第拾壱幕 リバーシブル・ピロー

「これはこれは! アシヤ先生に澪さんじゃないですか!」

 聞こえてきた声に車で涼んでいたふたりは顔を上げた。丘の上から手を振っているのは件の依頼人――山岸だ。彼は片手で銃を持っている。

「良くぞお越しくださいました! 到着日くらい仰ってくださればすぐに迎えをよこしたのに」

「いえいえ。厄介になる身ですのでそこまでしていただく訳には行きませぬ」

「そのようなことを仰らないでください! アシヤ先生には皆、それはもう感謝をしているのですよ」

 獣の返り血が着いた手で山岸はアシヤの手をがっちりと握った。その事にアシヤが顔をしかめる。だがそれに気がついていないようだ。

「おーい、コウゾウー? 何をしてんだー?」

シラギ羅さん、お客さんですよ。こちら、今回のことを引き受けてくだすったアシヤ先生です」

「おお、なんだ、術師先生かい。そうならそうと早く言え」

 山の上から現れたのは数人の男だった。どうやら村の猟師会の人々のようだ。皆、山岸と同じようなベストを纏って息絶えたけものやら銃やらを背負っている。澪も思わずそっぽを向いた。


「アシヤ先生。こちらがこの辺りの地主の新羅さんです」

「いやはや、遠路はるばるご苦労様です。新羅と申します」

「これはどうもご丁寧に。私はアシヤと申します」

 差し出された手をアシヤは握り返した。その笑みはいつも通りの胡乱なものだ。


「着いたばかりで申し訳がございませんがどうにも事は一刻を争うことのよう。予定が宜しければ軽い打ち合わせを行いたいのですが……よろしいですか?」

「おうともさ。山岸。先生を公民館に案内してやれ。くれぐれもアイツに会わないように気をつけろよ」

「ええ、勿論です」

「じゃあな、術師先生。獲物は鮮度が大事だ。処理をしてから俺達もそっちに向かうよ」

 そう言うと新羅は他の男手を引き連れて坂の下の方に下って行った。なんというか……随分愉快な人だ。

「では我々も行きましょうか。公民館はこの坂の上です」


 その村は山からその麓にかけてこじんまりとあった。村、と言うよりかは集落と言うべきかもしれない。それぐらい小さな村だった。

「いやはや、ここまで来るのは大変でしたでしょう」

「まあ、それなりにですね。これだけ奥まっていれば暮らしも大変なのではありませぬか?」

「ははは。まあ、そうですね。ですが、不便は不便なりに楽しく暮らしていますよ。いわゆる住めば都というやつです」

「なるほど」

「さて、ここですね」

 連れてこられたのは丘の上、少し廃れた一軒家だった。最近使われたのは確かな程度には片付けられているが、掲示板がなければ空き家のようにも見えかねない民家だった。

「さて、私は山岸さん達と打ち合わせてきますがお嬢さんはこの辺りで待てますかな?」

「私、そんなに子供かな……」

「いい子にしているんですよ。あと、何かあったらすぐに呼びなさい。分かってるでしょう?」

「あーい」

 まあ、さっきもなんかヤバいやつにあったばかりだしそう何度もそんなのにあって溜まるか……と思ったが澪の人生でそれは言わないお約束だった。澪も何度も思ってるがそうなった試しがまだ一度もない。残念ながらこれからの人生もそれは無いだろう。


 二人は話しながら公民館に向かっていった。なにかしようかと思ったが遠くに行くのも何となくはばかられ、仕方なく澪は縁側の日陰になっているところに座った。おすすめ記事を更新しながら読んでいるとふと、視線を感じて顔を上げた。

 そこには先程の狩猟会の人々が立っていた。五、六人の老齢の男性である彼らは澪をじいっと……擬音のままに観察しながらそのまま公民館に入っていったのだった。

「……………………なにあれ。怖」


*****


「おまたせしました、お嬢さん」

「あ、アシヤ。お話し合いは終わったの?」

「ええ。軽い打ち合わせ程度でしたがこの後の予定に見通しがたちました。お嬢さんの方は? 何もありませんでしたか?」

「うーん、まあ、概ね?」

 結局、あの後は何も無かった。だが奇妙と言えば奇妙であったのも違いは無い。あと何も言わずに凝視させると普通に怖い。まあ、多分悪意とかはないのだろう。なにか気になったに違いない。そう思い込むことにした。


「で? どうすることにしたの?」

 アシヤにツッコミを貰うよりも前に半ば強制的に話を変えた。それにいくら素直に報告するとしても少し内容的に限度がある。一体何があればそれを素直に口に出せるのだろうか。

「ああ……明日の早朝から儀式を始めることになりました。話を伺う限りかなりの長時間になりそうなので民家をお借りしてそこで今のうちに仮眠をとることになりました」

「そんなに時間かかりそうなんだ」

「ええ……黎明。あれが解決してくれればよかったのに」

「ま、まあまあ……そういうこともあるよ。とにかく、わかった。じゃあ今からその借りた民家に行くってこと?」

「ええ、そうなります。確か聞いたお話によりますと……」

 山岸から貰ったと思われるメモを元に連れてこられたのは町の真ん中にある家だった。どうやら貸家らしく、アシヤが借りた鍵には業務的な安いプラスチック製のタグが着いている。引き戸の鍵を開け、少し立て付けの悪い扉をアシヤが力任せに引いた。ガコン、という音と共に部屋が開く。


「ふう……どうやら定期的に手入れはされているようで。埃っぽくはありませんね」

「うん」

 むしろ昨日も掃除されたのだろう。清潔感に溢れていて、さながら旅館の一室のようだ。とはいえ旅館とは異なり自給自足をする必要がある訳だが。


 布団を敷いて軽く腹に何かを入れようという話になった。話にはなった。だが二人とも長い時間に車に乗っていたのだ。布団を敷き終わり軽く湯で身を清めた後、布団に倒れ込んだ。


「……お嬢さん。お腹が空いていたのでは?」

「いや、そのつもりだったけど……」

 瞼がもう若干重い。体を動かすのも億劫だ。

「……眠い」

「やはりですか……小生も眠いです」

 ぐでぐでと二人は布団に潜る。そしてどちらともなく、お休みを告げる暇もなく、爆速で眠りに落ちたのだった。


 当然と言えば当然だった。

 外の気温は弾け飛ぶような暑さ。加えて妙な怪異との遭遇。体力を消耗しないはずがなかった。ぐったりと疲弊した二人はすぐに眠りに落ちた。熟睡と言って差支えのない深さだった。寝息だけを起てて穏やかに眠る二人はまるで子どものようだった。


*****


 眠っている澪が違和感に気が付いたのはほとんど偶然だった。

 最初はなんとなく寝ぼけているだけかと思った。だが違った。確かに何者かが澪の頭を丈夫に向かって投げているのだ。なんというか、まるで起きない人を力づくで起こそうとしてるかのようなその動作に目が覚めてしまった。

 再度頭を上に向かって持ち上げられた時に澪は一気に体を起こしてふりかえった。


 そこではぱふっ。とやや情けない音を立てながら枕が落ちていた。


「………………は?」

「くくくくく、やはり。いくら怪異慣れした太公望と言えども」

「誰が釣り上手だ」

「んんん……いくら怪異慣れした太公望と言えどもどうやら古い妖怪には馴染みがないようですね」

 言い直しやがったこいつ。悪びれないその精神に乾杯。そう思いつつアシヤの方を見た澪は思わず体の動きを止めてしまった。どういう原理だろうか。アシヤの枕が高速で回転してる。

「……え?」

「お嬢さん、聞いて驚かないでください。これはなんと、妖怪枕返しの仕業なのです」

 と、高速で枕を返しながらアシヤはそう言った。

「ま、枕返し……?」

「ええ」


 枕というのは寝具のひとつだが、こう見えて多くの迷信がある身近な道具のひとつでもある。例えば枕を踏んではいけない。またいではいけない。北に向けてはいけない。乱暴に扱ってはいけない。死んだ人の霊は枕元に立つだとか言うのもそういうのに数えられるのではないだろうか。

 というのもだ。枕には魂が宿ると考えられていたらしい。眠っている時に体を預けるものだから――、と。

「ですからええ。枕返しというのは返すだけでそれはもう怖い妖怪なのですよ」

「イマイチぴんとこないのは時代と共に変移した価値観の違いだと」

「ええ。とはいえ怖い枕返しの話もありますよ? 例えば夢で枕を返されると死ぬとか」

「……なるほど。で、なんでアシヤはそれをすっごいスルーしてるの?」

 高速で枕を返しながらアシヤは鼻で笑う。枕を大切にしろという考えには賛成だが、それは万物に対して当てはまることだ。なので枕を特別大切にしようとは思わない。それに。


「その程度で人が死んでたら狭い家に住んでる方はどんどん死ぬとは思いませんか?」

「しょうもない反証をしないでよ」


「とはいえですよ、お嬢さん」

 そろそろこいつが何をしてるのか説明されなくてもわかってきた。多分枕返しが返した枕を正位置(?)に戻しているのだろう。さながら枕返し返しである。返しがふたつ付いたら小学生の必殺技になった。

「こうして実物を目にするまでこれでも警戒をしていたのですよ、私は」

「そうなの? 全く今信用してないけど詳しく聞いてもいい?」

「お嬢さんもご存知の通りですが、怪異とはある程度のトリガー、引き金のようなものがあるのです。そうですね、因果応報、とでも言いましょうか」


 見る、知る、聞く。これまでも散々理解してきたことだ。

 つまり因果応報なのだ、基本的には。何かをしたから、怪異という応酬が着いてきた。どんな物事の結果にも理由があるように、怪異に巻き込まれるのもまた理由がある。引き金を引いたから弾丸が放たれて人が死ぬように、全ての物事は応酬でできている。

 どれほど理不尽に見えようとも、澪の体に怪異を釣り上げてしまう理由があるように。


「とまあ、ですから一応は警戒をしておりました。枕を返すという行為そのものが引き金となって何かを寄せ付けているかもしれない……という可能性の考慮です。が」

 アシヤは俯いた。その肩が小さく震える。

 多分、というか確実に、面白がっていた。

「まぁさか! こんな! 枕を本当にひっくり返すだけの存在だとは思いもよりませんでした! いや亜種がいる可能性も捨てきれませんがそれはそれ! この勝負小生がいただきますよ!」

「……」

 澪は布団に戻る。背後では幼気な枕返しの健気な努力を無に帰すアシヤの高笑いが響いていた。

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