第漆幕 おぉい《上》

 人生が変転する原因はいつだって突然現れる。落ちていく過程は緩やかであったとしても、その日が来るのはいつだって突然なのだ。ほんの少し、ちょっとした些細な小石が人生という道にあるだけで、それは歩いている相手を転ばせるためのものに成り変わる。

 それが一文無しになる程度で済めばいいが、例えばある日突然、死を迎えるなんてこともよくあるのだ。


 とはいえそんなこととは関係なしに、今日も真昼間から恐怖感も特になく『占い屋 アシヤ』は営業していた。

 明後日から学校も夏休みなのでウキウキである。海に行ったりするんだ、今年こそ。なんならアシヤを誘って遊びに出かけよう。

 宿題? そんなの計画的に末日にやればよろしい。


 ノリノリで乗り込んだ店はどういう訳か『客を持て成すための本当の姿』になっていた。来客がいるのだろうか。

「おや、お嬢さん、おかえりなさい」

「私別にここが家じゃないんだけど……ただいま」

 アシヤの向かいにはニコニコと全く困っているようには見えない笑みを浮かべた人物が座っていた。

「こんにちは」

「……ども」

「お嬢さん。こちらは相談をしに来た山岸さんです。とにかく、今すぐにお茶をいれていただけませんか?」


*****


「すみませんねえ。突然押しかけたのにこんな丁寧に」

「いえいえ、なにか並々ならぬ事でお困りの様ですし……何よりきちんと紹介状もお持ちでしたからね」

「紹介状? そんなのもあるの?」

「……ええ、まあ」

 苦虫をすり潰したような顔をしてアシヤは澪に一枚の紙切れをよこしてきた。乱雑に破られた紙には鉛筆で文字が描き殴られているのだが……。

「……『アツア』……『どへにかくてくれ』……『わいわし』……?」

「言いたいことはよく分かります。正確には『アシヤ、どうにかしてくれ。れいめい』と書かれています」

「字、汚ッッ」

 筆で書くような筆記体と直線的な文字が組み合わさって奇跡的に汚い。ちょっと解読も難しいレベルだ。というかむしろアシヤはよく読めたな。


「知り合いなの?」

 澪は聞く。


「腐れ縁ですよ。阿部家と小生の家は千年近くいがみ合ってるのです」

 アシヤ談。


「それで、山岸さんはそもそも何にお困りなのですかな?」

「……それが……実は私の住んでいる村では数年に一度、必ず祭事を執り行うのです。土地神様からの祟を免れる為に。こういう村は地方に行けば行くほど多くなるでしょう?」

 多くなるかはとにかく、そういった村は一定数ある。

 例えばこの街には昔からの風習として水を奪い合う祭事がある。各地区の代表の神社から神輿を出し、ぶつけあうことで水を奪い合うのだ。最も真偽は定かではない。だがひとつの事実として、儀式の意味が薄れた今でさえ沼地が近くにあった――水が豊富にあった澪の地区は祭りに参加することが許されていない。


「神様がいるかどうかは大切では無いのです……ただ……実は今年村長になった方は外部の方でして、どうにもこの祭事の重要性を分かっていないようなのです」

 山岸はため息混じりにそう言った。

 地域の過疎化というのは年々深刻になっていく。ましてや山岸の住まう村はその妙な儀式があるのだ。多くの若者はそう言った文化的な暮らしに耐えきれずに都心へ出ていってしまった。後に残ったのは皆、老人ばかり。今年五十五になったばかりの山岸が村の大人の中ではいちばん若いらしい。


「高齢化が進んだ結果、医療費のせいで村の財政は火の車……数年前の合併にも乗り遅れて結局、うちの村はただ村のままになってしまいまして……今年まではその他のことを切り詰めてどうにかやり過ごしていましたが、今年就任した村長がばっさりと祭事の予算をカットしてしまったのです」

 村長に悪気は無いのだと思う。皆に当たり前に医療を提供したいのだろう。山岸にもそれもわかる訳だが。

「この時期に祭りは行われます。お願いです、アシヤさん。お金ならいくらでも払います。どうか……今年の祭事を執り行ってはいただけないでしょうか」


 扇子がパチン、と閉じる。

「分かりました。その依頼、承りましょう」

「アシヤ、いいの?」

「ええ。どうやら、本当にお困りのようですし……それに」

 ぐちゃぐちゃの手紙に眉を潜める。描き殴られた文字は簡潔だ。だが簡潔故に分からない。

 阿部黎明は、自分に何をどうにかして欲しいのだろうか。

 それも確かめるべきだと思った。山岸の話を聞くだけならどうにも専門は黎明の方にある気がする。だが何故か彼女は自分にわざわざ仕事を押し付けてきた。

「おお、助かります、アシヤ先生。そうと決まればすぐに村に戻り皆に報告をせねば」

「いえいえ。小生の方こそ礼を言わねばなりませぬ。なにせこの手紙の書き手、半年ほど失踪しているようで。小生は詳しくは知りませぬが、なんでもアゲハも血眼になって探しているとか。いやはや、助かりまする」

「そんな! 我々こそ助かります。本当に困っていたのですから。ああ、ところで、先生がいらっしゃる時にはそちらのお嬢さんも一緒にいらっしゃるのですか?」

「え? 私?」


 澪は見上げた。アシヤの瞳はビー玉のように透き通っている。だが思惑を掴み損ねたのだろう。小さく彼は首を傾げた。

「お嬢さんはどうしたいのですか?」

「ううーん……一緒に行きたいかなあ」

「ではそうしましょう」

「え? いいの? 絶対ろくなことになんないけど」

「それは小生もそう思いますが、あなたを一人で残していく方が不安ですからね。万が一前回のように『なにか』に誘われても断ることが出来るなら話は別ですが」

 フォローもなく、アシヤは意味深に笑うだけだった。いや、言いたいことは明確にわかってる分、皮肉的と言うべきか。


「では二人分の寝床を用意するように伝えておきます」

「おや? 一緒には行かないのですか?」

 帰ろうとしている山岸にそう声をかける。彼は苦笑いをした。

「私達の村はバスが一時間に一本あれば良い方ですので、先に帰って皆様のための寝床を支度させていただきますよ。先生達は車をお持ちなら車に乗っていらっしゃるとよろしいでしょう。少し時間はかかりますが……ああ」

 山岸が懐から取り出したのは草臥れた茶封筒だった。宛名は特には書かれていないがそれなりの厚さがある事がひと目でわかる。

「こちらは今回の依頼の前金です。どうぞ、これを使って小旅行を楽しみながらいらしてください。せっかく来て下さるなら楽しんでいただけた方が我々も良い」

「ふむ……こんなによろしいのですか?」

「中身は千円札ですよ。それに、先生がして下さることを考えたらこの程度の出費は安いものです」

「なるほど。では、ありがたく頂戴致しまする」


 封筒を渡した山岸は見えなくなるまで振り向いてはペコペコと頭を下げていた。

「……さて」

 目を煌めかせる澪にアシヤは結論をわかっていながら尋ねることにした。つまり――。

「お嬢さん、夏の小旅行に行くというのは、いかがですかな?」

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