第玖幕 童謡〈下〉

 アシヤは大声をあげたのも束の間、直ぐにそれを押し殺しながら畳をバンバンと叩いてのたうち回っている。その音に子供の瞳がぱあっと純粋な光をともした。

「おじさん! そんなところにいたの!? はやくへんじしてよ!」

「おじっ、ふふ、わた、私は、ふふふあははは、おじ、おじさ、ふふふふふ」

「あ、ダメだこれツボってる。アシヤー、落ち着いてー」


 しばらく震えて動けなくなっていたアシヤが動けるようになるのに三十分もかかった。一応起き上がったものの僅かにまだ震えているあたり、再発に細心の注意を払わねばならなさそうだ。

「だってお嬢さん、私達が怯えていたのが……ふふ……」

「笑うな。こっちは真剣に怖かったの。第一アシヤは知らないかもしれないけど子供の霊が一番いっちゃん怖いんだからね?」

「お嬢さんに言われると説得力が増しますね……とはいえそんなお嬢さんに朗報です。この子はそれほどに恐れる必要はありません。むしろありがたがる必要があります」

「と言うと?」

「お嬢さん。この子はいわゆる『座敷童子』にございます」


 座敷童子。おかっぱの髪に甚兵衛を纏っている子どもは確かにいかにも座敷童子のようだが。彼だか彼女だかは今、熱心に折り紙を作っている。

「座敷童子はとても弱い妖でして、もてなされ、歓待されなければ生きていくことができないのです。勿論、見ていただければわかるとは思いますが」

「んにゅ??」

「いやまあ、こんなに純粋無垢じゃあね……」

「加えて他の妖が生存する所では弱くて生きていけないという欠点もあります」

「弱すぎる……」

 汚い汚染された土地でも当然生きていけない。歓待され、純粋な歓喜だけで生き延びるのだ。よって、下心を持って座敷童子をもてなす家には彼等は寄りつかなくなる。逆に心を交わした相手が本気で座敷童子自身が去ることを惜しむのであれば彼等は留まる。


「ねえねえ、おじさん」

「小生はおじさんでは無いです」

「んゆ……じゃああやしいひと」

「怪しくないです」

「それは無い。それだけは無い」

「お嬢さん……!? 小生を裏切るのですか……!?」

 裏切るも何もはなからアシヤは胡散臭いが。

 むしろ一言喋ることに胡散臭値が上がるが。そしてそれは青天井だが。


「んぅー、なんでもいいけど、あんね、あのー、ここに住んでるつんって女の人いるでしょ? あの人にね、たまには一緒に寝てきていいよって言われたの。だからね、一緒に遊んで、それから寝よ?」

「ツンって女の人……女将のことでしょうか」

「まあ、八割そうじゃない?」

「ねえー! だから遊ぼー!!」

 ばたばたと手足を暴れさせる座敷童子にアシヤはため息を着いた。子どもの体力は無尽蔵だ。ここで遊び始めればどうなるか分かったものでは無い。ましてや明日もかなり遠くまで出向くつもりなのだ。


「ダメです。遊びません。いい子は寝る時間ですので」

「なんで!? ぼく……あの……ヨーカイなんだよ!?」

「ダメです。寝ますよ。ほら、小生とお嬢さんの間に寝転がりなさい」

「うにゅー!!」

「それにほら、お嬢さんも眠そうですから」

 澪はその言葉に欠伸を噛み殺した。平気だという素振りをしようとしたのだろうが、漏れ出た欠伸に座敷童子は小さく眉を寄せる。

「ぅう……おねーちゃんが疲れてるなら、うん、ぼく、ねる……」

「ええ、そうなさるとよろしい」

 座敷童子はころんと布団に横になった。寝ぼけ眼の澪は座敷童子をそっと迎え入れた。二人を庇うようにそっと横になる。恐らく座敷童子ももう眠かったのだろう。彼も小さく欠伸をこぼした。それに苦笑いを零す。

「寝れないのなら童謡のひとつでも歌ってあげましょうか」

「ん……」


 障子に影が落ちる。アシヤの低く小さな声が静かに古いいくつかの民謡を口にする。それは季節のものだったり、赤子を寝かしつけるためのものだったりと様々だ。それがまるで波のように押し寄せては引いていく。それと座敷童子の持つ幼子特有の心地よい熱に、歌を歌っていたアシヤもふと、欠伸をこぼした。


 がくん、と頬杖が崩れた衝撃でアシヤは目を見開いた。

「ん……私としたことが……まさか子供の体温に絆されて寝てしまったようですね」

 体を起こすとぐいっと着流しを引っ張られてアシヤはまた布団に倒れかけた。よく見れば着流しの袖を澪が掴んでおり、胴の所は座敷童子が掴んでいた。

「…………はあ……」


 自室に戻ろうとしたアシヤはそのまま横になった。窓の外はまだ暗い。朝には程遠いだろう。仕方が無いのでこのまま寝るしか無さそうだ。起こすのはあまりに忍びない。

 澪の頬に張り付いた髪をすうっとどかすと彼女は擽ったそうに笑った。


「…………愛しい愛しい小さな子ども達。日溜まりで遊ぶ無邪気な子ども達。我らと違って明日のある子達。私たちの、小さな希望の依代」

 自分の歩いている道がどこまで行こうと陽だまりに辿り着かないことをアシヤは知っている。どこかの誰かの言った通りだ。この戦いは孤独で、苦しくて、そして終わりがない。まるで奈落に向かう螺旋階段をそうと知りながら一段ずつ降りているようだ。ここまで来てしまえばもう、あとは果てるしかない。

 だがけれども、自分達が戦っている限り少なくともこの儚く小さく、そして確かな生命が暗闇に怯えて眠ることは無いのだ。


「大きくなりなさい。大きくなって、何も知らぬまま、日溜まりで笑い、泣き、怒り、傷つき、そしてまた笑いなさい」

 残酷な願いと知りながら、敢えて口に出す。

「いつか全てが春の陽射しに霞んで、私の事を忘れても……貴方達が幸福に夢を見ること。そしてそれがずっと続くこと。それだけで私たちの献身が意味のあるものになる」

 やがて訪れる断絶のまでの静寂。自分はあくまでその中で戦い続けているに過ぎない。この戦いに勝利はない。この戦いに果てはない。あるのはただいずれ訪れる破滅という名の敗北だけ。選ばれたと言えば聞こえがいいが、ただの都合のいい人身御供だと言われればそれまでだ。螺旋階段を降りていく恐怖に、一人犠牲になることに、恐れがない訳では無い。だが……少なくとも、この光景を守る為ならば、アシヤは。


 ふっと己らしからぬ考えを嘲笑した。

 この旅館には思うところがある。だからそのせいなのだろう。決して絆されたとか、そういう訳では無い。

「……幸せになりなさい。両手いっぱいの花のように、どうか」


 呪われた術師が呟いたその言葉も、所詮はただの気まぐれに過ぎないのだ。

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