない。頭部から角の生えた人間なんていないし、神様なんて言うのは人間が生み出した都合のいい偶像。死体が動かないし喋らないのと同じ。

 彼らは住処を文明におわれたと言ってもいいし、或いはそもそも存在しない理不尽に対する人間の自己防衛の一種、それから生まれた妄想と言ってもいい。


 ……なんて、そういったものを相手にする自分が思っていいのだろうか。アシヤはそう思いながら寝返りをうった。まあ、よくあるよくある話だろう。それを商いにするもの程、そういったものを信じていない。否、信じていないからこそ商いにできるのだ。過度に信じていれば祓えるものもはらえなくなる。

 信仰は仕事には不要なのだ。だからアシヤは祠を足蹴にできるわけだけれど。


「……そういう意味ではなんというか、妙なのですよね」

 空き家に響いた声が思ったよりも大きかった。ついでに掠れていて多分他人からはよく聞こえなかっただろう。


 この依頼、妙なのだ。

 いや、きな臭いのは初めからだが。そもそも何故黎明はアシヤにどうにかしてくれ、なんて抽象的な頼み方をしてきたのだ? アシヤは、ここに来て何をどうすればいい? そもそも何故この土地にはあれほど何かが出る?


 確かに田舎の方がなにかはよくいる。未開発の土地が多ければ多いほどそれらは暗闇に還ることができるのだ。だけど、だけど、だけど。だからといってこれは出過ぎじゃないか。


 黎明は幼馴染でありライバルだ。最も、アシヤの方がレベルが低すぎて到底ライバルだなんて関係が成立しない訳だけれど。だからこそ気になる。何が一体彼女に助けを求めさせた。自分なら何ができる。彼女は確かに仕事に熱心では無いが、それでも、アシヤにしかできないことなんて。

「……というかそう考えると色々気になるんですよねえ。例えばほら、今年大枚をはたいて小生が儀式を引き受けたじゃないですか。それで今年はどうにかなったとして、来年以降はどうするつもりなんですかねえ」

 答えはない。それはそうか。澪も寝ているのだ。アシヤも明日は早い。いくら目が冴えたとは言ってももう少し寝なければ。

 澪の寝顔を見よう。彼女の健やかな寝顔には安眠効果がある。少なくともアシヤにとっては、明日を耐えるための活力になる。

 振り向いて、体の動きが止まった。


 振り向いた先に、平坂 澪はどこにもいなかった。

 冷えきった、無人の布団だけがそこで静かに佇んでいた。


*****


 予兆はあったか?

 いや、そもそもどうやったのだろうか。


 夜道を草履で走り抜ける。汗で濡れた着流しが今はただ煩わしい。だが脱ぐ訳にもいかない。もしもこれからアシヤの想定通りのことが起こったのならば着流しは必要だ。だから走りながら考える。


 アシヤはとても鋭い。警戒を解くことはまずない。いや、仮に解いたとしてもアシヤの五感は常人よりも鋭く繊細だ。どちらかと言えば獣に近い。

 だからアシヤから澪を拐うなんて不可能に近いのだ。なのに相手はやってのけた。方法? そんなの。


 村の中は妙に静かだった。静かながら妙な騒々しさがあった。それは人々の全てが眠りにおちた宵闇には無いものだ。けれども昼間の下には満ちている静寂だ。そんなニュアンスばかりで説明しても意味が無いが。つまるところ奇妙なことに、村の中には生活感で満ちていた。


 頭と足だけをフルで回していく。

 何故、彼らはアシヤに祭事をして欲しいと依頼をしたのだろうか。どうしてその時に澪も来るのかを確認したのだろうか。彼らのうち誰が澪がいると知っていたのだろうか。


 ……黎明が。

 阿部の家に生まれた、土御門の家の、絶対的な成功を約束されたあの女陰陽師が、この村を投げたのは。


 村の中央。あからさまにあかりが灯った建物の引き戸を鈍く大きな音をたてながら開け放った。

 村人が、皆、そこで手を合わせていた。よどみなく貼り付けた満面の笑みを浮かべて、中央の祭壇でまだ寝ているのだろう、俯いている澪を、拝んでいた。皆、一様に笑っていた。そしてただ一心に祈っていた。

「……」

「おや、ずいぶん遅いので心配していましたよ、術師先生」

 手前の方に座っていた山岸が振り向いた。彼もまたニコニコと笑っている。昼間に愛想がいいと感じたそれは、今や得体がしれない不気味な笑みのようだった。全体で見れば笑おうとしているようだが、何故か全てが別々の動作をした結果偶発的に笑っているように見えた。目を細める、口角を上げる、眉も下げる、声を高くする。まるで別人の顔のパーツを集めてつくりあげたコラージュのようだった。


 緩慢な動作で草履を履いたまま、土足で社に踏み入る。村人はアシヤの歩く道を邪魔しないように、或いはただならぬ雰囲気に気圧されたように静かに道を開けていく。聖人の海渡りのような光景は、山岸の前までの道を作り上げた。

「さあ、術師先生、笑ってください。笑うんです。そんな怖い顔をしないで、笑顔を浮かべれば良いことが起こるのです」

 興奮したような口振りでまくし立てるようにそう言う。そう、言われた。


「……返してください」

 努めて冷静に、僅かに震える声でそう言った。その声の震えは興奮ではなく胸の内を占める静かな怒りからくるものだったが山岸や他の村人の誰もそれに気がついてはいないようだ。

「返して、ください。彼女は貴方がたが触れていい存在ではありません。返してください」

「先生。そんなことをおっしゃらないでください。これは彼女にとっても光栄なことなのです。何せカンダカラ様の一部になれるのですから」

「返しなさい」

「それにほら、カンダカラ様を迎えるのにそのような顔をしていてはいけませんよ。感謝の気持ちを伝えるために笑うのです。笑ってください。笑いなさい」

「返しなさい……いや、返せ。彼女を、返せ」

 山岸は手を合わせたまま、笑みを浮かべているままだった。覗き込むアシヤの顔を見ているはずなのに彼は笑っていた。その両手は小さく震えている。

「お願いです。笑ってください」

「……」

「笑うんです。笑いなさい。カンダカラ様に失礼でしょう。だって、ほら、そうじゃないと……」


 扇子の先で山岸の顔をこちらに向けさせた。

「小生の身には千年の妄執が宿っております。これなる禁術は全て最優たる一族を貶めてなお踏みにじる為。我らの祖が犯した罪より始まったこの呪ですが……威力と蓄積した妄念は本物です。山岸さん」

 例えば、この力を私用したとすれば、アシヤは間違いなく落ちるだろう。人ではいられない。術師ではいられない。この世の全てを呪ったのだ。それはもう人ではない。でも。

「この呪、村の真ん中で解き放っても私は良いのですよ」

 優しく柔らかな口調でアシヤはそう告げた。

「少なくともこの村ひとつ程度なら簡単に滅ぼせるでしょう。なにせあの最優の一族でもってこの呪を防ぐことは叶わなかったのですから」

 慈愛と慈悲を持った言葉に山岸は震えていた。だがその笑みを崩そうとはしない。


 ……妙だった。

 勿論、本気で脅しているつもりだ。だが、だと言うのに山岸はどういう訳か笑みを崩さずに手を合わせていた。涙が頬をつうっと伝う。それと同時に禍々しい気配が沸き立った。これまでどのようにそれを隠していたのか不思議で仕方ないほどの匂いに顔を顰めて呪符を手に取る。その手を、山岸が掴んだ。

「じゅ、つし、先生」

「話しなさい。護符がはれません」

「おね、おねが、おねがいですよ、術師先生。私を……私達を……私を、たすけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ」

 遅かった。山岸はけけけけけ、と声を上げながら、泣きながら、笑っていた。その足が床板を突き抜けて講堂の下の地面に繋がっている。手が緩んだ隙に彼を振り払い、そのまま真っ直ぐに祭壇に向かって飛び込んだ。

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