第捌幕 回り道

 旅は道連れ、世は情け、と言うが。

 海にて不快な気持ちになった澪とアシヤは絶賛――迷子だった。

「……迷いましたな」

「うん、そうだね……」


 アシヤの車が入ったのは住宅街の道だった。

 とは言えそこは田舎の住宅街である。土地勘がある地元の路地でさえ住宅街はしばし惑わされるのに、それが土地勘のない異郷の土地と来た。二人は既に三十分程度ぐるぐると回っていたのだった。

「えー、アシヤ嘘じゃん。すぐ出れるよとか言ってたじゃん……もう三十分だよ。飽きて来ちゃったよ」

「飽きたと言えば小生もですよ。景色が同じすぎて眠くなってきました。あー……映画みたいにそこの民家をぶち壊せたらきっと爽快でしょうな」

「そんなに追い詰めてたんだ……ごめんね、気がついてあげられなくて。ここから脱出できたら文明の力代表であるプリクラ五枚くらい撮ろうぜ」

「イヤですよ。誰が嬉しくてプリクラなんて……第一どこに貼るんですか」

「撮るのは良いのかよ。うーん……御札」

「使いにくくしないでください。第一それが貼ってあるの、すごい雰囲気が微妙になるでしょう。考えてみてくださいよ。心霊スポットの御札にプリクラが貼ってあるの」

 澪は上を見上げたまま想像した。

「うん。頭麩菓子のカップルやんって思うわ」

「でしょ。緊張感もないので貼るなら他のところにしてください」

「じゃあアシヤの煙管」

「電子タバコと勘違いしてません? あと煙管は吸ったことないです」

「じゃあ扇子」

「いとイケし」


 二人はそろって爆笑した。


 ……。

 …………。

 ………………。

「ダメですね。イマイチ盛り上がりにかけます」

「盛り上がりってなに……その概念はこの車から早急に失われつつあるよ……」

「怖い話ですか?」

「怖い話? アシヤ何、怖い話とかあるの? 私の日常生活より怖かったらもう少し真剣に事態の解決に望むよ」

「え……お嬢さんの実生活より怖い話……?」

「すげえな。巧妙に言外に私の実生活より怖い話ないって言ってるよ」

 車の窓ががぁと開く。いい加減この迷路から抜け出したいものだ。アシヤはしばらく考えてから口を開いた。


「お嬢さんがいらっしゃる前に土蜘蛛を頼まれて追っていたのです」

「ん? ああ、アシヤに会った時に追われた化け物?」

「ええ、そうです。あの怪物は図体が大きい上に人を喰らう悪辣なるあやかしでして、ユキさんも……夜は寝たいという理由で匙を投げ出したのです」

「怖い話としての行き先が不安になってきたね」

「ですから小生が一人でパトロールをしていたのですがふと、背後から足音が近づいてくることに気がつきました。その足音はひたひた……ひたひた……と素足で歩いていましたが小生からは一定間隔をあけてついてきていたのです」

「うん……」

「直ぐに分かりました。土蜘蛛ではない、なにかがついてきてるのだと。ですが小生は陰陽師です――それがいかに恐ろしいものであろうとも、人々が夜穏やかに眠るために立ち向かう義務があります。ですから着物の懐に手を入れて札に手を伸ばしました。そして……」

 喉が唾液を嚥下する。緊張は最高に高まっていた。


「札の端が爪と指の肉の間に挟まりザクッと肉をえぐる感触が」

「ンギャぁああ!? あ!? あぁ!!?」

「んふ……」

 指を手の中にしまうように握りしめて恐怖のあまりキレる澪にアシヤは小さく笑いをこぼした。

「え、なんでそんな……こわい話するの?」

「こちらも本気ですので手段は選んでられません」

「もう少し選んで欲しかった……仕方ないなあ……」

 怖かったのは本当だ。澪はだらけていた身体を起こす。それから弄っていたスマホを横向きにしてシャッターを切った。

「……何してるんですか」

「ん? 写真撮ってるの」

「それができるならマップを開いてはくれませんか!?」

「いや……そう言われてもGPS逝ってるから無理なんだ……」


 アシヤの動きが止まった。シャッターをきる音だけが車内に響く。見える限りの路地の特徴的な所を一通り撮影する。それからアルバムを開き、ひとまず写真がきちんと撮影できていて、かつ、保存できていることを確認した。

「アシヤ。もういいよー。次の場所行ってみ……アシヤ?」

「……怖……やっぱりお嬢さんの日常生活の方が怖いじゃないですか……」

「怖くないよ、多分」

「お嬢さん、何したんですか? ていうかいつから?」

「私は何もしてないって……アシヤが飽き始めた辺りで気がついてた。でも私の勘違いかもしんないし……とりあえずそこの路地、左に曲がって」

「分かりました」


 車のエンジンが駆動する。狭い路地を今日に左折し、適当なところに路駐した。またスマホを構えて四方を撮るとアシヤが車を動かす。それを何度か繰り返した。


「…………やっぱり」

「どうでしたか? と言うか何に巻き込まれてるんです、これ」

 そう言いながら身を乗り出してすぐにカメラロールを見たことを後悔した。


 澪はとても考えて画角を選んでくれたようだ。撮られた写真はどれも細かい調整が行われているのがみてとれる。

 この路地に立つ民家。黒い屋根瓦に障子の窓が嵌められている。少し先に見えるカーブミラーとイヌマキの垣根。二年くらい前の選挙のポスター。雨に濡れてインクが溶けだして顔さえも判別できない。道の先のブロック塀から覗く紫色の花を咲かせている野草。手入れが行われていない竹藪。用水路を守るように張り巡らされている金網のフェンス。

 それらが、ほとんど寸分違わない構図でずらりと並んでいた。もしその写真が全て焼き増しだと言われてもアシヤは信じていただろう。


「ほら、見て、アシヤ。例えばこれ。この民家はさ、何回回っても私達の右手に見えるんだけど……常にさ、正面側が私たちの方に見えてるの」

「……ええ。分かりました。小生達はこの小一時間、ずっと同じところを巡っているのですね?」

「うん。それにさ、私達が海から帰ったのって午後三時位だったじゃん。あれから少し太陽が傾いたでしょ。でさ、夏って日が落ちるのって早いじゃん……でもほら、見て」

 黄昏の空を差す。もう小一時間さ迷っているのに、空は相変わらず暮れがかった空のままだった。


「なるほど。だいたい分かりました。しかし何故教えて下さらなかったのですか?」

「気づいてるかと思ってた。もっと早く教えればよかったね……あとちょっともったいぶってみたかった。ほら、いつも助けて貰ってるから」

「お嬢さんが悪知恵をつけてる……困ってたらすぐ教えてくださいよ……」

「それはごめん」

 とは言え澪もギリギリまで確信がもてていた訳では無いのだ。だから写真を撮って確認する必要があった。

「ふむ……しかし困りましたね。こういうのはユキさんの専門分野なんですよ。小生にできるのはせいぜい神を殺す程度でして」

「うん」


 アシヤは澪を見る。

 澪もアシヤを見上げた。

「……頑張ります」

「今の間に何があったの?」

 とにかく今はこの場を解決すべきだ。巻き込まれたのならば巻き込まれた人間なりの責務というものがあるものだ。こういった場合に考えられるからくりは大きくわけてふたつだ。

 ひとつ、延々と幻影を見せられている。或いは自分たちが夢を見ている。

 ふたつ、何の境もなく異郷に紛れ込んでしまった。


「とにかく今はしらみ潰しに可能性を消していくしかありませんね……というわけでじゃじゃん、こちらです」

 それは札だった。

 なんというか、普段見る御札とは全然違っていた。まず墨の色からして違う。アシヤがいつも使っているのは大抵黒だ。だがこれは光の加減で桜色にも紫色にも見える不思議な墨だった。

 書かれているものも違う。いつもであれば不思議で怪しい模様と達筆な字で急急如律令と綴られているはずだ。だがその札は画伯が書いたような珍妙な生き物が書かれていた。その中央には絵と反対に達筆な字で漢字が……犭に莫と

「……一応聞いてもいいかな。なにそれ」

「こちらは夢や幻覚に効く札です」

「そ、そうなんだ……」

「ちなみにこちらの絵ですがなんと、東雲家の当主様に描いていただいた一点物となっております」

「東雲家の……」

「なんでも獏の絵だそうで」

「獏」


 アシヤはピッと札をきった。紙であるはずのそれは美しい光の粒子になって崩れ落ちる……起こった不可思議はそれだけだった。アシヤは頭をハンドルに落とす。プッ、とクラクションが鳴った。

「……何も、起こらなかった」

「アシヤ……」

「また獏を捕まえにいかねば……」

「なんて?」

 軽い咳払いをして話を誤魔化した。

「兎に角、これでひとつ前進しました。少なくともこの現象は我々の見てる錯覚や幻惑の類ではないということです」

「うん」

「つまり必然的に後者、つまり、別の空間に紛れ込んでしまった可能性が上がるという訳です」

「なるほど」少なくともアシヤの想定では、だが。


「さて……ところで話は変わりますが、お嬢さんは隣の部屋に入りたい時にどうしますか?」

「え? それはまずドアを開けて廊下に出るじゃん」

「そう、それ、それでございます」

 扉を開く。

 普通、部屋から部屋に移動する時は扉を開くだろう。だがそれはある種、隣の部屋に移動するための儀式やトリガーになってるといえなくは無いだろうか。例えそれが移動する為に必要なアクションだとしても、部屋から出るためには必ず扉をくぐらなければならない。別に扉に限った話でもない。空間から出るためには必ず、出口を介さねばならないのだ。

「難しく言いすぎましたね。言いたいことを簡単に言うなればこうです――入れた以上はまた、出ることも可能であるはずだ、と」

「うん、今のでわかった。要するに、入口があればそこは出口にもなるから出れるはずってことね」

「ええ、その通りです。最も、大抵の怪異ではそれがストレートに機能することは滅多にない訳ですが」

 確かにそうだ。あの変な家も閉じたはずのない扉が閉じていたし、あの日部屋から出れなかったのだって、どれもこれも不可思議の仕業なのは目に見えている。


「さて、ではここから出るためにはどうするべきか、分かりますか? お嬢さん」

「出口を探す!」

「正解です。そしてその為には出口が出てくるようなアクションを起こさねばなりません。あの時私が悪霊を追い払ったようにね」

 アシヤはそのまま黙り込んだ。

 それは当然だ。そこまで進んだところでどの道ここに落ちるのだ。つまり、自分たちはどうやってここに迷い込み、どうやってここから出るのか。この空間はどのような空間であり、そして何が本質なのか。


「……どの方角からも変わらない家……どちらに曲がっても変わらない……恐らくですが、ここは閉じた交差路なのでは無いでしょうか。空間の起点はあの曲がり角にある……と思います」

「歯切れ悪いね」

「あんまり得意では無いのです。いっそぐわぁって恐ろしいなにかが起こってくれた方がまだマシです。それを排除すればいいなんて、分かりやすいルールでしょう?」

「……確かに、言われてみればそうかも。それで今その話で思い出したんだけどさ、この前見た式神ちゃんじゃどうにかできないの?」

「…………あれは、ダメです」

 確かにあれならばどうにかできる。あれは腐っても悠久の時をアシヤの血と共に過ごしてきたモノだ。あれならば空間を引き裂く程度容易いだろう。だが、ダメだ。手段を選り好みしている訳にはいかないとしても、澪の前であれは使いたくない。


 まさに行き詰まった、という言葉が相応しい。

 だがいつまでも状況を停滞させている訳には行かない。後はもう、取ってない行動をとるしかないだろう。可能性がそこにあるのならば、それは先に潰しておくべきだ。無闇に希望を残しておくよりかは早期の脱出を優先して行うべきだろう。故に、ハンドルに手をかける。そしてギアを入れ替えた。澪があからさまに怪訝そうな顔を浮かべる。

「アシヤ……?」

「人は行き詰ると視野が固定されがちです。いわゆる視野狭窄に陥るのです。状況を打破する方法を考えるための頭が固くなり、その手段も極めて一方的なものになるのです。要するにですよ、お嬢さん」

 ほとんど本能的に座席の肘置きを鷲掴みにした。これから起こるなにかに対して、じゃっかんの予感のようなものがあったからかもしれない。ついでに言えばその予感は見事に的中した。


「たまには気分転換に、想定していない行動を行うべきだとは思いませんか?」


 バック、アンド、アクセル。

 いや、そもそもバックする時ってそんなにスピード出ないはずなのになんだこれ。


「なんだこれ!?!?」

「ふふ、札の力です」

「不思議パワーを濫用しないでよ! ていうかこの展開覚えがあるんだけど!?」

「はてさて、気のせいでは? 小生にとって過去とはなかったことと同義です。常に明日を見据えているゴーイングマイウェイ」

「せめて反省はして欲しいかもぉ!」

 目まぐるしく景色が変化していく。というか妙なことになっている。目の前の路地の先で何度も自分達が乗っている車がバックしていくのだ。いや、なんだこれ。

 あまりの速さに空間が次第に落ち着けなくなっていく。ドロドロと繕い着れなくなった景色がこぼれて、とけて、壊れていく……のをみて何かを思うよりも前に命の危険を感じている澪は目を瞑った。だって怖いもん。事故っても知らないよ。


 不意に衝撃が走り、シートベルトがロックされた。飛び出すよりも前にそれにとめられたせいで再度、勢いよくシートに叩きつけられる。

 見ると車の後ろからイヌマキの垣根に突っ込んでいた。とはいえ少しがざっと入ってしまった程度なので垣根に損傷はない。つまり体が投げ出されたのはアシヤが踏んだ急ブレーキのせいだったらしい。ずるずると身体が崩れていく。出れたという安堵と恐怖からの脱却によって力が完全に抜けた。

「…………ふふ」

 ハンドルに頭を突っ込んで小さく笑う。

「ふふふふふ、あははは!! なるほどなるほど、思ったよりも面白かったですね、お嬢さん。なるほど。まさか後方に進まれるのを想定していない閉じた通路に閉じ込められていたとは! ここが旅館からの最短ルートだからと迷い行ったのが間違いだったとはいえ、こんな間抜けた空間がこの世に存在するだなんて! 本当に面白いですねえ」


 艶やかないい笑顔でそう告げるアシヤを澪はジト目で見た。

「……アシヤさ」

「はい」

「運転、向かないのでは?」

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