第漆幕 おぉい《中》

 三日後。

 キャリーバッグに荷物を詰めた澪は見当たらないアシヤの姿を探すように事前をさまよわせた。

「お嬢さん、こちらですよ」

「アシヤ!」

 あのスポーツカーのまえでアシヤが手を振っていた。

 今日はワイシャツに、スラックスと革靴だ。非常に稀有なことに洋装をしている。加えて何故かサングラスをかけていた。

「お荷物をこちらに」

「はぁい!」

 キャリーバッグを軽々と持ち上げたアシヤは助手席の扉を開けてエスコートをしてくれた。

「いかがですか?」

「うむ、苦しゅうない」

「ふふ、左様で」

 シートベルトをする。アシヤはドアを閉めた。


*****


「さて、此度の旅行の予定ですが、まだ祭事の期限まで四日ほどあるとの事なのでお嬢さんが行ったことがないであろう場所に向かおうと思います」

「と、言うと?」

「ふふ、海でございます」

「海! 私、海好きなんだよねえ」

「おや、行ったことがあるのですか? てっきり溜まり場になりやすいので行ったことがないかと思いました」

「あるよ……友だちとも言ったよ。帰りに事故りかけたけど。でもなんかおじさんが海の家開いててね。そこの海はうちの土地だから夏はよくそこに遊びに行ってるんだよねえ。今年はアシヤを誘おうかと思ってたんだけど…………アシヤ?」

 アシヤが完全に固まっている。いつもと同じように胡散臭く笑っているように見えるがよくよく見ると表情が固定されている。


「……プライベートビーチ所持者……だと?」

「違うわ!! あくまで海水浴場の経営者だよ」

「でも借り切りになるのでは?」

「いや、まあそうだけど……」

 アシヤの車はピッと機械音を響かせて優雅に料金所を通り抜けた。空はこの上ない快晴。まさに海日和と言ったようなところか。


「はぁ……お嬢さんの家はどうなってるのですか」

「残念ながら私の方が聞きたいんだよなあ」

「そうでしたな。とは言え氷山の一角は明らかになりましたが」

「え? そうなの?」

「ええ。この前のお祭りで落ちた神に襲われたことを覚えていますかな?」

 覚えている。覚えている、というか……スパイスにまみれた澪の人生の中でも比較的鮮烈だったのでよく覚えている。普段澪が遭遇する全ての不可思議はあくまでも『不気味』な事象だ。

 常識の中にあるからこそ不気味なこと。

 声が聞こえるはずのない場所から声が聞こえ、動くはずのない死体が動く、さながら掟破りのようなことだ。だが、あれは……あれはあからさまに、この世の常識に真っ向から相反していた。


「ユキさんがかなり気にしてくださいまして。お詫びということでアゲハの持つ機密情報の一部を開示して下さったのです」

「え? ユキさん、私の家の事知ってるの?」

「ええ。ユキさんは恐らく全てを知っていらっしゃいますよ。彼女の持つ情報は膨大な量です。とは言え、それを普段開示してくださることはありませんが……仕方ないとはいえ融通がもう少し利かないのかと落胆しますね」

「はえー……」

 よく考えたらユキはいわゆるそういった世界と俗世の取り持ちと調整を行っているのだ。もしかしたら知らない情報の方が少ないのかもしれない。或いは……こと澪に限ってはあまり知るべきではないから沈黙を守っているのかもしれない。

「で、何がわかったの?」

「お嬢さんのお父様の家系……鳴神のらい歴について少しばかり教えて頂きました」

「鳴神の方を? 平坂じゃなくて?」

「ええ。知らないのか教えるつもりがないのかは謎ですが、教えてくださったのは鳴神の方でした。なんでも鳴神は富士山の麓あたりに土地を持つ伊邪那美命の巫女の一族……その末裔だそうです」


 アシヤを見上げた。アシヤはまっすぐと前を見ている。機械音声が少し先の渋滞を告げた。

「ねえ」

「はい」

「……平坂って黄泉比良坂なんじゃないかってアシヤ言ってたよね」

「ええ、言いましたね」

「伊邪那美命って……」

「黄泉の国の女王、いわゆる冥府の神ですね」

 小さく笑う。なるほど。

 平坂と黄泉比良坂の音がおなじだった。だがそこに澪という名前が加わった。澪は、船のための水の通り道だ。黄泉比良坂における船が通る川なんてひとつしかない。しかもそこが冥府の女王である伊邪那美命のお膝元であるのならば、事更に。


「いや、全然ダメじゃんッッ!!」

「はははははは。これは道理で釣り上手でいらっしゃるはずですよね。いわゆるあれですね、役満」

「笑うとこじゃないんだけど」

 あとそれを言うならば厄満だろう。

 ……そういう意味で言ってるならはっ倒すけど。

「ふふ、ですが何も悪いことばかりという訳でもございません。きちんと釣果もあるのですよ」

「釣り上手で掛けるなや」

「ユキさんはどうやらお嬢さんのことを完全な被害者と認識したようですよ」


 ユキはワーカーホリックだ。仕事の鬼だ。彼女は冷酷かつ無慈悲だ。仕事に対して妥協することはまあ、有り得ない。

 だからこそ彼女は俗世の人々が魔性の世界に触れることに対して強烈な感情を見せる。魔性の世界が外に出るのを極端に嫌がる、と言い替えてもいいかもしれない。故に彼女は鮮烈に、かつ強烈に、その理を犯した人々をある種の熱意でもって殺しにくる。

「そうですね、ひとつの話として頭に入れて置いてください。ユキさんの主張がどういうものなのか、貴女も知っておくべきでしょうから」

「……うん」


 彼女は魔性の世界が拡散されるべきではないと考えている。彼女の出自は非常に奇異なもので、故に非情なのだが、それは置いておいて。

「ユキさんは少数の人間が犠牲になるのを良しとしています。例えば小生やユキさん、そして東雲様がこういったことに従事し、例えば呪い殺されるのを彼女は良しとします。大切なのは自分自身がその対象になっても彼女は構わないと考えていることです」

 喩えば危険なものがあるとして、少数の人々だけがそれを知り戦い続ければいいと考えている。ましてやそれが知るだけで平穏を脅かすことのできる怪異であれば、なおさらに。

 彼女は多くの人々が幸福に、平穏に、或いは平和ボケしながら生きていくために、ごく少数の人々が犠牲になることを仕方がないと容認したのだ。

「多くの人々が夜闇を恐れずに眠れるように戦い続けることが義務とさえ彼女は言います。ですから一般人の殺害も彼女は厭いません。それが拡散され多くの人々の平穏が害されるくらいならば、ひとりが死ぬ方がマシ……ということですね」

「……ユキさんはめちゃくちゃ鮮烈だね」

「仕方ありません。とは言えユキさんも、被害者であれば話は別です。彼女はそれについて我々が知ることを容認したのですから。積極的に教えてくれる……というのは今後も期待はできませぬが、少なくとも妨害が無くなったと考えられますからね」


 渋滞にハマり動かなくなった車の窓から空を見上げる。アシヤは何も言わない。

「……お父さんの実家、富士山の方だったんだね。一回連れて行ってくれたら良かったのにな」

「お嬢さん……」

「富士山カレー、すごい気になるんだよね。でかいのかな」

「お嬢さん……?」

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